武田百合子氏の「日日雑記」を読了。題名はひねりも何もないものだが、中身はタイトルとは裏腹にとても瑞々しく素敵なものだった。
この作品を読むまで武田百合子という作家のことは恥ずかしながらまったく知らずにおり、先日ある方から「日本人でオリジナリティという意味で一番優れているのは武田百合子」という言葉を頂き、それではということで早速読んでみた。ちなみに武田百合子氏は武田泰淳氏の妻であり、写真家の武田花氏の母親でもある。武田花氏の写真はアラーキーと合作の写真集を一度見たことがあった。
武田百合子氏は夫泰淳氏の没後に作品を発表し始めたそうだが、この日日雑記を含めて作品数が5作と少なく、寡作の人であったようだ。泰淳氏との富士山麓の山荘での日々を綴った「富士日記」が処女作で、この「日日雑記」が遺作となっている。
タイトルにある通り、まさに日々の雑記となっており、日記形式(ただし日付は書かれていない)で淡々と作者の日常が綴られていくのだが、これが実に面白い。
身の回りに、飄々としつついつも何か面白いことを考えていて、顔色一つ変えずにぼそっと面白いことを呟くようなタイプの友人がいないだろうか。この「日日雑記」を読むと、著者の文章から、そんなタイプの友人のブログを垣間見ているような錯覚に陥り、つい読みながらニヤニヤしてしまうのだ。
文章の密度が濃くしかも独特のリズム感というかグルーヴ感があり、しかも機知とユーモアに富み、そして多くの場合最後にちゃんとオチがある。著者の観察眼は鋭く、彼女の周囲にいる人々をじっくり観察し、それを面白く活き活きと活字にしてしまう。なるほどねえ、これって本当に天賦の才能なのかもしれないなあ。
娘「H」との生活、富士山の山荘での日々、友人との会話、買い物で出くわしたちょっとした出来事などが訥々と描かれているが、そこには薄い墨で掃いたように、死の影が著者を包んでいることが分かる。それは飼い猫「玉」の死であり、昭和天皇の死であり、旧知の仲だった大岡昇平氏の死であり、富士山麓で近所に住むトガワさんの死であり、そして自らの死に対する予感とそれに対する畏れである。
著者はこの本が出版された年に67歳で亡くなっているのだが、まるで自らの死を予感するかのように、日々の記述は巻末へと向かうに連れて、少しずつ寂しげに、そして悲しげに変化していくのが切ない。
そういった寂しさを振り切るかのように、最後は娘Hとの京都旅行で日々は締めくくられる。母と娘のドタバタ日常記は、いつまでもずっと続いて欲しいという余韻を残して幕を閉じている。
読後感がとても良くて、他のエッセイも是非読んでみたいと思った。そんな素敵な出会いでした。
|
||||||||
powered by a4t.jp
|