秋の夜長に 思うこと
自閉編
1999年10月12日(火) 晴れ 蒸し暑い
突然だが、禁酒することにした。とは言っても死ぬまで飲まない、ということではなく、二週間、一時的にお酒をやめてみよう、ということ。
なんでそんなことを言い始めたかを書くと長くなるが、長くなっても今日は書いておこうと思う。
皆さんご存知の通り、僕はかなりの大酒飲みである。それも毎晩大酒を飲むという、かなり体に悪いことを、少なくともこの5年間続けてきた。
今日ニナに、「最後に酒を一滴も飲まなかった日がいつだったか思い出せないんだよ」と言ったら、「でも私たちがつきあってから一回あったよ」とのお言葉。僕とニナがつきあってから、もう3年以上経っているのだ。その間に一日?それってなんだか天文学的な数値にも思える。
今回僕とニナが禁酒を決意した背景には、二つの事情がある。まず一つには精神的なこと。そしてもう一つは肉体的なこと。
肉体的なことというのは単純で、このまま飲み続けては体がボロボロになってしまうという恐怖がじわじわと現実的なものになってきた、ということ。
アルコールも薬品には変わりないわけで、それを連日摂取し続けていると、少しずつ体に耐性が出来てしまい、効かなくなる。ちょっとやそっとでは酔わない、という状態になる。でもアルコールを摂取するのは、酔っ払いたいから、というのもあるわけだから、なかなか酔わなくなると、酔うまで飲む、ということになる。つまり、どんどん量が増えるのだ。
今年の春ぐらいから、自分でも、何となく体調がすぐれない、と思うことが多くなってきた。それは特別どこかが具合悪いということではないのだが、いつも体がだるいとか、すっきりしない、みたいな状態で、それがどうも痛飲した翌日にはひどい、ということには自分でも気づいていた。
僕は体が大きいせいか、ちょっとやそっと飲み過ぎても二日酔いになることがない。頭痛も吐き気も何にもないのだが、どうも最近ちょっと良くない感じがしていた。そこに、中島らもの「今夜すべてのバーで」という小説を読んだ。主人公がアル中でぶっ倒れて入院して、という話なのだが、作者が実体験した話だけに妙にリアルで怖い。
で、その中にあった記述で、毎日飲んでいる人の肝臓には周りに脂肪がついて、いわゆる「脂肪肝」という状態にまずなり、それがずっとひどくなっていくと肝細胞が破壊され硬直する「肝硬変」になり、やがて「肝臓ガン」になってオダブツ、というのがあった。ここだけ読むと救いがないのだが、「脂肪肝」の状態からは、比較的簡単に元に戻すことができる。それが、二週間の禁酒、ということだ。二週間の禁酒で脂肪はきれいにとれてしまうらしい。
ということで、とりあえず、恐らく自分達の肝臓をうっすらと(またはたっぷりと)覆いつつある脂肪を、この二週間でそぎ落とし、もう一度ピュアな肝臓に戻してやろう、というのが禁酒の肉体的な目的。
で、精神的な面というのは、僕達の生活習慣を変えたい、というのが主眼になる。
平日休日を問わず、日が暮れた後は毎日飲んでいて、酔っ払っている、という生活は、ちょっと幾らなんでも貧困なんではないか、と感じはじめた。
アルコールに酔ってふわっとした感じで夜や休みの日を過ごしているのは非常に心地良いことだし、細かいことが気にならなくていいのだが、その一方で行動力や思考能力が著しく低下する。つまり、夜には何もできない、という状態になってしまう。仕事で疲れて帰ってきて、ビールを飲んでいい気分になるのはいいのだが、食事を作るのも面倒になり、部屋を片付けるのも面倒になり、揚げ句の果てには日記を書くのも、ものを考えるのも、何もかもが面倒になり、ただ眠くなるまで黙々と飲み続ける、という生活から、脱却したくなってきた、ということ。
別にお酒を嫌いになる必要も感じないし、飲むこと自体が悪いことだとも思わないけれども、今の我々の飲み方は、あまりにも「習慣として飲んでいる」状態で、品がないというかメリハリがないというか、ちょっとどうかな、という状態だと、ようやく思い始めた。
今回二週間の禁酒をして、平日の夜や休日をどう過ごすことができるかを試してみて(飲まない夜を5年ぐらい経験していないと、それがどんなものだったか思い出せないのだよ)、今後の飲み方を少しずつ「いい感じ」にできればな、と思っている。
