5. お金は労働の「対価」ではない
多くの人は「お金は労働の対価」だと信じている。
しかし、実際はお金は労働の対価などではない。
実際、働くことなくお金を稼いでいる人も世の中にはたくさんいる。
お金には「存在給」と「歩合給」の二つがある。
「存在給」とは、なにもしない自分がもらってもいいお金だ。
あなたが存在しているだけでもらえるお金。つまり、まったく働けず、社会の役にも立てず、何の成果も出していない、赤ちゃんや寝たきりの病人のような状態でももらえるお金、それが存在給だ。
存在給とは、そのまま自分が存在することの「価値」の値段だ。
存在給がゼロ円という人もいる。その人は、そのままの自分は存在しても価値はゼロと思っている。
「存在給(基本給)」が低い人は、自分の価値が低いと思っているので(つまり自分に自信がないので)、もっとがんばって価値をあげようとします(歩合給)。
いっぽうの「歩合給」は、がんばった分だけ、成果を出した分だけもらえるお金だ。
存在給が低い人は、歩合給だけでお金を得なければならないので、常に必死に頑張らなければならない。
頑張るのを止めてしまうと、お金がなくなってしまうと思っているので、いつも必死に働いていて、だからとても大変だ。
この価値観を、書き換えるのだ。
「自分は寝ているだけで100万円くらいもらってもい価値がある」と。
心屋さんはこう書いている。
自分が働かなくても、
価値を提供しなくても、
何もしない自分でも、
いっぱいもらっていいんだ、という考え方に変えて欲しいんです。
心屋さん自身も、以前は存在給は10万円くらいだったという。
だから、足りない分を「歩合給」で必死に集めて頑張っていた。
でも、あるときにこの仕組みに気づき、頑張るのをやめて、「自分には価値があることにしよう」と決めた。
決めて時点では、「頑張らない自分でも価値がある」とは思えていなかったという。
でも、とにかく「そういうことに」したところ、お金が入るようになったという。
大切なのは、「頑張って歩合給を上げるのではなく、がんぱらなくて「存在給」を上げる」こと。
「そんなの信じられない!」というのは、「自分にはそれだけの価値がない」ということを信じているからだ。
自分を貶めず、自分の価値を自分で認めてあげることで、お金は労働の対価、という思い込みから解放されるだろう。
6. がんばるから、豊かになれない
頑張る人は、「頑張らないと豊かになれない」「頑張らない自分には価値がない」と思い込んでいる。
つまり「存在給」が低いのだ。
「働いていない自分には価値がない」と思っているので、常に必死に働く。
必死に働いた分くらいのお金は入ってくるが、「お金はなくなる」「お金はない」という大前提のもと生きているので、ちゃんとお金はどんどんなくなっていく。
嘘のようだが、これは去年までの僕の生き方を現している。
「なくならないように」「破滅しないように」と必死に働いて、ヘトヘトになる。
ヘトヘトになって気を抜くと、たちまち貧乏になるので、また頑張る。
心屋さんはこう書いている。
ちょうど下りのエスカレーターを必死で駆け上がっているようなものです。
全力で上がっている間は上に進みます。
でも休むと、すぐ下に下がってしまう。
いつまでたっても、上に着きません。
その横には上りのエスカレーターがちゃんとあるのに。
「お〜い、こっちに来いよ〜(がんばらなくていいよ〜)」と声をかけてくれている親切な人もいるのに。
頑張るのをやめる、「自力」をやめると、「他力」が入ってくる。
必死で頑張らなくても、あなたには価値がある。もともとある。
だから、あなたが頑張るのをやめると、周りの人たちがよってたかってあなたのために働いてくれ、お金を運んできてくれる。
人間一人の力でできることはたかがしれている。
他力にどんどん頼ることで、頑張らなくてもお金はどんどん入ってくるようになるのだ。
著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。