アレン・カー著、阪本章子訳、「読むだけで絶対やめられる禁酒セラピー」を読了。
まずいのだ。禁酒がしたくて読んだわけではないのに、読み終えたら、禁酒がしたくなってきてしまった。これはまずい。
いや、本当はまずくない。まずくないどころか素晴らしいことなのだが、お酒を止めてしまうなんてもったいないから嫌だ。でも禁酒した人生も良さそうだなーと囁く自分がいる。うむむ〜。
本書「読むだけで絶対やめられる禁酒セラピー」では、従来の精神力に頼った禁酒ではなく、「お酒は強い依存性を持つ毒」であり、「最初に飲んだ時には不味かったものが美味しく感じるのは身体が麻痺しているから」と説き、お酒を無理に止めるのではなく、お酒のない、より素晴らしい世界に羽ばたこう、というスタンスに立脚している。
これが読んでいて実にいいのだ。僕自身、タバコを吸わなくなって7年半ほど経つが、今となってはタバコを止めて本当に良かったと思うし、吸っていた頃の自分はタバコに支配され、タバコに毒されていたと感じるようになった。
例えば、当時は電車を下りたらすぐにタバコが吸いたかった訳だが、今思えば、一時間おきに自分の行動や精神をタバコによって拘束されていたわけで、電車を下りたらタバコ、夜寝る間にタバコが切れれば不安で眠れない、という構図になっていたのだ。
だが、タバコを止めてしまえば、一時間おきに全ての行動を停止して煙を吸い込むなどという不合理な行為をする必要はなく、手許のパッケージの中に残り何本が入っているかをしょっちゅう気にすることもない。
しかも、タバコを吸い続ければ、タバコの購入代金の他に部屋の壁や天井も傷み、病気になり、早く死んでしまう。そんなものに15年近く自分がお金を払い続けていたと考えるだけでも、バカバカしいし腹も立ってくる。
で、この「禁酒セラピー」の著者は、ご存知「禁煙セラピー」と同じ人なわけで、当然タバコと同じようなアプローチで攻めてくる。これが実に論理的で合理的でスマートで分かりやすいのだ。お酒なんてなくたって楽しい人生は幾らでも遅れるし、お酒がないと社交の場で楽しめない、というのは刷り込みだというのも確かだ。何故なら僕らも皆子供の頃はお酒など飲まずに友達を作っていたし、大人になってからも、お酒を飲まずにパーティーで楽しく会話している人だってたくさんいる。
お酒が飲めないことを辛いと感じている間は禁酒できない、と著者は説いている。その通りだ。僕自身タバコを吸わなくなった時は、すーっとタバコへの興味や愛着がなくなり、フェードアウトするように勝手に吸わなくなった。あの形は自分でもベストだったと感じているが、果たしてお酒まで止める必要があるだろうか。
友人と楽しく飲むお酒は最高だし、夜仕事を終えて家でゆっくり飲むのも素敵だ。だが、著者は肉迫してくるのだ。「それは、その状況が楽しいのであって、そこにお酒が存在している必要が本当にあるのか」と。
そう、僕らは皆心の中では分かっているのだ。お酒は依存性の強い毒で、身体に悪いことを。そして、僕自身もそれを納得しているのだ。そして、お酒という強い束縛から解放された人生は、とても魅力的にも見える。
どうしたものか。しばらく考えよう。
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