1984年冬、僕は14歳で中学2年生だった。土曜日の夜、普段はもう寝ている時間だったのだが、何故かたまたまその日は夜更かしをして起きていた。
テレビが付いていた。誰かが見ていたのではなく、たまたま付けっぱなしになっていたのだと思う。僕は知らずしらずのうちにテレビを見始めていた。
10チャンネル、テレビ朝日が付いていて、小林克也が軽快に英語と日本語をちゃんぽんにしたトークを繰り広げていた。そう、番組は「ベストヒットUSA」で、そしてその週のNo.1はMichael Jacksonの"Thriller"だった。
Thrillerが流れ始めると僕は画面に釘付けになった。なんてカッコいいんだ!僕は興奮し、その夜しばらく眠れなかった。そして翌日に僕はレコード屋へと走り、マイケルの"Thriller"を買った。
それが僕と洋楽との出会いだった。僕はみるみる洋楽へとのめり込んでいき、さまざまなアーティストの曲を知り、レコードを買い、レンタルレコード店に通い、FMラジオを必死にエアチェックし、そしてテレビ神奈川の「ミュートマ」やSony Music TVをビデオ録画して、プロモーションビデオを集めまくった。
そう、僕にとってマイケルは、僕を洋楽の世界に導いてくれた大いなる存在だった。
音楽的にマイケルの作品を特別好きだったわけではない。僕はどちらかといえばマイケルよりもプリンスが好きだったし、高校生になってからはマイケルよりも妹のジャネットの方を良く聴いていたような気がする。
でも、それとこれは別なのだ。僕にとってマイケルは、永遠の大スター、スーパースターなのだ。それは絶対に他のアーティストが替わりを務めることなどできない、絶対的なポジションなのだ。
さようならマイケル。僕らのスーパースター。僕はマイケルが団子鼻でも髪がもじゃもじゃでも色が黒くても全然構わなかった。いや、寧ろその方がカッコ良かったと思ってた。でもマイケルはまっすぐな髪になりたくて、尖った鼻になりたくて、そして何よりも白くなりたかった。
次に生まれ変わったら、憧れの白い肌を持ったカッコいいお兄さんになって欲しい。そして、ごく普通の一般庶民として恋をしたり車を運転したりして自分の人生を自分でコントロールする喜びを知って欲しい。
ありがとうマイケル。さようなら。君ほどの大スターは、多分もう現れない。