小説・フィクション書評

ダンス・ダンス・ダンス by 村上春樹 〜「羊」四部作 完結編 羊男がつなぐ「僕」と「世界」のエンディングとは?

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「ダンス・ダンス・ダンス」 1回目の書評記事 2014年1月投稿

僕は村上春樹さんの小説が昔から大好きで、何度も読み返している。

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単行本化された小説は全部読んでいるはずだし、エッセイも単行本に収録されたものは網羅しているはず。

なかでも僕はやはり村上春樹さんの長編小説が好きだ。

僕の書評はビジネス書や実用書を扱うことが多いが、ライフワークとして、村上春樹さんの小説やエッセイを読み返し書評を書いている。

そうしょっちゅうは書けないのだが、年に数本彼の作品を読み返し、書評を書くのを楽しみにしている。

そして今回彼の初期代表作の一つ「ダンス・ダンス・ダンス」を久し振りに再読した。

この作品は僕がもっとも好きな村上春樹作品の一つで、恐らく10回くらいは再読していると思う。

以前は文庫本を持っていたのだが、あまりも再読してボロボロになって読めなくなったので、ハードカバーで買い直した。

それぐらいこの作品は好きだ。

さっそく紹介しよう。

ダンス・ダンス・ダンス by 村上春樹 — 「羊」四部作 完結編 村上ワールドここに完成

「羊」四部作完結編

この本は村上春樹さんの初期「羊」四部作の完結編である。

「羊四部作」は、春樹さんのデビュー作、「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」、専業作家になっての最初の作品「羊をめぐる冒険」、そしてこの「ダンス・ダンス・ダンス」で構成される。

人によっては「羊三部作」という言い方をする人もいる。

その場合はこの「ダンス・ダンス・ダンス」が外れることになる。

そのように括られる理由は、初期の3作品は立て続けに書かれたのに対して、この「ダンス・ダンス・ダンス」はしばらく間があいた。

実際「羊をめぐる冒険」のあと、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と「ノルウェイの森」が間に発表されている。

そのため、初期3作品が出た時点で書かれた書評などが「羊三部作」と紹介していることが影響しているのではないだろうか。

しかし、内容的にはこの「ダンス・ダンス・ダンス」は明らかに続き物として書かれている。

従って僕はこの作品も含めた「羊四部作」というのが、正しい括り方ではないかと思っている。

「喪失」→「再生」に向かう物語り

前作「羊をめぐる冒険」はとても哀しいエンディングを迎えた。

主人公「僕」は大切にしていた友達と恋人を別々の形で失い、すべてをなくすところで物語が終わった。

「風の歌を聴け」から「羊をめぐる冒険」に至る道のりは、常に主人公「僕」の「喪失」がテーマだった。

若さの喪失、無邪気さの喪失、全能感の喪失、60年代という時代の喪失。

大学生として物語に登場した「僕」は、自分らしく生きることができないまま作品を追うごとに年を重ねていった。

そして羊をめぐる冒険で、彼はすべてを失ってしまった。

そしてこの「ダンス・ダンス・ダンス」は、すべてを失ってしまった「僕」が、自分自身を取り戻そうとする「再生」の物語りだ。

村上春樹さんの作品の多くはテーマが「喪失」であることが多いのだが、この「ダンス・ダンス・ダンス」はそういう意味では異色である。

もともと完全に喪失してしまった34歳の主人公「僕」が、自分を取り戻し、自分の愛する人と「つながりたい」と願うこと。

それがこの本のテーマだ。

再生がテーマであるがゆえに、この本は前編を通して温かみが溢れている。

「僕」がダンスステップを思い出すように、作品全体が彼を応援しているかのように感じられるのだ。

ジャンクションとしての羊男

「羊をめぐる冒険」で登場した謎のキャラクター「羊男」。

前作でも彼は重要な役割を担っていたが、この「ダンス・ダンス・ダンス」での彼の役割はさらに重要になる。

羊男の役割は重要なのだが、しかし、それは敢えて明確かつロジカルには語られないスタイルを取られている。

「羊男とは何者なのか?」「彼は何をしていのか?」「彼が住む世界はどこなのか?」

そういった事柄は敢えて漠然と語られる。

非常にリアルで写実的な世界観の中に、「羊男」や「旧いるかホテル的な何か」といった、曖昧かつ「この世のものではないモノ」が、そのまま写実的かつリアルに入り込んでくる。

