ピアノとはとっても古いつきあいです。4歳だか5歳だかの頃、初めて家に来た茶色いアップライト。その後高校生の時に買ってもらったグランドピアノ。
しかし実はそれほどピアノが大好きだったことはなく、ピアノ科の学生さんのように1日中練習に明け暮れたこともありませんでした。
それでも一応ピアノの仕事をするようになったりしたので、その時のそれなりに努力はしていたつもりでしょうが、何というか,心の奥で本質的に感じていた違和感のようなもの・・・があったような気がします。
ピアノに対する苦手感、何か言いようのないもどかしいかんじ。それが何なのかはっきり自覚してはいなかったけれど、いつもピアノに向かうたびにがっかりするような感じがあって、自分の中ではそれを「私は下手なんだ、向いてないんだ」という結論にしていたような気がします。
じわじわと疼いていたそんな違和感がだんだんと自覚できるほど大きくなり、いよいよ「ピアノっていう楽器が嫌い。もう弾きたくない。だから弾くのやめる。」というところまで行ったのが数年前。
もともと「ホントに嫌だったらやめていいんじゃん?」という人生の道の選び方をしてきて、けっこうそれが間違っていないという実感があったので、この時もほんとに弾かないことにしちゃいました。
何日もピアノに触らなくてもぜーんぜん平気!だって元々ピアノなんて好きじゃないもーん!・・・なんて。
そんなある日ふと思った。
嫌いなのはピアノなのか、この楽器なのか?
つまりあの時から長年のつきあいだったウチのピアノ。考えてみれば時々「こういう音イヤなんだよね。なんとかなんないのかな〜」と感じていたことがあった。
でもそういう楽器なんだからそれ以上どうにもならない。というところで思考は止まっていて、そんなことより自分の努力の問題でしょ、と思っていた。
さらにもっと考えてみれば、仕事先の会場やスタジオのピアノを弾いたときは嬉しい時もあった・・・アレ?するってぇともしかして問題はこの楽器!?
不思議かもしれませんが、初めてそういう考え方に気がついたのです。
恥ずかしながら「楽器なんて多かれ少なかれどれも一緒でしょ。どんな楽器だって気にしないっすよ」ぐらいに思っていたのでした。
そこらへんが根っからのピアニストではないなあ、というところでもありながら、一面「どんな現場のどんなピアノでも受け入れて弾かざるを得ない」というピアニストの宿命を極めて忠実に受け入れていた、ある意味とてもピアニスト的であったとも言えるかもしれません。
しかし、気づいてしまいました。
「この楽器がイヤだったんだ!話が合わない。気持ちが通じない。どんなにがんばってもすれ違いばかり。愛せない。そもそも合う相手じゃなかったんだ。」ということに。
何事も現状を認めたところから、初めて変革が始まるものでございます。そうだったのか〜、というある意味「スッキリ感」とともに、「私だって、できるものならピアノと心を通わせてみたい。ピアノと仲直りしたい。」という気持ちがわいてきました。ここで初めて出てきた選択肢。
じゃ、ピアノ買い替えれば?
そうだ!買い替えればいいんじゃん!
無自覚に「1度買ったピアノは一生もん」みたいに思い込んでいたけど、実は買い替えってアリだった。考えてみれば絶対に無理な買い物ではない。
ただし、「ウチの楽器が合わないからピアノが嫌いになった。楽器を替えれば解決するはず。」というその仮説が正しかったかどうかは、新しい楽器が来てからわかること。だけど、ここで流れを変えたかった。賭けてみたいと思いました。
というわけで20余年のおつきあいを清算し、ピアノとの仲直りを願って去年買い替えたのがディアパソンというメーカーのピアノです。
あまり知られていませんが日本製で、その昔大橋さんというこだわりのピアノ設計者がこだわりのピアノを作りたくて興した会社ですが、そのこだわり故に経営に行き詰まり、大手メーカー・カワイの傘下となって、今はカワイの工場で作っています。
べつにヤマハやカワイがだめだというわけでは全然ないですが、ちょっとマイナーなとこが好きな私には何かが響きました。
私が買ったのはD164Rという小さいサイズのグランドピアノ。
決して高級なラインナップのものではありませんし、小ささゆえの限界ももちろんあるのですが、何より触った時に気持ちが通じる相手なのかどうかを確かめて選ぶようにしました。具体的に言えばタッチと音色、プラス見えない何か、サムシング。
そうして我が家に来た新しいピアノを弾くようになって、やっぱりこの選択は正しかったと思いました。
とにかく触って音を出すだけで気持ちがよいというのは何よりです。楽器と気持ちが通うというのはこんなに嬉しくスッキリするものなんだなあ、ということがよくわかりました。
なんだ、ピアノ、嫌いじゃなかったかも。
結局、普段触れているものが、少しずつ自分を作っていくのでしょう。
この気持ちでピアノに向かっていることが、これからどんな未来につながっていくのか。まだわからないけど、ゆっくりじっくり、自分の中で何かを育んでいきたいと思っています。