僕たちは、なぜFacebookに惹かれるのだろう。
Facebookに惹かれて
決して分かりやすいとは言えないユーザーインターフェイス。
時々何をやろうとしていたのか自分でも分からなくなる、迷路のようなアーキテクチャ。
「高機能」と言うけれど、とても使いこなせない、難易度の高い数々のモジュール。
徹底した実名主義で、匿名利用者を強制排除するような態度の大きさ。
僕自身Facebookにアカウントを作成したのはかなり早かった。
でも、多くの人と同じように、操作性や機能にうまく馴染めず、しばらく放置して、ただTwitterのツイートを流しているだけだった。
ところが、去年の夏くらいから、徐々にFacebookを使う機会が増えてきた。
そして使い始めて操作性や機能に慣れてくると、ずぶずぶとその世界に引き込まれるようになっていった。
その過程で僕は何冊かのFacebookに関する本を読んだ。
操作説明的な初級本も読んだし、一歩進んでの中級本も読んだ、そしてビジネス利用の本も読んだし、パーソナルブランディング本も読んだ。
でも、何かイマイチ腑に落ち切らない部分があった。
操作はできるようになったし、活用法も普通の人よりは身につけた。
でも、自分の中で「Facebookってここが好き!」という「キメぜりふ」的なものがなく、しっくりきていなかったのだ。
そして今回小山龍介氏と松村太郎氏の “Facebook Hacks!” を読んで、その「もやもや」が、かなり晴れたように思う。
そこがスッキリすることで、僕のFacebookの使い方が、また一歩進化するのではないかと期待しつつ、この文章を書いている。
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オンからオフへ、オフからオンへ
日本で顕著な現象として、「ネットは匿名」という風潮がある。
恐らく2ちゃんねるの爆発的流行により、この風潮が決定づけられたのだと思う。
ネットは匿名で、何を書いてもいい。
そう考えて行動する人が日本には多かった。
欧米のネットの掲示板に最初に行った時は驚いたものだ。
アイコンは自分の顔出し、ハンドルではなく実名が当たり前。
そこで皆がすごい勢いで自己主張して議論していたのだ。
多分2000年かもうちょっとあとくらい。まだSNSは存在せず、ばらばらに掲示板が乱立している時代のこと。
そんな匿名ネット社会だった日本にも、SNSの波がやってきた。
mixiからTwitterへ、そしてFacebookへと僕らは拡散していく。
そしてその過程で、僕らは自分のホームグラウンドを持ってのネット活動に少しずつ慣れていった。
Twitterで発言するためには、ネット上に自分のプロフィールや過去の発言を晒さなければならない。
2ちゃんねるに「名無しさん」として書き込む際にはなかった「責任」が生まれたのだ。
そしてその結果、Twitterは「荒れにくい」という雰囲気が醸造されていった。
そして、Facebookでは、さらに一段進めて、僕らは自分の顔や氏名、学歴や職歴までをネットに晒すことになった。
Facebookを利用しないという人のなかに、この「実名」「顔出し」が嫌だ、という人が多いのは当然のことだろう。
だが、そのハードルを越えてでもFacebookを利用しようという人が増えている。
顔出しだからこそできること。
実名だからこそ話せること。
「リアルライフが表」「ネットは裏」というパラダイムが急激に変化した。
そして僕らは、「オンからオフ」へ、そして「オフからオン」へと、お互いの関係を自在に行き来するようになりはじめた。
その日知り合った人と名刺交換し談笑し別れる。
帰宅したらFacebookで相手の氏名を検索し、相手に友達申請をする。オフからオンへ繋ぐ。
Facebookで知った小山龍介氏のセミナーに参加し、旧友の小山氏と15年近くぶりに再会し名刺交換して、懇親会で語り、酒を飲んだ。
そしてたくさんの初対面の方達とセミナーでお会いし、名刺交換させていただいた。
オンからオフに繋ぐ。
このオンとオフの行き来のスムーズさが、Facebookは抜群に優れているのだ。
「絆」の時代のFacebook
高度に情報化された社会で僕らは生きている。
