村山由佳の「ダブル・ファンタジー」を読了。
著者のことを僕はまったく知らず、ひょんなきっかけでこの本を知り、ずいぶん人気があるようだから、ちょっと読んでみてもいいか、ぐらいの軽い思いで手に取った。
だが、この本はそんな軽い気持ちで手に取るべき作品ではなかったということを、読み始めて30分ほどで思い知らされる。だが読まずにはいられない。とにかくグイグイと活字に目が貼り付いてしまい、500ページの大作をあっという間に読み終えてしまった。中央公論文芸賞受賞作品。甘く見てはいけなかった。
とにかく強い作品だ。タイトルはジョン・レノンの遺作となったアルバム「ダブル・ファンタジー」から取られており、作中にも主人公がアルバムを聴くシーンが出てくるが、「ファンタジー」という言葉とは対極にある作品と言っても良いのではないかと感じた。
事前評判にもあったのだが、本作にはセックスシーンが多く盛り込まれており、しかも主人公が次々と異なる相手と肌を合わせていくという展開からも、「官能小説」「エロ」という印象が前に出がちだろうということは否定しない。
だが、読み終えた後に浮かび上がってくる世界観は決して官能やエロといった単純なものではない。
女性の社会的な立場の弱さや、その弱さを受け入れて生きてきてしまった女性のもどかしさと諦観、そして男性の愚鈍さと、その愚鈍さを指摘されずに生きてきてしまった男性の無能さ、野卑さ、救いのなさ、そしてそれをとりまく、30代以上の男女が抱える閉塞感、加齢に伴う絶望と、それに抗したいと考える人々の想いなどがシャッフルされ読者の喉元に鋭利な刃物を突き付けるように迫ってくる。
本編におけるセックスシーンは、主人公奈津が支配的な夫の呪縛を逃れ、脚本家としても人間としても自立した存在としての人生を獲得して行く過程で、彼女の心と言動の変化を立証するために、どうしてもなくてはならないバックボーンとして機能しているとともに、それでもなお人間には男と女しか存在せず、互いが互いを求め合うのは圧倒的な本能であることを暗示することによって、人間が持つ根源的な欲求と問題点を同時に僕ら読者に提示している。
本書を手に取る者は、男も女も覚悟をしてから読み始めるべきだ。男は、自らがパートナーや恋人と行ってきたセックスが、いかに未熟で独りよがりであったかという事実に、強制的に向き合わされる可能性がある、という覚悟を。
そして女は、自らが置かれている現状を、勇気を持って一歩踏み出すことによって、自分の力で変えられるかもしれないという誘惑をもたらされる可能性と、その誘惑に負けた時に起こるであろう様々な出来事に対処し、負けずに成し遂げるという覚悟を。
支配しようとする男のシステムに巻き込まれる女の弱さ、そのシステムから脱却すると決心する女の強さ、そして寂しさを感じつつも自立した存在として自由を謳歌し自分の責任で人生を勝ち取って行く女の美しさが、この小説には全て詰まっている。
今年のベスト3に入る名作。だが男は読む前に覚悟を決めるべし。
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