岡本敬三氏の「根府川へ」を読了。
実は先月からこの岡本敬三氏主宰の小説講座を受講するようになった。つまり僕にとって、岡本敬三氏は小説の師匠になったということである。
誠に申し訳ないことに岡本敬三という小説家のことはそれまで全く知らなかったので、早速アマゾンで購入して読んでみた。
この「根布川へ」は、3つの短編で構成されている。「日々の余白」、「根布川へ」、「無言歌」の三作である。
この三作は連作ではないが、時系列に沿って物語が緩やかに繋がる形を採っており、共通する世界観として最初に心に浮かんで来た言葉は「疲弊」と「透明」、そして「憐憫」であった。
最初の物語「日々の余白」では企画・編集を生業とする企業に勤め、奥さんもいて仲良くセックスしたりしていた主人公は、二作目「根布川へ」では既に離婚して5年を経ており、仕事も「詐欺」的な商売に身を染めている。そして三作目「無言歌」では主人公はチェーンの立ち食い蕎麦屋の店員として働いている。
3つの作品の中で作者は徐々に老い、妻との生活を失い、そして仕事的にも転落しつつある。その老いっぷり、失いっぷり、転落っぷりがとてもリアルで切なく、でも同時に妙な透明感が作品全体を包み込んでいて、さらに物語全体の枯れ具合がとても寂しくて、そこに思わず憐憫を感じさせられる。
「もっと力を込めて生きようよ」、「もっと頑張ろうよ」と思わず声を掛けたくなるのだが、主人公はきっと頑張るには疲れ過ぎているし、そしてもう希望を失い、老いてしまっているのだろう。
冬の弱々しい晴天の太陽みたいに、はかなく弱々しい世界観は、僕がこれから脚を踏み入れていく世界であることは間違いないのだ。
でも僕自身は、まだもうしばらく、この世界には脚を突っ込まないように、最大限の悪あがきをしようと思っている。
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おお。悪あがきがんばりたまへ(笑)
同じ作品でも、読む人によって印象違うもんだねえ。
私の印象を一言でいうと「絶望の中の明るさ」って感じだったかな。社会的にどれだけ転落しようと、最終的には人を信じます、みたいな。
ま、あからさまに「前向き」発言をしないのは、
(作者=主人公だとすれば)神田生まれの江戸っ子ゆえの
奥床しさゆえかなあと思ったりしました。ま、あとがきだけが
決意表明っぽくえらく前向きだけど。
ってな話を近々したいねぇ♪
なるほどね。色々な受け止め方があるんだな。男女でも感じ方が違うかもね。
また次回色々勉強しましょう。