東京都江東区にある「亀戸天神社」に参拝してきたのでご紹介します。
こんにちは。ビジネス書作家・ブロガー・心理カウンセラーの立花岳志です。
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僕は日本人として日本の歴史や文化、そして日本の神様を大切にしています。
訪れる先に神社があれば極力参拝するようにしています。
この日は江東区西大島の「手打ちそば 銀杏」というお店でランチ会のあと、みんなで亀戸天神社に参拝しました。
【関連情報】手打ちそば 銀杏(ぎんなん)訪問レポート 〜 西大島の住宅街に潜む行列ができる人気そば店のランチが素敵だった!!
ちなみにこの日2021年3月31日は、天赦日 x 一粒万倍日 x 寅の日という大吉日でした。
さっそく紹介しましょう。
亀戸天神社 基本情報
神社名 | 亀戸天神社 |
---|---|
住所 | 東京都江東区亀戸3丁目6番1号 |
電話番号 | 03-3681-0010 |
創建年 | 1661年(寛文元年) |
ご祭神 | 天満大自在天神(菅原道真、菅公) 天菩日命(菅原家の祖神) |
入場料 | 無料 |
駐車場 | なし |
ウェブサイト | 公式サイト |
亀戸天神社 御由緒
以下、Wikipediaからの引用。
正保年間(1644年 – 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。
当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして1662年(寛文2年)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰府天満宮に倣い造営された。本殿の扁額は、御本社である筑紫国太宰府天満宮宮司であった西高辻信貞による揮毫。
古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1873年(明治6年)に府社となり亀戸神社、1936年(昭和11年)に現在の亀戸天神社となった。
亀戸天神社 地図とアクセス
JR亀戸駅、JR・地下鉄錦糸町駅から、それぞれ徒歩15分。
最新!亀戸天神社 1回目の参拝レポート!2021年3月!
参拝日と参拝形式
2021年3月31日(水)に社頭参拝。
当日の様子
▲ やってきました、亀戸天神社。
通称は「亀戸天神」、「亀戸天満宮」「東宰府天満宮」など。
僕はずっと「亀戸天神」が正式名称なのかと思っていた。
▲ 町角みちしるべには、「亀戸天神」との表記が。
▲ 境内には2つの橋がある。これは男坂の上から撮った写真。
太鼓橋になっていて、境内にびっしり植えられている藤の棚が一望できる。
この日はまだ藤は咲いていなかったが、満開になったらここからの景色は素晴らしいだろう。
▲ 本堂にやってきた。
学問の神様だけあって、おびただしい数の絵馬が奉納されていた。
その多くが受験の成功の祈願だろう。
▲ 天赦日 x 一粒万倍日 x 寅の日という大吉日に未来のビジョンを描いて参拝。
おまけ
▲ 亀戸天神社のすぐ近くには、葛もちで有名な「船橋屋」がある。
今回は時間の都合で立ち寄れなかったが、次回はこちらにもお邪魔したい。
この日のまとめ
亀戸天神に最後に参拝したのは恐らく6〜7年前。
久し振りに参拝できて良かった。
神社巡りもコロナ以降ペースダウンしているが、また徐々に復活させていきたい。
参拝しないとブログ記事も書けないしね。
東京神社情報はこちらにもたくさん!もう1記事いかがですか?
著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。