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というわけで、今日はドライな「思うこと」。
この時間に家にいて、それでも飲んでいないというのは、何とも奇妙な感じがする。
特に禁断症状はないのだが(あったらどうするんだ)、僕もニナも何とも落ち着かない。落ち着かないので、せっせと夕食を作ることに。豚肉の生姜焼(久々の立花作)にキャベツの千切り(ニナ作)、豆腐のワカメとネギの味噌汁(立花作)、たらこ、ご飯というメニュー。麦茶を飲みつつ夕食を食べ、タバコを一服すると、また何やら落ち着かない。落ち着かないので、せっせと洗濯物を畳んだり、せっせと部屋を片付けたり、せっせと洗い物をしたり。
おかげで部屋の中がすっかりキレイになってしまった。何なんだこれは。
多分、2、3日はこんな感じで、ちょっとよそよそしい状態なんだろうなぁと思いつつも、慣れない状況を楽しんでいたりもする。
今回ニナも禁酒に乗ってくれたので、すごくやりやすくて感謝している。僕が禁酒してる横でニナがごくごくバーボン飲んでる姿を想像するだけで、何とも萎えるもんなぁ。
というわけで、まだ今日からだけど、禁酒生活スタート。二週間後に飲むビールの味を想像しつつ、ドライな夜が更ける。
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【インスタント】
「インスタント」という言葉、訳すと「即席の」ということになるんだろう。
インスタント・カメラ、インスタント・ラーメンなんてところが代表格なんだろうけど、これって企業としては「インスタント」を「簡単な」とか「お手軽な」とかぐらいの感じで、つまりどちらかというと好意的な訳がつくという前提で採用しているんだよねきっと。
でも僕自身は、「インスタント」というと、何だか「軽薄な」とか「安っぽい」というイメージがあって、あまり好きな言葉ではないから、したがって「インスタント・ラーメン」なんて言われると、すごく食べたくなくなるし、「インスタント・カメラ」と言われると、ひどく映りが悪いカメラなのかな、などと思ってしまう。ソフトをインストールしようとして、「インスタント・ウィザード」なんて出てくると、「意地でもカスタムでインストールしちゃる」と意地を張ってみたりもする。
で、突然話が飛躍するのだが、僕が高校生の頃に活動していた「Boowy」というバンドの2ndアルバムの中に、「Instant Love」という曲がある。この2ndは、Boowyのアルバムの中では恐らく一番地味で、多分一番売れなかったアルバムなんじゃないかと想像するんだけど、僕は非常に気に入って聴いていた時期があった。
Boowyの歌詞の英語というのは、ゾッとするぐらいデタラメで恐ろしいのだが、この「Instant Love」に限定して考えると、僕が思い浮かべる「インスタント」と彼等の思う「Instant」は、なかなかうまく噛み合っているらしい。
いや、Boowyのやっていたロックもかなり「インスタント」な感じなんだけど、あの曲の暗さが好きなのかもしれない。メジャーになってからはすっかり明るいロックになってしまったが、1stと2ndで時折見せていた、いかにも演歌っぽい安っぽさこそ、まさにBoowyの奏でるインスタント演歌ロックという感じで、なかなか悪くない。
僕はカップ・ヌードルも好きだし写ルンですも使うし、Boowyのレコードも(今は聴かないけど)持ってる。でもやっぱり「インスタント」という言葉はどうも好きになれない。すごく抽象的にしか言えないんだけど、きっとインスタントさを追及するには、その代償として人間としてのプライドの一部をそぎ落とさなきゃならないからなんだと、僕は思っている。
何だか大袈裟な話になったな。
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中島らも、「今夜すべてのバーで」読了。←大酒飲み必読だーぜ
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今日の体重:94.0キロ(今週末の目標:93.0キロ)←(ダイエット決意時の体重は96.4キロ)
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