読書記録 2002年


本を読み、読んだということを記録するという、何の取り柄もないようなページですが、始めて6年目ともなると、歴史を感じる領域に入りつつあります。開始した当初と今とでは読書の傾向も勢いも変化していますが、これからもぽつぽつと書き続けて行きたいと思います。


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02034 「寺島町奇譚」 滝田 ゆう ちくま文庫

読み始め:020914 読了:020914

コメント:◎

寺島町は、玉ノ井私娼窟があった場所。そこで育った作者の少年時代の想い出を、街並みや人々の姿と共に描き出している漫画。

子供の視点から見た、娼婦の人生の儚さや、男達の欲望の姿など、また、玉ノ井の当時の街並みや私娼窟の様子などが実に活き活きと描写されていて、まるでこの時代の寺島町に投げ込まれたかのような錯覚を覚える。

最終回のエンディングでは、思わず涙が溢れそうになる。名作だ。


02033 「日本の歴史09 頼朝の天下草創」 山本 幸司 講談社

読み始め:020901 読了:020909

コメント:○

講談社の「日本の歴史シリーズの10冊目。頼朝が鎌倉幕府を開くあたりから、北条時頼の時代までを網羅している。

この時代については、高校の日本史の授業で教科書を読んで以来、ほとんど触れることのなかったせいか、知らなかったことがめじろ押しで非常に面白かった。詳しい人が読んだら「アホめ」と叱られるかもしれないが、門外漢というのはこんなもんである。

日本は古くから二重権力が好きな国で、摂関や院政という、朝廷内における二重権力は長く続いていたのだが、軍隊を持たない国家中枢がこれだけ長く続いたというのは日本以外ではないのではないだろうか。鎌倉幕府というのはそれまでの朝廷内における二重権力の構造から、一歩進んで、朝廷の外に存在し、朝廷をコントロールする権力として誕生したところが興味深い。また、鎌倉幕府というと頼朝というイメージが強いが、実際鎌倉幕府が「幕府」として全国的な統治を果たすのは、源実朝死後に発生した承久の乱の後であった、というのも新たな発見だった。

いやあ歴史の本は実に勉強になる。


02032 「南の島に暮らす日本人たち」 井形 慶子 ちくま文庫

コメント:◎

読み始め:020729 読了:020729

タイトルからしても、文庫本の表紙の写真からしても、ハッピーな内容をイメージして読み始めたのだが、冒頭現れるのは、唐突な「死」への恐怖である。出版社を経営する著者が首に「しこり」を発見し、癌かもしれないとの恐怖のうちで手術を行い、結果は良性腫瘍だったものの、死と向き合い、結果として自分の人生と向き合うというところから物語は始まる。

著者が向かった南の島はサイパン、テニヤン、ロタ、パラオ、ヤップ。どこも第二次対戦終了まで日本が占領していた地域であり、それらの島々には「戦争」と「死」が露骨なまでに生々しく、50年の歳月を無視するかのように放り出されていた。サイパンの「バンザイクリフ」、パラオの「ペリリュー島」の他にも、サンゴ礁に沈む日本の貨物船や、ヤップ島の老人が経営する食堂の店に大切に保存されている、日本人兵士達の名前が刻まれた砲弾などが、病み上がりの著者に、南国で活き活きと生きる日本人との対比として、常にその地で若くして散った兵士達へと思考を向かわせている。

読み始めた人はすぐに気づくと思うが、この本はガイドブックでもないし、「南の島に暮らす日本人たち」を紹介したドキュメンタリーでもない。この本は著者、井形慶子の死と再生の物語であり、著者は自らの体に刻まれた傷と共に旅立ち、南の島で様々な生と死に触れ、そして再生するのである。繊細すぎる著者の視線は南の島の輝く太陽や青い海には向かわず、そこで暮らす現地の人々の貧困や荒廃、さらには島々がかつて日本に支配されたという事実への気後れ、という方向にばかり向かっているのだが、それらは彼女が直視した死と人生観を非常に良く表現していると思う。


02031 「新編「昭和二十年」東京地図」 西井 一夫・平嶋 彰彦 ちくま文庫

読み始め:020720 読了:020726

コメント:◎

タイトルから想像していた内容よりも、実際のこの本の文章は非常に深くて重かった。地域毎の終戦時の様子の描写は永井荷風などの当時の日記を引用し表現しているが、それだけにとどまらない。各地区が抱える問題を、古くは江戸時代・明治維新から、新しいところではバブルまで、克明に明らかにしていく姿勢はなかなか強烈である。朝鮮人差別やえた・非人の差別、さらにはハンセン氏病に対しての差別など、日本人が歴史の中で行ってきた様々な問題も明らかにしていっている。

読み始めは「何だかとっちらかってるな」という印象を受けたが、読み進めるにしたがって、「これは作戦だったんだ」というのが徐々に見えてくる。非常に重厚な内容で少々疲れたが、実にいい本だと思う。