知りたいことは検索すればたいてい分かる。
著名人の動静も、遠い北アフリカで独裁者が殺害される現場も、瞬く間に世界に共有される。
だが、僕らは情報化の代償として、「プライバシー」という概念を押し付けられてしまった。
僕らが子供の頃には当たり前の存在だった学校や職場の「名簿」も今は作成できなくなってしまった。
「知られたくない人もいるから」ということだ。
個人情報は「隠すもの」。
そして、隠さないと悪用されるという概念が、いつの間にか僕らを覆ってしまった。
そしてそれは無理もないことなのだ。
大家族が消え、核家族化する都会の社会。
住民が流動化したために、隣に住んでいる人が誰かも分からない。
そしてその空洞のような無関心社会で繰り返される犯罪。
人々は自分を危険に晒す可能性を感じる情報はすべて隠し、鉄面皮のように無表情に街に出るようになった。
でも、そこには確かに「渇き」があった。
人と人の「絆」を強く求める、人間本来の「渇望」だ。
そして、その渇きを癒す仕組みが、Facebookの「実名」「顔出し」にはある。
「自分も顔を出し本名なのだから、あなたも顔を出そうよ」
これがFacebookの約束ごとだ。
Facebookにログインすれば、今日知り合ったばかりの人の出身地や学歴、お気に入りの音楽や作家、もちろん今までのウォールへの書き込みや「いいね!」の履歴まで、僕らは一瞬にして知ることができる。
僕らはFacebookに人生を晒し合って生きるようになった。
責任あるネット。
だからこそ、僕らは心を許し、「この人ともっと話しをしてみたい」「この人と一緒に何かはじめてみたい」という、人間本来の「繋がり」を「深化」させることができる。
Facebookには、もちろん情報を求めて人々は集まってくる。
だが、僕らは情報だけを求めてFacebookにアクセスするのではない。
情報とともに一言書かれた、あなたの言葉に触れにくる。
あなたが今日何を思ったか、どこに行ったのか、どんな景色を見たのか。
あなたとの繋がり、絆を求めて僕らはFacebookにアクセスし、「いいね!」をクリックするのだ。
Facebookは「絆」を深めるメディアだ。
しかもその繋がりを広めていくことができる。
リアル社会では人々は「赤の他人を信用するな」と教えられる。
Facebookを経由すれば、相手はもう赤の他人ではなくなる。Facebookを見ればその人のことが分かるからだ。
だからこそ、僕らはリアル社会で失われた「絆」を再構築するために、Facebookを使うのだ。
まとめ 「場」としてのFacebook
この本には、そのような「絆」を深めるSNSとしての特性を持ったFacebookをいかに活用していくかについてのTipsやノウハウが詰まっている。
僕はかなりの数のFacebook関連本を読んできたので、すでに知っていることもあったし、さすがと感じる目新しいことも書いてあった。
あなたがもしFacebookを現状ではうまく使いこなせておらず、これから200%活用したいと願うならば、まずはFacebookという「場」に自分を馴染ませることから始めてはどうだろうか。
僕自身が活用してみて良く分かったことだが、FacebookにはFacebook独特のリズムがあり、人々が醸し出す共有感がある。
Twitterともmixiとも、もちろんGoogle+とも違う、ユニークな「ノリ」だ。
この「ノリ」に身体と心が馴染むことで、あなたのFacebookがもっとずっと楽しくなる。
まずはたくさん「いいね!」を押してみる。
そしてTwitterとの自動連動を切ってみる。
プロフィールを本名にして顔写真に自分のとっておきの笑顔の写真を使ってみる(プライバシー設定はちゃんとしよう)。
もっとたくさんやるべきことはあるのだが、それはこの本に全部書いてあるからご安心を。
「絆」の時代のFacebook。ついにネットはリアルの一部として認知され始めた。日本でさえも。
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著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。