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職業としての小説家 by 村上春樹 — 読み終えるのがもったいない 至宝の自伝的エッセイ

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村上春樹さんの自伝的エッセイ、「職業としての小説家」のご紹介。

僕は村上春樹さんの作品が大好きだ。

ただ、なんでも好き、というわけではなく、どうも傾向がハッキリしている。

特に好きなのは長編小説と、長編エッセイだ。

短編小説やショートショート、それにノンフィクションなどもあるし、春樹さんは翻訳者でもあるので、彼が翻訳した作品も膨大にある。

それらの中でも僕が特に好きなのは、長編小説と、そして長編のエッセイだ。

今回の「職業としての小説家」は、まさに僕が一番好きな、長編エッセイになる。

発売を心待ちにして、ゆっくり味わうように読んだ。

ちなみに表紙の写真は、アラーキーこと荒木経惟さんによるもの。

さっそく紹介しよう。

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職業としての小説家 by 村上春樹 — 読み終えるのがもったいない 至宝の自伝的エッセイ

小説家村上春樹が生まれた瞬間

春樹さんが小説を書くことになったきっかけについてや、デビュー作における小説の技法については、いくつかの断片的な情報が今までもあった。

でも今回この「職業としての小説家」で、春樹さん自身の言葉できっちりとその誕生秘話が語られたのは、とても良かったと思う。

1978年4月、当時29歳だった春樹さんは、神宮球場にプロ野球ヤクルト vs 広島戦を観に行っていて、先頭打者がヒットを打った瞬間に、「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と突然思ったという。

面白いのが、もともと作家志望だったとか、小説以外の文章を書いていたなどの経験や兆候が、それまでまったくなかったということ。

大学卒業前からジャズを流すバー的なお店を経営し始めていた春樹さんは、そのとき突然小説を書こうと決めたのだ。

そして彼はデビュー作「風の歌を聴け」の執筆に取りかかる。

ここで非常に興味深かったのは、以前から噂では聞いていた、文体について、具体的な記述があったこと。

春樹さんは自分が書いた原稿を読み返したが、あまり良いと感じられなかった。

思案の末、彼はタイプライターを引っ張りだし、小説の最初の一章分くらいを、英語で書いてみたという。

そして彼は、限られた語彙で、荒っぽいながらも、英語にしたことで、文章にリズムが生まれたことを実感した。

そして春樹さんは、自分が書いた英語の原稿を、自分で日本語に「翻訳していった」のだ。

この作業によって、あの「風の歌を聴け」の、独特の、乾いてクールな、そしてどこか寂しげな、独特の文体が生まれたのだという。

この話は都市伝説のように噂では知っていたが、本当にそんなプロセスを経て作品が生まれたということを知ることができて、本当に良かった。

 

小説家を志した僕が読んで驚いたこと

この本には春樹さんの小説の書き方がかなり詳細に説明されていて、これもとても興味深かった。

なかでも一番驚いたのが、春樹さんは「1Q84」や「ねじまき鳥クロニクル」のような、長大な作品であっても、事前にプロットを作らず、思いついたまま書いていくスタイルを貫いている、ということ。

思いついたままあんなに長い小説を書いたら、矛盾する部分、重複する部分、整合性がおかしい部分などが大量発生しないのか?と僕は思った。

なぜなら、僕自身20代のときに小説家を目指していた時期があって、僕もプロットを作らずどんどん書いていくスタイルだったのだ。

プロットを決めずにどんどん書いていくと、収まりが悪い場所、矛盾、重複などがたくさん出てくる。

僕はそれらの矛盾や重複が生じてしまうことを、「才能のなさ」だと感じ、それが自分の限界だと諦めてしまっていた。

ところが、春樹さんは、「初稿は矛盾したままで全然構わない」というノリなのだ。

とにかく初稿は思うがままに書き切り、それを徹底的に直して、仕上げていくのだそうだ。

「直す」というレベルではないようだ。2稿は冒頭から全文を書き直していくぐらいの手の入れようだという。

その後もひたすら手直しをして、ゲラになってからも、ゲラが真っ黒になるくらい何度も何度も手を入れるのだという。

「なるほど!」と僕は声に出して言ってしまった。

僕が創作をしているときに欠けていたのは、この視点だった。

僕は誰に言われたわけでもないのに、「初稿で一発で完璧に仕上げねば」という思い込みに囚われていた。

もちろん多少の手直しはしてから文学賞に応募していたが、そこまで徹底的にブラッシュアップするという発想はなかった。

この「執念」の違いが、プロとプロになりそこねた人間の、一番大きな差なのかもしれない。

 

村上春樹という生き方への限りない共感と憧れ

僕は20代で村上春樹作品に初めて触れて、最初は彼の作品の世界観にどっぷりとはまった。

そしてその後で、エッセイを読むようになり、人間としての村上春樹さんのライフスタイルに強く共感するようになった。

僕自身、彼と経歴や嗜好が近かったこともあると思う。

文学部英文科を出ているので英語が分かること、淡々としたライフスタイルの中でコツコツと作業をすることを好むこと、走ることが好きなこと、料理が好きなこと、食べることにこだわりがあることなどだ。

もちろん一つ一つ春樹さんの方が深堀タイプで徹底していて、僕は広く浅くなので、レベルは較べ物にならないのだが、それでも近いものを感じる。

特に、文章を書いて生きて行く、ということに対するプロ意識というか、こだわりには、共感以上の、憧れを感じることになる。

やはり日本を代表する小説家の言葉は徹底的に研ぎ澄まされ、そして深い。

僕は春樹さんより大きく遅れて41歳から、文章を書くことが本業となった。

分野は違うが、彼が本書の中で言っていることは、ビンビン響いた。

僕もさらに精進せねば。

 

まとめ 僕もまた小説を書こう

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この本「職業としての小説家」を読んで、僕もまた小説を書きたいと思うようになった。

まずは20代のときに書いた作品を、春樹式に、全文リライトしてブラッシュアップするところからやってみようか、なんて思っている。

ただ「作家になりたい」と憧れていたときに書いた作品を、46歳の、一応6冊の本を出版し、ブロガーとして4年半生計を立ててきた人間がリライトしたら、それなりの作品になるかもしれない。

そんなことを思わせてくれた春樹さんに感謝です。

僕の「会いたい人リスト」のトップは、もう10年くらいずっと村上春樹さんのままだ。

いつかお会いしたい、そして文章を書くことについて、走ることについてなど、いろいろ語り合ってみたい。

そんな想いがさらに強くなった一冊。

また一冊、定期的に読み返す春樹本が増えて嬉しい。

「職業としての小説家」、オススメです!

 

職業としての小説家のチェックはこちらから!

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