02030 「私の東京町歩き」 川本 三郎 ちくま文庫

読み始め 020717 読了 020719

コメント:◎

東京大徒歩者として、ずいぶんたくさんの東京の町歩き関係の本を読み続けているが、この作品は秀逸。実に素晴らしい。

この本を読むまで著者のことは知らなかったのだが、どうやら映画や文学の評論家だそうだ。多くの東京歩きの本が、失われた下町ノスタルジアみたいな部分にばかり執着するのに対して、この本は(もちろん失われた下町ノスタルジアもふんだんにあるのだが)、大久保、阿佐谷といった町からスタートして、徐々に下町へと話が展開していく。町を歩き、汗をかけば銭湯に入り、飲み屋があればぶらりと入る。町ももちろん主役なのだが、それ以上に作者自身の感覚を大切にした視点がいい。とてもいい。

「川が見たくなったので川に向かった」。こういうフレーズがたくさん出てくると、その町に立った自分が「川を見たいな」と思う状況が想像できて、とても素敵だ。


02029 「続・下町酒場巡礼」 大川 渉、平岡 海人、宮前 栄 四谷ラウンド

読み始め 020711 読了 020716

コメント:◎

下町徒歩者&飲ん兵衛のバイブル、「下町酒場巡礼」の続編。前編と変わらず、著者3名が下町をくまなく歩き、裏道や路地などでひっそりと営業を続ける美味くて居心地の良い酒場を紹介する。

「ガイド」と呼ぶには店の地図もないし住所も記されていない。これには幾つかの意味が込められている。一つは読者が安易に店に押し寄せ、古くから淡々と営業を続けていた店が一時的に多忙となり、常連が追い出され、忙殺された店が手抜きをし、一時のブームが去ると店が荒れてしまう、というような状況を防ぐため。そしてもう一つは、この本を読んだ読者が下町の路地を散策し、汗をかき、乾いた喉を抱えて店を探すという醍醐味を共有して欲しいため。店に対しても読者に対しても、とても優しく奥が深いポリシーだと思う。

前編と較べて興味深いのは、前編ではどちらかというと店を紹介する黒子に徹していた著者3名が、この続編ではより能弁に自らを語り、主張している点だと思う。実際本に載せた店の数倍の店を尋ね歩き、元来の酒好きも手伝ってそれぞれ体調を崩したいきさつを、お遍路さんの四国八十八箇所の巡礼になぞらえている点もおかしい。

本書をリュックに押し込んでいざ下町酒場へ。


02028 「百日紅」 杉浦 日向子 上下巻 ちくま文庫

読み始め 020705 読了 020714

コメント:◎

「百日紅」は漫画である。今まで漫画を読書記録に入れることはなかったのだが、この作品は入れてもいいように思うので、記録に残すことにした。でもこの作品を入れるなら、サザエさんもリストに入れるべきかもしれないなあ。

時代は江戸の文化文政期、主人公はかの葛飾北斎とその娘、お栄。浮世絵に関係する話もあり、郭に関する話もあり、はたまた妖怪変化に関する話もありと盛り沢山で、基本的には一話完結形式。北斎の住居の汚さから江戸の街並みまで、これでもかというほどの丁寧な描写と、今日では「非科学的」と罵られてしまうような、不可思議な出来事を、不可思議なまま流す時代の潮流。西洋キリスト教倫理観が入り込む明治以前の大らかな日本の姿を必死に再現しようと努力しているのが読んでいて良く分かる。

居候の善次郎や歌川国直などの脇役陣もとても素敵で、何度も読み返してしまった。

この本は同じスピードで通読してはいけない。ある部分はスピード感を出し、またある部分は一コマに30秒をかけ、登場人物が呼吸するスピードで読まなければならない。でもその呼吸の要領がつかめれば、この作品の魅力は二倍にも、三倍にもなるのだと、僕は勝手に思っている。


02027 「大正時代の身の上相談」 カタログハウス編 ちくま文庫

読み始め 020708 読了 020710

コメント:○

大正3年から同11年まで、読売新聞に掲載された、身の上相談の数々を収めたもの。古今東西身の上相談への投稿というのは似たり寄ったりなのだが、やはり男女の関係についての投稿が多い。なかでも目立つのが、男子からの投稿で、結婚したら奥さんが処女じゃなかったので離婚したい、という悩み。現代においても若者の間に処女信仰というのはなくはないと思うのだが、大正時代にはこれは大事で、人事ながらそこまで処女にこだわる男というのが可愛くもあり、情けなくもある。でもこれが歴史というものなんだよなあ。

それぞれの相談に対してアドバイスを返すのは、新聞社の記者さん達。時には優しく、バカな悩み事には厳しいことを堂々と言っていて非常に痛快。さらに、この本の編集者が現代から見たコメントを入れていて、時代のギャップが浮き彫りになってこれがまたおかしい。

