恥ずかしながら僕はこの庄野潤三という作家のことを、つい最近までまったく知らなかった。
では、どういうきっかけで知り、読みたいと思ったかというと、先日読了した村上龍と村上春樹の対談集、「ウォーク・ドント・ラン」の中で、若き日の村上龍と村上春樹が二人揃ってこの庄野潤三と小島信夫を「良いよね」と褒めていたためだ。
村上春樹と村上龍が二人揃って、現代の日本の作家の小説は殆ど読まない、という話をしている際に、「でも庄野潤三と小島信夫はいいよね」という褒め方をしている。
で、対談集の中で二人が褒めていたのがこの短編集のタイトル・クレジットにもなっている「プールサイド小景」であった。
で、今回はじめて庄野潤三の小説を読んだ訳だが、全篇を通じてとても静かで静謐さが染み渡る文章を書く人だなあ、というのが第一印象で、それに続いて、独特の世界観を持った短編を書く人だなあ、という想いが湧いてきた。
文章については、どうも第二次大戦後の文学というと、大江健三郎や安部公房、それに石原慎太郎や中上健次という印象が強くて、文章ものたうち回っている感じを連想してしまうのだが、この庄野潤三の文章はとてもシンプルで読み易く、しかも過激なところがない、淡々とした語り口である。
登場人物以外にナレーターが存在し、登場人物の間を繋いでいく構成なのだが、このナレーターがなかなか雄弁で、登場人物が紙芝居や人形劇のように、ナレーターの意志によって動かされているような印象を受ける。だが、その印象は悪いものではなく、寧ろ清々した感じで、好ましく映る。
メジャーデビュー作の「舞踏」が書かれたのが昭和25年、芥川賞受賞作の「プールサイド小景」が昭和29年と、書かれてからはかなり時間が経っている作品群だが、不思議とあまり古さを感じない。個人的にはイタリア系アメリカ人と日本で知り合った主人公がアメリカ留学の際にそのアメリカ人の実家に遊びに行く「イタリア風」と、ある日突然会社をクビになってしまったサラリーマンを描く「プールサイド小景」、それに非常に短い短編を繋ぎ合わせる「静物」などが特に気に入った。
ありふれた日常の中にすうっと異物が入り込んでくる感じは、村上春樹のストーリーにちょっと似ているような気もしなくもない(庄野潤三の作品には村上春樹のもののように化け物とかは出てこないが)。
ちょっと他の作品も読んでみたくなる、そんな新しい作家との出会いであった。
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