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やっぱり目標は達成すると気分がいい

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今日で2021年10月が終わる。

今月はブログ100記事更新、ランニング100km出走、筋トレ128セット実行などの目標を掲げた。

今月だけでなく、今までも月初に目標を掲げてはいたのだが、ここ数年の僕は「目標達成にこだわらない」という方針を掲げていた。

なので、目標が未達成でも「まぁそれでもいいんじゃない。だってやりたくなかったんだから」というスタンスでやっていた。

いつから「目標達成してもしなくてもどっちでもいい」というスタンスになったかはハッキリ覚えていない。

ただ一つ言えることは、心の学びを本格的にスタートした2013年ごろに大きな変化があったと言うこと。

それまでの僕はサラリーマン時代の習性もあり「目標を掲げたら絶対に達成する」という姿勢だった。

そして「効率こそ命」と考え、一分刻みのタスク管理を導入したりしていた。

自分の感情を捨て、機械のように冷静かつ正確にタスクを実行し、目標を達成することが最善と考えていたのだ。

ところが、心の学びの場では、僕のサイボーグ的な性質が「非人間的」と捉えられた。

「モビルスーツを着てるみたいだ」と言われ、僕自身もその後の学びの中で、いかに自分が感情に蓋をして機械のように振る舞っていたかが良く分かった。

その辺から、僕は自分の中に強く持っていた「目標達成志向」を捨てたように思う。

以前からの習性で目標は掲げることは掲げるが、達成にこだわらない。

達成にこだわらないと、目標はなかなか達成されないものだ。

だから成果が出にくくなる。

でも、確かに心は非常に穏やかで、「そんなに目くじら立ててがんばらなくてもいいんじゃない」という感覚で生きてきた。

以前の、タスクに追いかけられ常に追い立てられているような切迫感はなくなり、心は穏やかになった。

しかし最近になって、ちょっとその状態が物足りなくなってきている。

目標を立てても達成しないのなら、目標を立てる意味があまりない。

それに自分で目標を立てていても、本人に達成しようという気概がないので気分が盛り上がらない。

心の学びは確かに有効だったし、僕自身以前の自分に戻りたいとは全く思わない。

しかし、目標達成が得意技だった僕が、 得意技を封印するかのように放棄してしまっているのはもったいない。

そう感じ始めた僕は、今月は久しぶりに目標達成にこだわることにした。

ブログ100記事更新、ランニング100km出走、筋トレ128セット実行という目標だ。

筋トレとランニングはすでに目標達成し、ブログもこの記事を含め残り2記事で100記事になる。

久しぶりに目標達成にこだわってみて、やはり目標は立てたからには達成する方が気分がいいし、毎日が盛り上がるっていいなと感じる。

今の僕が多少目標達成にこだわったとしても、以前のサイボーグのような「感情がない」という状態にはもう戻らない自信がある。

来月以降も「なりたい自分」に向けて目標を掲げ、その達成にこだわってみようと思う。

やっぱり僕は、目標達成志向なんだと今月つくづく思った。

サイボーグのように感情を殺している「目標達成マシーン」ではなく、活き活きと生きる生身の「目標達成マン」として頑張ってみようと思う。

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