でもこれらの悩みを投稿した人々のほとんどが既にこの世にはいないのだと思うと、時の流れが改めて感じられて、ちょいと感慨深い。


02026 「最暗黒の東京」 松原 岩五郎 現代思潮社

読み始め 020628 読了 020705

コメント:◎

明治25年から26年にかけて国民新聞に連載され、民友社より同じく明治26年に刊行された、明治中期の東京最貧民窟のルポである。

新聞記者であるところの著者が、みすぼらしい服装をし、断食の訓練もし、当時東京で最も凄惨な状況にあったスラムに紛れ込み、それら貧民窟に住む人々の実情を赤裸々に綴った、強烈な作品である。

下谷万年町のスラムに突入した著者は、木賃宿に潜入するが、同室に泊まる人々の体から発せられる臭気と、蚤、虱などにいきなり悩ませられ、眠れぬ夜を過ごす。

著者はさらに残飯屋に勤め、軍隊の厨房から出る残飯を大八車で運搬する仕事を行う。残飯屋という言葉の響きも凄いが、その描写も実に強烈である。

あまりにも濃密であまりにも真摯なこの報告は、100年経った東京で読んでも一瞬眩暈がしそうなほどである。かつてこのような状況が東京にあったということがこうして記録に残っていることはとても大切なことだし、これからも残していかなければならない。

蛇足だが、この本はamazonで購入した。手許に届いたのは現代思潮社版の1980年発行初版本であった。発行から22年を経て僕の手許にやってきたことのだと思うと、何やら既に愛着が湧いてしまっていたりする。


02025 「地獄変・邪宗門・好色・薮の中 他7篇」 芥川 龍之介 岩波文庫

読み始め 020623 読了 020627

コメント:○

恥ずかしながら、齢三十二にして初めて芥川龍之介を読んだ。正確に言うと、最初に芥川の文章を読んだのは、先日読了した「大東京繁昌記 下町篇」の記事だったのだが、彼の小説を読むのはこれが初めて。

岩波文庫のこの短編集は、「王朝物」と呼ばれる歴史物の短編。どれもしっかり塗り込めるような密度があり、繊細である。「邪宗門」は中でも緊迫感があって良かったのだが、残念ながら未完である。

歴史の教科書や京極夏彦の小説の中で触れられる芥川の姿というのが、ちょっとだけ理解できたような気がするが、濡れ場の描写が結構リアルで、そのことにも驚かされた。

短い文章でいかに密度を濃くするか、いい勉強になるなあ。


02024 「大東京繁昌記 山手篇」 平凡社ライブラリー

読み始め 020615 読了 020622

コメント:○

昭和3年発行。東京日日新聞に連載された企画物で、下町篇と山手篇がある。山手篇の著者は、島崎藤村、高浜虚子、有島生馬、谷崎精二、徳田秋声、藤井浩祐、藤森成吉、加能作次郎、宮嶋資夫、小山内薫、上司小剣。

関東大震災から約5年、下町篇では失われたかつての街並みを解雇するノスタルジックな記述が非常に多かったのだが、山手篇はその正反対である。震災を機に人々は東京の東から西へと大挙して移動し、それまでは寒村だったような場所が、みるみる都市化の波に洗われていく。道が広くなり、舗装され、デパートができ、都電が通り、と、まさにエネルギーに溢れている街並みの様子がダイナミックに描かれている。個人的には飯倉周辺(島崎藤村)、丸の内界隈(高浜虚子)、神楽坂(加能作次郎)あたりが好みに近い。

面白いのは、上野周辺や神田神保町がこの山手篇に収められていること。僕の感覚だと上野というのは山手というよりは下町という感じなのだが、実際は上の「野」が上野なわけだし、本書の中で紹介されている上野はどちらかというと谷中千駄木方面に近い雰囲気で紹介されており、なるほどそれなら山手だ、と妙に納得させられた。

麻布界隈の記述もあり、しかも小山内薫が書いているので期待していたのだが、非常に短い記事でちょっと物足りなかった。


02023 「赤線跡を歩く」 木村 聡 ちくま文庫

読み始め 020613 読了 0206014

コメント:○

終戦後から昭和33年の売春禁止法施行まで、全国各地に点在した、公認の売春地帯。地図の上で公認地区を赤い線で囲ったことから、「赤線」と呼ばれた。対語となっている「青線」は、公認ではない私娼街だが、こちらは地図に青い線を囲った訳ではなく、単に「赤」に対して「青」と呼んだに過ぎない。

この作品は関東地区を中心に、主に写真で旧赤線地区の建物や街並みを捉えたもの。昭和33年と言えば、1958年。この作品が出版された1998年でも既に40年が経過しており、街並みや建物の風化は激しい。実際作品中でも、一度訪れた時にはまだ残っていた建物が、次に訪れた時には消滅したりもしている。建物の多くは飾り窓やタイルで装飾を施した曲線の美しいもので、最近の風俗点のようなけばけばしさはない。ある建物は旅館として、ある建物はアパートとして、余生を送っている。写真も文章もいいと言えばいいのだが、単調と言えば単調で、もう一捻り欲しかったように思う。赤線地区をくまなく網羅することを意図せずに、もう少し地区を絞って、その分深く掘り下げた方が、ドキュメンタリーとしても生きたように思われる。

