村上春樹がエルサレム賞を受賞した際のスピーチについては以前書いた通りだが、今日発売の文藝春秋に、村上春樹の独占インタビューと受賞スピーチの英日全文が掲載されたので、早速購入して読んでみた。とにかく、村上春樹のインタビューが雑誌に乗るなんてことは滅多にないので、半ばお祭りである(笑)。
インタビュー記事を読んで、ポイントと感じたのは以下の点である。
・村上春樹がエルサレム賞受賞と受諾の問い合わせの連絡を受けたのは昨年11月下旬であり、つまりそれはイスラエルのガザ地区への攻撃が始まった12月下旬よりも一ヶ月以上遡る時期であった
・11月の時点で村上春樹は既に賞を受けるべきか辞退するべきかを非常に悩んだが、受けることに決めた。そのポイントは二つ。一つ目は、「受賞を断わるのはネガティブなメッセージですが、出向いて授賞式で話すのはポジティブなメッセージです。常にできるだけポジティブな方を選びたいというのが、僕の基本的な姿勢です」。二つ目は、エルサレム賞がエルサレム・ブックフェアから贈られる賞であって、イスラエルという国から招かれたわけではない、という点。
・イスラエルによるガザ侵攻が始まってから、受賞が発表になった1月21日まで、村上春樹に対する連絡はまったくなかった。
・村上春樹は自分が書いた受賞スピーチを事前に事務局に送付していた。その際、内容を変更するような要請があった場合には、受賞を断るつもりだったが、そのような依頼はなかった。
・授賞式にはイスラエルのペレス大統領も出席しており、スピーチ前には和やかに会話をしていたのだが、スピーチが進むにつれて最前列に座る大統領の表情が強張り、スピーチ終了後に多くの人々がスタンディング・オベーションをする中、大統領はしばらく座ったままでいた。
・一方、エルサレム市長はスピーチを賞賛していて、スピーチを終えた彼に握手を求めてきた。
・イスラエルで村上春樹の書籍はハリーポッターに次ぐ人気だと教えられ、実際町でも多くの人に握手を求められた(スピーチ前も後も)。
エルサレム賞受賞に関して村上春樹が直接的に述べているのは以上のようなところだろうか。
そして、インタビュー後半は、イスラエルとパレスチナの対立構造から対立する原理主義へと話題は移り、さらに原理主義の恐ろしさ、人間がシステムに対して魂を委譲してしまうことに対しての恐怖へと展開し、彼が取材したオウム真理教へ、さらにそこから彼が青春時代を過ごした60年代のベトナム反戦運動や学生運動へと主題が広がっていく。
そして、彼は彼が生きる時代とその日本人達へと想いを馳せる。
「でも僕らの世代の大多数は、運動に挫折したとたんわりにあっさり理想を捨て、生き方を転換して企業戦士として働き、日本経済の発展に力強く貢献した。そしてその結果、バブルを作って弾けさせ、失われた十年をもたらしました。そういう意味では日本の戦後史に対して、我々はいわば集合的な責任を負っているとも言える」
村上春樹が現在進行形の問題・出来事に対して、現在進行形で回答してくることは今まであまりなかったと思うし、それを読んでいるというのは僕にとっても何とも不思議な感じである。
先日のエルサレム賞受賞スピーチの動画がネットに掲載されたのを見た会社の後輩は、「村上春樹が生きて動いているのを初めて見ました」と言っていた。
60歳を迎えようとしている村上春樹が、自らのことを、小説に乗せずに語る時が訪れようとしているのだろうか。それはそれで楽しみだが、彼がどうやら書き終えたらしい、過去最長だという噂の長編小説が早く読みたいと思う今日この頃である。
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