エッセイ

麻布にはあって六本木にはないもの

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南麻布に新居を構え、六本木と南麻布を行ったり来たりしている。

南麻布から自転車や徒歩で六本木の家まで行き来すると、途中元麻布と麻布十番を通る。

そして、それらとは関係なく、昨日は西麻布で会食をする用事があり、生まれ故郷である西麻布にも立ち寄った。

こうして行ったり来たりしていて、体感覚で感じることがある。

麻布にはあって六本木にはないもの。

それは、街としての親密さ、一体感のようなもの。

実際は西麻布と麻布十番は隣り合っていないし、むしろ文化圏は西麻布は六本木の方が近いと思う。

でも、それでも、西麻布には、まだ微かに街としての一体感、親密さが残っている気がする。

六本木はあまりにもサイバーであまりにも繁華街になりすぎ、「住民」がほぼ消滅していることも影響していると思う。

お店はやたらにたくさんあるが、地元の人がふらっと入って心地良いような店がほとんどない。

麻布十番や西麻布などには、ふらっと入って居心地が良く親密に感じるお店があるのだが、六本木は酔っぱらった外国人や若者がたむろする店が多く、ホッとできて、でもオシャレなお店というのが本当に少ない。

麻布は街を自転車で走っているとワクワクするのだが、六本木を走っていても、まったくワクワクしない。

これは何とも言葉にしにくいのだが、街が出しているオーラが、かなり違うのだ。

麻布の街は生きていて温もりがあるように感じるが、六本木は機械化されたサイボーグみたいで、温かみが感じられないように思う。

もともとは六本木だって「麻布六本木町」、麻布の一部だったのだが、バブルやら六本木ヒルズやらミッドタウンやらで、改造されすぎてしまったのかな。

そんなことを最近感じるようになった。

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