さて、赤線と言えば売春である。売春、特に借金のカタに娘を売って郭に軟禁する戦前までの日本の公娼システムについて今更議論をするつもりはない。人身売買は現代においては成立させてはいけないビジネスだし、もはや成立することもないだろう。しかし、売春禁止法が施行されてから40年、日本から売春が駆除されたかと言えば、それは皆が知っての通りである。

禁止されると下品になる、というのは確かにあると思う。アメリカの禁酒法時代、ブートレッガーが密造した酒のどれだけ悪質だったことか。全面禁止が難しい、人間の根源的な欲望に対するフィルターというのは、秩序とクォリティーを持って処すべきではないか、というのが僕の意見である。僕自身は金を払って女を買ったことはないし、今のところ買う予定もないが、売りたいという供給があって、買いたいという需要があるならば、ビジネスとして成立しても、僕は構わないのではないかと思っている。やみくもに、女と性交できる、というだけで裏ビジネスが成立し、その売上げが暴力団の活動資金に流れるのであれば、秩序を持ったシステムを社会や国家が持つことは、それほど悪いことではないように思うのだが、如何だろうか。キリスト教信者の人たちからはもちろん受け入れられない発想かもしれないが、キリスト教国に売春がないかと言われれば、それも皆が知る通りである。人間の欲望は深く、実に際限がない。


02022 「大江戸観光」 杉浦 日向子 ちくま文庫

読み始め 020612 読了 0206013

コメント:○

堅苦しくなく、押しつけがましくもない、庶民レベルで興味本位な江戸紹介の本。浮世絵や歌舞伎、それに遊廓、さらには男色だの男娼だのも飛び出して、非常に楽しいエッセイだと思う。

この中でも触れられているが、キリスト教的モラルが浸透した明治以前の日本においては、性へのアプローチはずっと大らかなものだったそうだ。天保の改革以前は銭湯は混浴ばかりだったし、セックスの対象は異性だけではなく、同性との性交をする、しないというのは、あくまでも個人の嗜好の問題であり、背徳的なイメージはなかったようである。エレキテルで有名な平賀源内は男色の大家であったらしく、「乱菊穴捜(みだれぎくあなさがし)」などという、ものすごいタイトルの冒険小説も書かれているそうだ。浮世絵においても、北斎のような有名人でも、風景ものと平行して春画もどんどん作ってしまうあたり、やはり非常に大らかと言えよう。

時代劇に対して作者が述べている苦言というのは実に的を射ている。最近の時代劇はどんどん時代考証がいい加減になり、ちょんまげさえ結っていれば時代劇、みたいになっているが、街並みや人々の生活を、もう少しリアルに描かないと、衰退の一途を辿らざるを得ないのだと思う。言葉遣いを現代風にするのもいいし、派手に演出するのももちろんドラマだからありだと思うのだが、細かい部分にもう少しこだわると、活き活きとした時代劇というのが生まれるのではないだろうか。

明治維新、関東大震災、空襲を経た今、江戸の街並みや風俗に触れる機会というのはほとんどなくなってしまっているうえに、明治から終戦までの国家神道の時代、戦後からのアメリカ文化一辺倒の時代と、長くかかって培われてきた日本文化を否定する時代が長く続いている。意識して保存しなければ、何もかも消えていってしまう。


02021 「落語百選 秋」 麻生 芳伸編

読み始め 020510 読了 0206012

コメント:◎

落語家がテレビでくだらないことを言っているのを観る機会は多いのだが、古典落語を聞く機会というのは意外と少ないものだということをこの本を読んで実感した。全4巻組で、春夏秋冬に分類されている。

この「秋」の巻は、「寿限無」や「目黒のさんま」など、僕でも知っている超有名どころや、吉原のどじな幇間の哀しさを描いた「つるつる」、繁昌する貸座敷の様子を伝える「五人回し」などの色噺、貧しい旅館の主人と子供を救うべく、旅の大工が彫った鼠の置物が動き出し客を招く「ねずみ」、酒と浮気が祟って女房と子供に逃げられた男が改心し、全うに働くようになって三年後、偶然道端で子供と出会う「子別れ」などの人情噺など、実に盛り沢山である。

噺によっては独り芝居の声色が分からなくて混乱する部分もあり、やはり本来落後は文字で読むものではなく、寄席に繰り出して聞くものなのだと思うのだが、本でも十分楽しめる。江戸っ子言葉と吉原は、落語の中では今日まで生き延びている。


02020 「大東京繁昌記 下町篇」 平凡社ライブラリー

読み始め 020526 読了 020610

コメント:◎

著者は芥川龍之介、泉鏡花、北原白秋、吉井勇、久保田万太郎、田山花袋、岸田劉生。なかなか凄いメンバーである。昭和2年に東京日日新聞に連載された企画が単行本化されたもので、この「下町篇」と「山の手篇」がある。

