僕の個人的な経験に基づく独白なので、読者にとって読む価値があるかどうかは分からない。
ただ、経験から学ぶことは誰にでもできるのと、極力普遍化して書く努力をしてみたい。
そこに何らかの意味や教訓、そして学びと救いの火が灯れば幸い。
もっとも忌み嫌ってきたものが一番のギフトになった日 〜 過去の再解釈によりBeingはさらに無敵になっていく
ネットにおける「炎上」がとにかく嫌いだった
僕はネットの「炎上」が大嫌いだった。
というか、いまでも炎上は嫌い。
ネットの匿名性を悪用して、あることないことデタラメを書く。
自分の名前で活動している、逃げ道のない人を集団で誹謗中傷し、叩く。
正義感ぶってイヤだと言っているのではなく、生理的な嫌悪感が湧いてくるくらいイヤだ。
そして、僕自身のネット上での活動は、炎上との闘いの歴史でもあった。
僕は1996年にこのブログの前身となるインターネット公開日記を始めているが、初めて数ヶ月ですでに最初の大炎上を経験した。
匿名の人々から向けられる悪意が意味不明で恐ろしく、目を背け、萎縮することしかできなかった。
そして実際、匿名による誹謗中傷には対処のしようがないケースが多く、攻撃される側は泣き寝入りになってしまうパターンが多かった。
その後も、2000年代には、当時住んでいた地区の匿名掲示板で僕を特定して叩くストーカーが現れたり、当時参加していたYahoo!グループにしつこい荒しが現れてつきまとわれたりした。
ブログをスタートし、会社を辞めて独立し、セミナーを開催したり本を出版するようになると、また新しい炎上を体験するようになった。
2ちゃんねるに僕の名前でスレッドが立ち、デタラメの誹謗中傷を書かれた。
さらに本を出版すると、Amazonのレビュー欄にも、本を読んでもいない人からのデタラメな誹謗中傷レビューがついた。
FacebookやTwitterにも定期的にひどいコメントがつき、それらにも悩まされた。
僕は今年でネットで活動を始めて22年になるが、この22年は、僕にとっては「炎上との闘い」の歴史といっても過言ではない。
身近に起こった炎上ではじめて感じた「自分は強くなっていた」こと
最近、自分の周囲でちょっとしたトラブルが起こっていた。
僕は全然当事者ではなく、かなり騒ぎが大きくなるまでトラブルに気づいてもいなかった。
ただ、僕が大切に想っている人たちが巻き込まれてしまい、自分から首をつっこむことにした。
いろんな人とそのトラブルについて話をしていて、僕は小さな違和感を感じた。
「みんな、なんでこんなに傷ついているんだろう?この程度のちっちゃなトラブルで」と。
自分から首を突っ込んだため、僕も一蓮托生で罵倒される側に入ったのだが、不思議なほど僕はまったく動じておらず、むしろ、罵倒している人間に共感していたくらい冷静だった。
何故みんなはあの程度のことで、そんなに騒いでいるんだろう?と思いつつ数日がたった今朝、大きな気づきが降ってきた。
そう、僕は1996年の6.30事件から始まった、一連の炎上を生き抜いてきたことによって、すごく精神的に強くなっていたのだ。
他のみんなが弱いのではない。
だってほかのみんなは全身全霊で書いた本をAmazonでこき下ろされたり、2chに「被害者の会」なんてスレッドが実名で立ったりした経験ないものね。
僕は強くなった。
そして、僕を強く育ててくれたのは、日記リンクス、日記猿人時代から延々と僕に絡みつき、僕に嫌がらせをし、誹謗中傷を送り付けてきた人々だった。
彼らが叩いたおかげで僕はなにくそと思い、さらに大きな人間になって見返してやろうと思ってやってきた。
「ノマドワーカーという生き方」のAmazonレビューに、「資産家の奥さんの父親に食わせてもらってるヒモ」という、事実無根のことを書かれたときには、「誰も文句言えないくらいのお金持ちになってやろう」と誓った。
あんなに忌み嫌ってきた炎上が、僕を育ててくれたのだ。
そして、いまの僕は強いから、大切な人たちを守ってあげられるし、支えてあげることもできる。アドバイスできることもたくさんある。
一番忌み嫌ってきたものが、一番大きなギフトになった。
まさに過去の再解釈だ。
こんな日が来るとは思っていなかった。
もう一つの再解釈 元上司への感謝
今回のトラブルで、もう一つ同時に起こった変化があった。
サラリーマン時代に僕の直属の上司だった男性の「死」への解釈も、大きく変わった。
元上司はアルコールへの依存がどんどん強くなり、鬱を併発し、亡くなった。
その過程、彼が人間を止めていってしまう過程を近くで見ていて、本当に辛かったし、助けられない自分を責めた。
しかし、今回のトラブルで僕の中に、上司への感謝も芽生えた。
あの地獄みたいな日々も、僕を強く育ててくれていたのだ。
人が他人にできることとできないことの線をしっかり引き、まずは自分がしっかりと自分自身であり続けること。
傷ついた人が振り回すナイフで自分も傷つき、ネガティブなループに巻き込まれないこと。
絶対不可侵領域としての自己を守り、その中はどんなときも無敵であり続けること。
元上司はそれを僕に教え、育ててくれたのだ。
そして最大の気づき 「僕は強い。力を抑えて生きなくて大丈夫」
今朝の気づきはまだここで終わらなかった。
そう、僕は「炎上」と「元上司の死」をすっと抱えて生きていた。
ずっと抱えているが、それを「絶対的なタブー」として、暗闇の中に放り込み、封印して生きていた。
先日ブログセミナーに来てくれた盟友真也さんがブログに書いてくれた。
「私が知っている立花くんは、もっと突き抜けていたはずだ、そんな感覚」
そう、僕は「炎上を避ける」ために、全開で生きることを避けきてたのだ。
全開で生きたら叩かれる、誹謗中傷される。
そして自分も元上司のように、いつかは人間としてダメになって野たれ死にするのではないか、という怖れ。
叩かれても反撃できない無力感、人間はみんないつかダメになるという世界観。
これらが、僕の中にブレーキとして存在し、自分を全開にすることを押しとどめていたのだ。
そして気づいた。
ここ一年だろうか、二年だろうか。
僕のところには、もう全然誹謗中傷のコメントは届かなくなっていた。
48歳になり、六本木と鎌倉に家を持ち、母の家の家賃も払い、好きなことをして堂々と僕は生きている。
誰からもとやかく言われる筋合いはない。
汚いことも、ずるいことも一切せず、まっとうに稼いで、まっとうに働いて生きている。
もう僕は恐れなくていい。
僕はもっと全開でいっていい。
僕は強い。僕には力があり、大切な人を守ることができる。
たぶん、僕自身の身体と潜在意識は、もうそのことに気づいていたんだろう。
だから、真也さんは最後に「私は、最後の10分の問いに答える瞬間、「ものたりていた」のだと」と書いてくれたのだろう。
僕自身の顕在意識だけが、まだ無自覚に、弱くて力がないときの僕のまま、縮こまって生きようとしていた。
その怖れを僕は今朝、手放した。
もっとも忌み嫌ってきたものが、最大のギフトだったと気づいた朝。
そしてこの文章を書き終えて、OSHO禅タロットを引いた。
出てきたカードが、写真のBreakthroughだった。
向こう側に突き抜けよ!!
そう言われていると僕は感じた。
怖れを手放して、向こう側に突き抜けよう。
著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。