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社畜だった僕が 好きなことだけして食っていけるようになるために実行した 11の大切なこと

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「好きなことだけして食っていく」。とても甘美な響きを持った言葉である。

しかし、多くの人にとっては、「好きなことだけして食っていく」という言葉は、憧れはあっても、何をどうすればいいのか分からない、というのが実情ではないだろうか。

人は皆社会のシステムに組み込まれて生きている。

会社もそう、家庭もそう、そして子供の学校や地域の活動もそう。

「好きなことだけして食っていく」と突然言われても、とっかかりがなさすぎて、自分のことと思えないという人も多いだろう。

僕自身、今ではブロガーとして、そして作家として、本当に好きなことだけして食っている。

書籍やブログを書き、セミナーやワークショップを運営して生計を立てている。

でも僕は2011年3月までは、中小企業に勤めるサラリーマンだった。

最後の3年間を除いては、僕は本当に「ただの」サラリーマンだった。

会社を辞めたら生きていけない、いわゆる「社畜」だった。

僕はある日突然変わったわけではない。

1日1日コツコツと、ちょっとずつ変化をしていったのだ。

サラリーマン時代最後の3年間に僕がしてきたことが、僕が「社畜」を脱出して好きなことだけして食っていけるようになったキーだったと、今では分かる。

今日は、その「社畜脱出」のためのキーを、11のステップにまとめてみた。

さっそく紹介しよう。

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1. 会社の仕事を一生懸命やる

いきなり逆説的かもしれないが、僕はずっと会社の仕事は一生懸命やってきた。

そして会社の仕事を一生懸命やってきて本当に良かったと、独立後につくづく思った。

なぜか。

それは、会社の仕事で経験したことが、独立後さまざまな分野で猛烈に役に立っているからだ。

僕は翻訳会社に17年間勤務して、提案営業とマネジメントの仕事をずっとやっていた。

提案営業は、お客さんのニーズを汲み取り、どうやったらお客さんが本当に喜んでくれるか、どんなプランを作ればお客さんが困っている点を解消できるかを死ぬほど考える仕事だ。

「困っている」を解消するだけではなく、お客さんが良い意味でビックリするぐらいの提案を出す必要がある。

この提案営業の仕事をしてきた経験が、僕がブログや書籍を書いたり、セミナーを主催するときに、メチャクチャ役に立っているのだ。

どんな記事を書いたらみんなが読んでくれるか。どんな書籍を書けば皆の心に届くか。どんなセミナーをみんなは望んでいるのか。

それを必死に考える癖が身に染みついているからこそ、僕の記事は多くの方に読んでいただけ、セミナーはいつも盛況となるのだろう。

また、マネージャーとして顧客や協力会社さんとハードな交渉を繰り返してきた経験は、独立してからもさまざまな交渉事で「肝が据わった」対応をするのに役立っている。

決算書類を作ったり分析したりしてきた経験は、資金計画になくてはならないものだ。

事業計画を作ってきたことが、いまの僕の60年計画にそのまま活かされている。

手を抜かず会社の仕事を一生懸命やること。

それが社畜脱出のための第一歩だと僕は信じている。

2. 付き合いの飲みを一切止める

ブログをスタートさせ、自分の人生を劇的に変えると決めて最初に具体的に行動として変えたのは、会社での付き合い飲みを一切止めたことだった。

当時の僕は会社の外にはまったく友人がいなかった。学生時代の友達と年に1〜2回会う以外には、飲む相手は会社の同僚しかいなかった。

人生を劇的に変えるためには、自分の時間を捻出する必要がある。

ブログを書く時間、本を読む時間、親指シフトを練習する時間などなど。

自分の時間はとにかく貴重だった。

とてもじゃないが、同僚や部下と飲みに行く気になどなれなかった。

仕事が終わると大急ぎで自宅に戻り、人生を劇的に変えるための努力に時間を投資したのだ。

朝も早く起きてランニングをして、身体のシェイプアップに努めた。

僕はこの時期に25kgのダイエットに成功している。

ダイエット成功の要因の一つに、飲み会を排除したことも大きかったと思う。

脂っこいものを食べず、酒を飲みすぎないという生活が、自然と節制にも繋がっていたのだろう。

ダイエット成功に関してはこちらの記事をご覧ください。

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3. 自分は「修業中の身」だと自分に宣言する

サラリーマン時代、会社での僕は「業務統括・シニアマネージャー」という肩書きを持っていた。

日本式に言うと「事業部長」の立場だった。

部下がいて、それなりに偉いわけだ。

若手にペコペコされて生活していた。

しかし、人生を劇的に変えるということは、その「肩書き」をポイっと捨て去ることを意味する。

そしてフリーの世界に出れば、僕は一番最後発の、ペーペーとしてスタートするのだ。

事業部長としてゆったり構えて生きていては、とても最後発からロケットスタートはできない。

僕は38歳にして、自分を「修業中の身である」と宣言し、そのように行動した。

会社外でお会いする人とは、年齢はいっさい関係なく、すべての人を「先輩」として尊敬するようにした。

僕は独立までの過程で多くの若い友人を得ることになったが、彼らとは年齢は違っても、全員「同士」だと思っている。

なぜなら同じ時期に同じように「好きなことだけして食っていけるようになろうぜ!」という気概をもって、面白いことをやっていたからだ。

年長者であることや事業部長としての肩書きに固執していては、自由は得られない。

飛び出していく新しい世界では、自分は一番の下っ端

そのことを自分に徹底させたのだ。

 

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