昭和2年というのは、東京下町が関東大震災によって壊滅的な被害を受けてから、ようやく復興した頃合である。これがどういうことかというと、東京の下町に綿々と伝わっていた江戸の文化が完全に燃え尽きた直後に編纂された本、ということになる。したがって、各著者達はみな失われた江戸文化に対して非常に懐古的であり、感傷的である。そういう意味では、失われたものへのノスタルジーは、いつの時代にも存在するのであり、昭和2年に芥川が目の当たりにした「新しい」下町の風景でさえ、平成のこのご時世に現代の人々が嘆く「失われつつある下町風情」と比べれば、遥かに情緒豊かであった、ということになるのである。結局は明治の人たちは江戸の風景を懐かしみ、昭和初期の人々は明治を顧み、そして今平成のご時世で我々は昭和の世を振り返っているのである。そういう意味で、昭和2年のスタンスに立って、明治を振り返ったというのは、本での経験とはいえ、なかなか面白い。

新聞連載ということもあって、郭関係の記事は非常に少ないが、その中で泉鏡花が州崎遊廓について触れていたのがなかなか面白い。また、感傷的な著者が多い中、北原白秋だけはやたらと元気で、谷川俊太郎みたいな言葉遊びで工業化される下町を表現していて面白い。


02019 「下町酒場巡礼」 大川渉、平岡海人、宮前栄 ちくま文庫

読み始め 020521 読了 020525

コメント:◎

居酒屋でもなくバーでもない。東京下町に生き残る、一杯飲み屋や立ち食い寿司屋などを紹介する本なのだが、これが実に素晴らしい。

飲食産業も規模がどんどん拡大し、利益追求は当然で、効率化と集約化が進む中で、ある店は建物全体が傾いていたり、ある店は体を横にしないと歩けないような路地の奥にぽつんとあったりなのだが、つまみと酒に対する細やかな情熱は大手チェーン店などは足元にも及ばない。

店の紹介は町名までで、電話番号も住所も掲載されていない。これは本に掲載されたことで突然客が押し掛け、需要と供給のバランスが崩れることを防いでいるばかりでなく、美味い店を探して下町の路地裏を散策できる、という読者へのサービスも含まれている。

ほとんどの店で店主が高齢となり、一店、また一店と閉店していっているとのこと。僕もこの本をポケットに突っ込んで、酒場巡礼の旅に出なければならないな、と思った。


02018 「日本の歴史08 古代天皇制を考える」 講談社

読み始め 020512 読了 020520

コメント:○

7つの章を、7人の著者が古代から中世にかけての天皇と天皇制について、歴史の流れに沿って異なった側面から見つめている。

この「日本の歴史」シリーズを読み始めてから、現代の日本と日本人が抱える問題の出発点は平安時代初期の、藤原道長の時代、つまり摂関時代に骨格ができ上がっているのではないかという思いが強くなってきたのだが、この本を読んでその思いが強まった。

古墳時代、奈良時代においては天皇というのは中国の中華思想に対抗する存在であり、また歴代天皇が交代するということは、王朝のシステム自体が変更されるということであった。簡単に言うと、中国の皇帝というのは神からの天命を受けた絶対的な存在であり、周辺各国の王というのは、中国の皇帝に仕える存在となる。が、日本はその中国に仕える「王」としての存在を否定し、皇帝と対等の存在として、「天皇」という存在を作り出したということである。中国の皇帝は神の天命を受けるだけだが、日本の天皇は神の直系の子孫なのだから、インパクトはより強烈である。

ところが中国との国交が途絶し、目の前の外敵がいなくなってしまったことにより、日本は軍隊を持たない国となり、せっかく整備した律令制度も崩壊して、なし崩し的、超適当モードの国へと変質していいってしまうのだ。

そんな中で藤原道長が作り上げた摂関から院政へのシステムは、天皇を個別の権力者から、システムへと変質させていく。天皇が頂点に君臨するという古代のシステムでは、できの悪いやつが天皇になってしまった場合(そして天皇は世襲なのだからできの悪いヤツがなってしまう可能性が結構あるわけだ)世の中がぐちゃぐちゃになってしまう。そこで摂政・関白を置き(後にはまともな天皇が上皇・法皇として天皇を補筆し)、万世一系の天皇を周囲のシステムが補完することによって、天皇はシステムになり、清和天皇や安徳天皇みたいに、4歳だとか7歳だとかで即位ってことが可能になってしまったのである。こうなってくるともはや天皇自身の権力なんてないに等しくて、周囲が祭り上げなきゃただの子供なのであって、完全に傀儡なのだが、それが傀儡に見えないように摂関や院がシステムが守っているわけである。

国として軍隊を持たなかったせいで武士が勝手に成長し、抑えが効かなくなって武士が権力を握る鎌倉時代への流れを見ていても、やってることは開国から第二次大戦への流れにそっくりだな、と思わされる。いろいろと根が深いもんなんだねえ。