そのシームレスさと状況と登場人物設定の素晴らしさこそが村上ワールドの真骨頂となっていくのだ。

 

この作品での羊男の役割は「ジャンクション」である。

彼は過去と現在を、この世界とあちら側の世界を、そして生者と死者を、そして「僕」の喪失と再生を繋ぐ回路なのだ。

前作では羊男は山の中を縦横無尽に動き回り、主人公をかく乱する要素も持っていた。

だが、今作での羊男はじっと部屋に閉じこもり、「僕」がやってくるのをずっとずっと待っているのだ。

ジャンクションとしての羊男の役割が、この作品の一つの肝である。

多くの「死」が回復させた「生きること」「愛すること」「求めること」

この作品には素晴らしく魅力的な登場人物がたくさん登場する。

幼なじみで俳優の五反田君を筆頭に、この作品のヒロインであるヨミヨシさん、娼婦のメイ、若く美しい少女ユキ、ユキの父親の牧村拓、母親のアメ、そしてアメの恋人ディック・ノース。

多くの魅力的登場人物が、物語りの進行に合わせて一人、また一人と死んだり姿を消したりしていく。

魅力的な登場人物が死ぬことはもちろん読者にとっても悲しいことだが、そこにはもちろん伏線がある。

彼らは死ぬべくして死んでいるのだ。作品の登場人物として。

札幌のホテルで働くユミヨシさんに好意を持ちつつも、一歩を踏み出すことができず、彼女を残して東京に戻った「僕」。

そして東京でさまざまな事件に巻き込まれ、「僕」は少しずつだが確実に「いま・自分がここに生きていること」の奇跡を体感するようになる。

多くの人の死を経験したことで、「僕」はようやく今自分が生きていることを実感する。

そして同じく今生きているユミヨシさんが存在していること、生きていることの奇跡を受け入れ、彼女を求められるようになる。

人を正面から愛すること、人を求めることができるようになること。

それこそが、「僕」の再生なのだ。

美しきハッピーエンドに乾杯

この物語は見事なまでの美しきハッピーエンドで幕を閉じる。

ここまで華麗なハッピーエンドの作品は、他の村上春樹さんの長編にはない。

多くの村上春樹さんの作品は、エンディングを敢えてぼかして書いている作品が多い。

エンディングの意味を作者が規定せず、読者に投げてしまう手法だ。

代表的なのが「ノルウェイの森」のエンディングだろう。

電話ボックスから電話をかける主人公がどうなるのかまったく分からない状態で作品はブツッと終ってしまう。

「え?それから??」と思わず身を乗り出したくなるような手法だ。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のエンディングも幻想的だが、具体的には「ここから先どうなるの?」と問いかけたくなるような終わり方をしている。

しかし、この「ダンス・ダンス・ダンス」のエンディングは明確であり現実的であり、そして見事に幸福感に包まれている。

僕は村上春樹さんが初期代表作であるこの四部作のエンディングを、このような優しく幸福な形にしてくれたことを心から嬉しく思う。

とても多くの人とものを失ってきた「僕」が、最後にやっと幸せになれた。自分で「僕は幸せになるんだ」と手を伸ばし、ぐっとそれを掴み取った。

それがとても嬉しく、何度読み返してもエンディングが近づくと僕の胸は高鳴るのだった。

まとめ

この「ダンス・ダンス・ダンス」を読み始めると、僕は「いつもの場所に帰ってきた」みたいな安心した気持ちになる。

恐らく、この作品の最後がハッピーエンドであることも要因の一つだろう。

また、中期以降の村上春樹さんの作品は、より「総合小説」へと舵を切るため、内容がよりハードになっていく。

この頃の初期村上ワールドには、「ねじまき鳥クロニクル」や「1Q84」のような、ハードでダークな部分はなく、おとぎ話のように読めるのも良い。

 

僕は定期的に「風の歌を聴け」から「ダンス・ダンス・ダンス」までを通しで読みたいという欲求に駆られる。

今回は一気読みではなかったが、途中ちょっとずつ間を空けつつ、久し振りに四部作を通して読むことができて満足だ。

この作品の続編が書かれる日は来るだろうか?

村上春樹作品の原点「僕」が健在である限り、まだまだ「羊」をめぐる冒険は書けるような気もするのだが、どうだろう?

いつの日か春樹さんがその気になって、ユミヨシさんと「僕」のハッピーエンドな続編を書いてくれたらいいな、などと妄想していたりする。

良い小説。大好きな小説。

まさに村上春樹ワールド全開!

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