中上健次と村上龍の対談集。とっくの昔に絶版になってしまっているもの。ちなみにタイトルは、ランボオの詩から採られたもの。
内容としては3度に渡る両氏の対談と、一編ずつの短編小説、それぞれの後書からなる。対談は村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を獲得し、時代の寵児として騒がれていた当時で、村上龍は24歳、中上健次もまだ30歳である。
先日紹介した村上春樹と村上龍の対談集よりもさらに時代が遡ることもあり、また、中上健次の個性が強く出ている対談集であることもあり、かなり濃い内容となっていて興味深い。特に村上龍があけすけに自身がヘロインやLSDをやっていたことを喋っている点もこの時代だからこそ許されたことと感じてしまう。
また、対談の中には70年代後半の、全共闘や高度経済成長の残滓のような生臭さが残っており、文学界には三島や大江、それに石原(慎太郎)らが君臨しており、それを中上健次や村上龍がどのようにぶち破るか、ということがテーマとして語られている。
だが、2009年になった今日に、村上龍と中上健次を並べて見れば、この二人の間には大きな溝が出来ていることが分かる。もちろん中上健次は40代半ばにして病死してしまい、もう新作を書くことができない、ということもあるだろうが、中上健次と村上龍が向かった方向性の違いが、この二人の生きた時代の印象を大きく変えてしまったように思える。村上龍は良くも悪くも、常に前だけを向いて生きていることを再認識させられる。
対談の後で納められている短編も趣がある。特に村上龍の短編「スザンヌ」は、恐らく「限りなく透明に近いブルー」のあと、最初に書かれた小説なのではないかと思う。この短編は初めて読んだが、まだ「ブルー」の流れを濃く残しつつも、「トパーズ」などへと向かう源流が生まれ始めていることが分かって興味深い。
いずれにしても、中上健次は大江、石原、三島の時代の最後の大物であり、村上龍は新しい時代の最初の大物であることがハッキリ分かって非常に面白い対談集だった。今までは村上龍と村上春樹の間の時代性の違いについては特に考えたことがなかったが、ひょっとすると、村上龍が時代の扉をこじ開けていなければ、村上春樹の大ブレイクというのも、なかったのかもしれない、などと考えてしまった。
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