02017 「ぼくの浅草案内」 小沢 昭一 ちくま文庫

読み始め 020509 読了 020511

コメント:◎

自他共に認める浅草マニア、小沢昭一が書いた私的浅草ガイド。浅草から東は向島、北は三ノ輪あたりまでを網羅している。地区を6つのブロックに区切り、寺社仏閣から史跡旧跡、うまいレストランからお薦めのストリップ劇場にソープランドにラブホテル、とまあ実に浅草っぽくごちゃまぜに作り上げられている。

地元住民しか分からないようなマニアックな案内も多々あり、つい引き込まれてしまう。ただ惜しいのは、この本が書かれたのが1978年と、四半世紀近く前のものであるということだ。今では完全に埋め立てられてしまった山谷堀がまだ一部残っていて写真が掲載されていたりと、2002年の今読んでこそ面白い部分もあることはあるのだが、史跡旧跡以外の部分については、そのまま今有用かというとそうではない。まあ、どんどん変化し続けるのが街であるわけで、1978年の浅草をそのままスポッと引っこ抜いて本にした、読み物として読む分には非常に面白い。著者自ら撮ったカラー写真も美しくまた生々しく、飽きない。浅草の胡散臭さまでも網羅した、なかなか貴重な本だと思う。旧赤線やストリップ、それにソープランドと、作者が堂々とスケベ丸出しで書いているのもなかなか楽しい。


02016 「ボク東奇譚」 永井 荷風 新潮文庫

読み始め 020507 読了 020508

コメント:△

「ボク」の字は、さんずいに墨の旧字体。変換では出てこないためカタカナで表示した。

旧玉ノ井の私娼街に通う老年の作家「わたくし」と、私娼「お雪」との関係を「淡々と」描いた点描的小説。

なぜ「淡々と」にカギカッコをつけているかと言えば、それは作者が意図的に物語が淡々と進むように意図した結果、淡々としているからである。この作品は小説であり、ドキュメンタリーではないので、倫理的にモノを言ってもせん方無いことである。とは分かっていても、荷風が捉える玉ノ井の情景やお雪の性格などはあまりにも手前勝手であり、この小説が全国津々浦々で読まれ、当時の娼婦という職業について幻想が生まれていたとすれば(そして確実に幻想が生まれていたであろうからこそ)、荷風の意識はあまりにも美や粋に捕らわれすぎて、真実を見ようとしなかったのではないだろうか、と思わざるを得ない。

現代にこの小説を読んだからと言って、当時の娼婦誰しもがあっけらかんと明るく楽しく生きていたと思うような人はいるまいが、売文で生業を立てた男の罪は、没して40年近く経った今も、作品が残るかぎり潰えることはないのだということが、実に良く分かる。

簡単に言えば、カッコつけの情けない男の安っぽい白昼夢なんだが、構成力と文章力があるために、はまってしまったということなんだろう。大宰と共通する部分が多々あるように思う。

好きか嫌いかと問われれば、嫌いなんだが、作品としては非常に良く出来ている。はとバスツアーで浅草名所巡りするみたいなもんかな。ついでに東京タワーも見てさ。


02015 「私説東京繁昌記」 小林 信彦、荒木 経惟 ちく文庫

読み始め 020427 読了 020505

コメント:○

タイトルは「繁昌記」だが、これは作者も述べている通り、反語である。冒頭に述べられている通り、東京でいかに「町殺し」が横行したかを、齢30にして世を拗ねた作者が時には淡々と、時には熱く語った東京衰亡記である。小林氏が文章を、荒木氏ことアラーキーが写真を担当している。

前半は小林氏が物心ついてから住んだ土地を時代順に紹介していき、後半は順不同で名所と言われる場所を紹介していく。途中明治から昭和にかけての東京に関する書籍の紹介がふんだんにあり、興味がつきない。

この本のすごいところは、単なるノスタルジアではなく、今東京で行われている大規模な再開発の問題がどのようなものであり、本来の都市とはどのようなものであるべきかというのを端的に示しているところだと思う。「町殺し」とは著者の命名した東京オリンピック以来の東京の乱開発ぶりを表す言葉だが、この本を通読すると、殺されてしまった町がどのように生きるべきであったかというのが浮き上がってくる。それが何とも切なく、また少しだけ羨ましくもある。僕の世代においては、町が殺されたということすら気づかずに、成人してしまったのだから。

今になってようやく分かる。町が殺されることを指を銜えて眺めなければならない辛さを。自己完結性を失った町が辿る惨めさを。


02014 「東京の下層社会」 紀田 順一郎 ちくま文芸文庫

読み始め 020424 読了 020426

コメント:○

明治から高度経済成長期まで存在した、東京のスラムについて書かれた本。

基本的には、明治から昭和にかけて書かれた、スラムや遊廓、それに女工などについての文献を紹介するという形式で書かれているが、出だしは強烈。明治後期にジャーナリストが浅草近辺や四ツ谷近辺に存在したスラムに潜入した記事の紹介なのだが、残飯屋の記述や木賃宿の劣悪な環境についての記述が凄い。残飯屋なる食い物屋が存在していたことも知らなかったのだが、その匂いの記述が具体的で強烈である。

