ちょっと早いですけど、今年を振り返るとつくづく、今年は「変化」の年だなーって思います。しかも「ちょっとこのへん変えてみました」というような表面的な変化ではなく、これまで立っていた足場からガラガラと変わっていくような変化。
大きなところでは、オバマ政権の誕生、鳩山政権の誕生ですよね。
これも、これまでだったら考えられないものが、本当に現実になってしまった感があります。
そしてそれによって、「これまでだったら考えられないこと」の数々が言葉にされ、行動にされていくのを、いくつも見せられて来た今年でした。
例えば「これまでなんとなく感じていたけど、そんなこと言っても仕方ないし、そういうもんなんだから動かないだろうし、言うことじゃないんだろうな。」と思ってあんまり考えなくなっちゃったようなこと。
それが鳩山政権になったとたん、おおっぴらに言い出されて、
「えーっ、それって言っていいんだ!? へーそれって動くんだ!?」
って思ったこと、ありません?
私にとっては例えば「ダム中止」とか「羽田ハブ化」とか「選択的夫婦別姓」とかの議論が、そんな感じで新鮮でした。
その結論については色々な側面で是非がありましょうから、どちらが良いとすぐに言えることではありませんが、少なくとも、それが議論になり動く可能性が出て来たということ自体、これまでではありえなかったことのように思います。
基本的に人間は変化を嫌うという性質があると聞いたことがあります。
事の是非以前に、これまでのことが変わる、というそれだけで抵抗感一杯になってしまう人達も、もちろんたくさんいるでしょう。
しかし同時に、「変わる」ということに憧れ、希望を感じる気持ちがあるのも人間でしょう。
そんな「変化」に対する幾多の思いを巻き起こしながら、しかし、四の五の言わずにガーーッと地面ごと持ってっちゃうような、時代全体の風が押し寄せたような今年だったなーと思うのです。
・これまでのことが通用しない。
・これまでこうだったのに、今年はもう違っている。
・これまでこうだったからこれからもそうだと思っていたことが、思いもよらない形で終わった、あるいは壊れた。
・これまでこうだと思っていたけど、もうそう思わなくなった。
どうやらこれって、世界的社会的な事柄だけでなく、極めて個人的な生活や精神のレベルまで、その変化の風が吹いているのではないかと思われてなりません。
実際、私自身の今年はそんなことの連続でした。また私の周りでも、今年激動の変化を経験した方が少なくありません。
それは時に、全く新しい体験であったり、痛い経験であったり、大きな喪失であったり、先の見えない葛藤であったりする。
そうやって「これまで」という自分の足場がガラガラと崩れてしまうと、宙に放り出されたみたいになって、一瞬上下左右が全くわからなくなり、自分がどっちを向いたら良いのかさえわからなくなる。これはしばらく真っ暗続きでつらい期間です。
しかし、だからこそ、そこでギアチェンジできるのでしょう。
というか、せざるを得なくなる。そうでないと先へ進めませんからね。
そしておそらく、そうやってフーフー言ってたどり着いた新しい場所が、実は「これまで」よりずっと、自分にとって良いところだったりするのかもしれません。
そしておそらく、それは「これまで」の自分があまり考えたことがなかった、でも本当は心のどこかで望んでいたところだったりするのかもしれません。
そんな新しい場所を、そろそろ見つけ出した人達がいるのを感じます。
まだわからないけど、私も見つかる予感だけはしています。
これはあくまでも自分の感覚に過ぎませんが、きっと世界全体に風が吹いているってことは、多かれ少なかれ皆も同時にその風を受けているってことなんじゃないか、と。
だから、同じような経験をしている人が、何人もいるんじゃないかって思うと、「きっと大丈夫」って思う。
変化というのはワクワクする。
たいへんかもしれないけど、変化する方にかけてみたいと思いますね。