「固定観念を書き換える」とは、「悟りの道」に近いかも
僕は間違いなく数年前まで、「自分は不幸である」と自分を定義していた。
そんな自分がイヤで、自分を劇的に変えたくて、僕はさまざまな努力をしてきた。
その結果ブログの人気が出て食っていけるようになり、本が6冊も出て、完全に自由に食っていけるようになった。
しかし、僕は「やり方」ばかりを鍛えて、「在り方」を鍛えることをまったくしてこなかった。
「在り方」を鍛えないと本当の幸せに到達できないなんて、そのときは考えもしなかったのだ。
でも僕はとにかく気づいた。気づいて本当に良かった。
「やり方」と「在り方」を同じぐらいちゃんと鍛えないといけないということに。
固定観念を書き換えることは、そう簡単にできることではない。
一朝一夕にぱぱっとは進まない。
でも、自分に常に「我は何者か」と問い続け、自分の思考・感情と自分の間にスペースを空ける訓練を続けることで、じわじわと、じりじりと、自己客観視ができるようになっていく。
自己客観視ができると、自分を第三者的に見ることができるようになるので、「あれ、どうして自分は自分のことをこんなに低く設定してるんだ?」と気づくようになる。
「おい自分、そんなに背中を丸めて俯いていたら、人生下しか見えなくて、それじゃあ上手くいくものも上手くいかないだろう」ということが、分かるようになる。
この「気づき」は、大げさにいえば「悟り」だと僕は思っている。
ときとして小さい悟りが、ときとして大きい悟りがやってくる。
自分の中の否定的な思い込み、固定観念の罠に気付き、その罠を外すことができるようになっていく。
そして、少しずつ「自己承認」ができるようになっていく。
「モノもお金も『足りない』『ない』じゃなくて、常に『ある』『満ち足りている』んだな」
「自分の人生は上りのエスカレーターだから、生きているだけでどんどん幸せに、豊かになっていくんだな」
こういうことが、ちょっとずつ自分の中で「腑に落ちて」くる。
もちろん僕なんかの悟りはまだまだレベルが低くて、もっともっと高いレベルに到達したいと思っているけれど、それでも僕は「自分は生きたいように生きられない」から、「人生は上りエスカレーターで丸儲け」に書き変わったわけで、これはこれで凄いことだと思っている。
自分の在り方を常に自分に問い続ける、自己探求を続けていくこと。
それが固定観念を書き換えていく、おそらく唯一の有効な方法ではないかと、僕は思っている。
まとめ 幸せであるように
フライングキッズというバンドのヒット曲に「幸せであるように」という曲がある。
当時はこのタイトルに、ちょっとした違和感を感じたのだが、いまとなっては、こんな素晴らしいタイトルはないな、と思っている。
「幸せになるように」ではなく、「幸せであるように」なのだ。
幸せには、「なる」ものではなく、幸せで「ある」ものなのだ。
だから、僕たちは「明日幸せになれますように」と願うのはやめよう。
いまこの瞬間から、「私はとても幸せだ」と自分を定義するのだ。
そんなこと信じられないって?
もしあなたがこの記事を読んで、無性に腹が立ったり、なぜだか分からないがソワソワしたりしたなら、あなたはきっと何かを掴んだのだ。
あなたの潜在意識が、あなたの意識のドアを下から叩いているのだ。
自己探求の道は、楽しく深く、そして豊かな道だ。
あなたも、「幸せであるように」心で祈ってる。
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著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。