時代が下り、昭和に入ってからは、切れ味が鈍るが、それでも女工の悲惨な扱われ方についての記事などは恐ろしい。つい数十年前までは、人間が人間をぼろ切れのように使い、病気や怪我で仕事が出来なくなると容赦なく捨ててしまうという環境が、この東京にも当たり前のように存在し、そういう女工が徹夜して作ったタオルや洋服を着て、人びとは暮らしていたのである。本としての品質はいまいちだと思うが、紹介されている内容は鬼気迫るものがある。


02013 「吉原はこんな所でございました」 福田 利子 教養文庫

読み始め 020422 読了 020423

コメント:○

吉原の仲ノ町にあった引き手茶屋、「松葉屋」の女将である作者が内部の人間として見つめてきた、遊廓吉原の歴史と風俗を綴った手記。

引き手茶屋というのは、大見世に通う客がまずは芸者や幇間の芸を楽しみ、酒を飲む場所。大見世では直接客は取らず、すべての客は引き手茶屋を通して見世に来ることになっていたので、大見世と引き手茶屋は切っても切れない間柄。そのせいもあって、作者が語る吉原は、見世や茶屋に都合の良い部分に集中しており、花魁の生活や想いという部分にはほとんど触れられていない。吉原のしきたりや風俗を知るうえでは非常に良い本だと思うが、この本だけ読んで吉原ってのは素晴らしいところだったんだな、などと思っては絶対にいけない。

作者の幼少時代の吉原の描写が一番生き生きしていて美しい。終戦後の記述は非常にあっさりしており、赤線時代の吉原については、作者もあまり思い入れはなかったようだ。


02012 「テニスボーイの憂鬱」 村上 龍 幻冬舎文庫

読み始め 020418 読了 020422

コメント:◎

再読。

ここのところ歴史の本ばかり読んでいて、久し振りに小説らしい小説が読みたくなったので再読。

30歳の土地成金の一人息子が奥さんと家族に隠れて愛人を作り、仕事でも成功をおさめるという話。非常に下世話なのだが実に奥が深く、時々再読したくなってしまう。

何が深いのだろうかと考えてみると、若くて美人の愛人を作るとか、ベンツの450SLCに乗るだとかという、庶民から見れば特権的に見えることを手に入れることによって、得る快楽も増えるが、それと同時に背負わなければならない憂鬱なことも増えていく、ということを実に下世話に、そして端的に捉えているからなんだと思う。

「憂鬱」という言葉の深みが、エンディングに非常に良く表れている。


02011 「日本の歴史07 武士の成長と院政」 下向井 龍彦 講談社

読み始め 020405 読了 020417

コメント:◎

日本の歴史シリーズの8冊目。

平安時代という意味では、前の2冊と時代はだぶっているのだが、この巻では、武士の誕生から成長にスポットを当てている。

平将門の乱、藤原純友の乱から始まり、平家の台頭と白河・鳥羽・後白河と続く院政、平清盛の軍事独裁から源氏の逆襲へ。最後は平家の滅亡と源頼朝の台頭で終わる。

それにしても、日本の腐敗体質というのは、平安時代、特に院政の時代に基盤がすっかりでき上がったんだと改めて納得。武士の台頭にしたって、朝廷が軍隊をまったく持たない構造へと変質してしまったためだろうし、税の集め方なんかもものすごくいい加減だ。せっかく奈良時代に律令制と国家軍隊を整えたのに、肝心の外敵がいなくなってしまったために、ずるずると行き当たり的にだらしなくなっていくのだ。


02010 「日本の歴史06 道長と宮廷社会」 大津 透 講談社

読み始め 020321 読了 020404

コメント:○

日本の歴史シリーズの7冊目。

この本では平安時代の前期から中期にかけてをカバーしているのだが、特に一条天皇と藤原道長を中心とした宮廷と、文化芸術にスポットを当てて書かれている。武士の登場や平将門の乱など、荒っぽい部分については、次巻で特集されるらしい。

文化や仏教などについての記述が多く、ちょいとかったるい感じ。歴史というと、どうしても政治史というイメージがあるせいか。陽成天皇の狂気についてもっと知りたかったのだが、さらっと流されてしまっていて残念。それにしても、一条天皇ってのは、この本を鵜呑みすると、ずいぶん人間が出来てたみたいだなあ。


02009 「日本の歴史05 律令国家の転換と「日本」」 坂上 康俊 講談社

読み始め 020316 読了 020320

コメント:◎

日本の歴史シリーズの6冊目。いや、このシリーズは実に面白いなあ。読み始めたら止まらなくなってしまった。

本巻でカバーされるのは9世紀。8世紀は激動の時期で、平城京から長岡京や恭仁京などを経て、平安京に落ち着くところあたりまでなのだが、9世紀は非常に地味な時期である。中学校や高校の日本史の授業では、恐らくこの平安時代初期についての記述というのは、ほとんどないのではないだろうか。

天皇で言うと、平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳、清和、陽成、光考、宇多、醍醐あたり。非常に地味である。かといって、まだ摂関政治も院政も確立していない。天皇の存在が徐々に形骸化していくのがこの時期で、かといってまだそれを補う体制も十分できていない、というところか。

奈良時代にせっかく作った律令制も、この時期からなし崩し的にどんどん壊れていってしまう。このあたりには作者もずいぶん気合いを入れていて、今の日本のだらしなさの原点はこのあたりからかな、みたいな気がしないでもない。


02008 「日本の歴史04 平城京と木簡の世紀」 渡辺 晃宏 講談社

読み始め 020307 読了 020315

コメント:◎

全26巻のシリーズもの。しばらく間があいたが、これが5冊目(最初が00から始まるので)。00巻が刊行された頃は大きな本屋に行くとどこでも平積みされていたが、最近はすっかり地味に扱われているのは、この手の重厚なシリーズものの運命としては仕方がないところか。

で、この本だが、帯に「策謀と血と祈りのロマネスク」と書かれている。奈良時代がこの巻の範囲なのだが、実に血なまぐさい。天皇の皇位継承を巡る争いが絶えず、こっちで皇太子が殺され、あっちでクーデターの未遂がありと、まあ落ち着かないこと。

非常に面白いのが、奈良時代には、まだ「祟り」とか「呪い」という概念が希薄だったようで、どんどん殺してもあまり気にしていなかったようである。ところが奈良時代も末期になると、それまで散々殺してきたのが祟ったの何だのと大騒ぎになってりしており、何をやってるんだ、と呆れてしまう。

一般の人々の場合、奈良時代にどのような悪さをしていたかなんて記録が何も残っていないのだが、天皇家だからこそ、こんなにいろいろと資料が残ってしまっているというのも、何だかおかしい。


02007 「回転木馬のデッドヒート」 村上 春樹 講談社文庫

読み始め 020306 読了 020306

コメント:◎

現実に他人に起こったさまざまな事柄を、人々は村上春樹に話して聞かせる。そしてそれを彼が文章にした短編集。不思議な味わいがあって僕は好きだ。特に「プールサイド」という短編は、僕の人生の方向性に近い主人公が出てきて、すごくいい。


02006 「鉄鼠の檻」 京極 夏彦 講談社ノベルズ

読み始め 020222 読了 020305

コメント:◎

これも再読。京極堂シリーズにはまると、寝不足になって困るんだよな。これもなかなかの名作。スケールがどんどん大きくなっていき、しかもまだ雑じゃない。素敵だ。


02005 「魍魎の匣」 京極 夏彦 講談社ノベルズ

読み始め 020216 読了 020221

コメント:◎

再読。きっと今は再読の時期なんだろう。新しいものを読む気にならない。

久し振りに再読したが、京極夏彦の中では、この作品が僕は個人的に一番好き。物語のスケールも大きいし、登場人物もすごく際立っている。実に好きだ。


02004 「東京地名考」 上、下巻 朝日新聞社会部 朝日文庫

読み始め 0200118 読了 020215

コメント:○

あれ、この本、二冊読むのに何で一ヶ月もかかってるんだろう。

というわけでこれも再読。昭和50年代後期に発行された本なので、今よりも大分情報が古いのが残念。特に多摩地方については、この頃にはまだ農村的風景を残していたところでも、それから20年近い年月が経ち、今では団地になってしまった場所なども多いだろう。

個人的には、もっと細分化して、マニアックに攻めて欲しかった。全10巻とかにして。それじゃ売れないかな。


02003 「1973年のピンボール」 村上 春樹 講談社文庫

読み始め 020113 読了 020116

コメント:△

今年になってから再読ばっかり。僕の思考とこの作品の波が合わず、何だか読んでてすごく辛かった。いつもはそんなことないのだが、作品の寒々しさが、僕の脳にマイナスに影響した、というところだろうか。タイミング的に、村上春樹とは合わないみたいだ。他の人の本を読もう。


02002 「風の歌を聴け」 村上 春樹 講談社文庫

読み始め 020110 読了 020111

コメント:○

続いて再読もの。いったい何度読み返しているのやら。もはやこのあたりのシリーズは僕の中の歳時記みたいなもので、一定の間隔を置いて読みたくなるようだ。

クールぶりながらもちょっと熱く、若さが表に出ている。なかなか素敵である。デビュー作がこういう小説だと、いいね。


02001 「地図から消えた東京遺産」 田中 聡 祥電社黄金文庫

読み始め 011228 読了 020103

コメント:○

しょっぱなから再読である。明治〜大正〜昭和の時代を彩った、かつて東京の街を彩ったユニークな建造物などを紹介するもの。浅草十二階、新吉原遊廓、菊富士ホテルなど、今となっては伺い知ることのできないものが多く、なかなか素敵。著者のちょっと感傷的な文体も、なかなかそそるのだ。それにしても、祥電社黄金文庫って、すごいネーミングだねぃ。


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