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テレビのない生活を8年続けて思う「脱テレビのススメ」

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我が家にはテレビがない。

今でも良く憶えているが、2011年の東日本大震災と原発事故のあと、テレビの電源を抜き、次の引っ越しのタイミング、2013年に捨ててしまった。

なので、かれこれテレビがない生活も8年になる。

一年に1回か2回、観たいスポーツの試合なんかがあると、ネットの動画配信を有料で購入したり、無料で観られるものは無料で観たりする。

おかげですっかり芸能人とスポーツ選手の名前に疎くなったが、生活にはまったく困らないし、むしろQuality of Lifeは上がったと思う。

がっつりテレビ漬けだった時代もあったが、テレビありの生活42年と、テレビなしの生活8年を比べると、明らかにテレビなしの生活の方が僕には向いている。

もちろん、価値観は人それぞれだから、テレビを便利に活用するライフスタイルの人を否定するつもりはない。

ただ、僕にとっては弊害が大きく、得るものが少なかったというのが、8年テレビから離れてみての実感だ。

そこで、思い付くまま、テレビをがっつり観ていた頃の弊害について書いてみたい。

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テレビのデメリット

圧倒的な時間泥棒

テレビの番組というのは、常に流れっぱなしで、空白というものがない。

そして、テレビがついていると、ついつい「ながら見」をしてしまっていることが多い。

実際僕は会社員時代のほとんどの期間は、朝の時間帯にテレビをつけっぱなしにしていた。

テレビを観ながら食事をし、支度をし、そして出勤していたのだ。

当時は「朝は時計代わり。そしてニュースは情報として必要だから」と普通に思っていた。

ところが、会社員の最後の1年くらいは、脱テレビが徐々に進み、朝の時間帯のテレビを見なくなった。

そして、見なくなって驚いたのだが、食事も出勤の支度も、ビックリするぐらいあっという間に終わるのだ。

今までどれだけ「ながら見」をして、だらだらと行動していたのかと、我ながら呆れるほどだった。

それまでは「朝は時間がない」と思っていたが、テレビを消したら、ランニングができてランニング日誌のブログまで書けるようになった。

夜も同様で、テレビがついていると、ついつい何となく見続けてしまい、他のことができない状態になりやすかった。

夜もテレビを消したことにより、ブログを書いたり本を読んだりガジェットをいじったりという時間に割り振ることができた。

そして、テレビを見なくなったことで不便に感じたり困ることというのが、驚くほどなかったのにもビックリした。

印象操作の影響を受けやすい

テレビの特に民放の番組は、資本主義の論理に基づいて作られている。

スポンサーの意向に沿って、大衆受けするように迎合した番組作りになっているので、情報の質が悪いものが多い。

もちろん中には良質の番組もなくはないのだが、残念ながら圧倒的に少数だ。

そして、マスコミが作る情報の中には、当然のように一般大衆に対しての「印象操作」の要素が含まれる。

インターネットの場合は、自分で自分が欲しい情報を求めて検索して比較対象したりがしやすいが、テレビの放送は一方的に受け取ることになる。

特に報道番組などで、情報のごく一部だけを切り取って、湾曲した伝え方をしたり、都合の悪い情報は「一切伝えない」というような操作が行われている。

ネットとテレビを両方観ていれば、それらの印象操作に関する指摘の記事なども読むことができるが、テレビや新聞などのマスメディアだけを情報源にしていると、印象操作の影響を受けやすくなる。

テレビはもはや情報源として、適切とは言い難いというのが、僕の持っている印象だ。

他人のために時間を使ってしまう

テレビを観ていると、感動するシーンとかに出会うことが多い。

たとえばオリンピックやサッカーワールドカップなどのスポーツなど、そういうシーンも多いだろう。

僕以前テレビがあった頃は、サッカーもオリンピックも野球もマラソンも大好き、F1もK-1もPIRDEも全部観ていた。

で、そういう番組を観て、選手が頑張って良い成績を出したり、名勝負を闘って勝ったりすると、感動するし、すごく良いものを観たと思っていた。

でも、テレビを置かなくなって、何を実感しているかというと、テレビを観ている間、僕は自分の時間を止め、他人の人生を観ているんだ、ということ。

マラソンランナーが走る姿を観て感動しても、僕の心肺能力が高くなるわけではない。

だったらテレビを見ていた時間を活用して、自分が10kmでもランニングした方が、自分の人生にプラスになる。

サッカーワールドカップが開催されている間は、いつも寝不足でフラフラしながら仕事をしていた。

サッカーの試合に熱くなって寝不足になった結果、自分の仕事は改善するどころか、むしろ疎かになっていたと言わざるを得ない。

要は、じっと座って自分の活動を止めてテレビを観ている時間を、自分の活動に割り当てることをした結果、僕はこのことに気付いたのだ。

他人の人生を眺めて感動するより、自分の人生の質を上げて、自分の達成や自分の頑張りに感動する方がずっといい、と。

テレビに限らず、映画でもネットの動画でも同じで、「清涼剤」「息抜き」「楽しみ」として存在することは悪いことではない。

ただ、その「息抜き」「清涼剤」にしては、テレビというのは、あまりにも時間が長い。

差し出してしまう時間が圧倒的に長くなると、自分の時間がどんどん減り、そして受け取る情報が多くなりすぎると、自分の頭で考えることができなくなる。

思考停止してしまい、受け取りっぱなし。

これが簡単にできてしまうのが、テレビの恐ろしいところだ。

もちろん、意志が強くて、自制して必要な情報だけを摂取し、寝不足にならず、情報過多にもならず、思考停止もせずにテレビを活用できる人もたくさんいるのだろう。

ただ、僕は意志が弱くて不器用で、「テレビのある生活」と「自分らしい人生」を両立させることが難しかった。

そして、2011年の3月にテレビの電源を抜き、2011年4月に僕はプロブロガーとして独立し、7冊の本を出版し、東京と鎌倉でデュアルライフをする、いまのライフスタイルを確立できた。

テレビを以前のように観ながらこのライフスタイルといまの立場を作れたかと言われたら、それは多分無理だったと答えるだろう。

他人の頑張りを眺めて感動するより、地味で不格好でも自分が頑張る。

結局、テレビを捨てて一番良かったのは、「自分のための時間」を爆発的に増やせたことのような気がする。

仲良くしている著者仲間で、テレビにも出演することが結構ある友人が、「テレビと2ちゃんねるは見るものではなく出るもの」と言っていて、明言だと思った。

まとめ

自宅にはテレビはないが、至るところでテレビ番組を目にする機会がある。

もちろんいまでも相撲や野球、サッカーなどを、ちょっと観たいな、と思うときはある。

でも、知っている力士や選手がほとんどいないと、たまに一瞬だけ観ても、それほど面白くないのだ。

ワールドカップのときに、ちょっとだけその気になって選手を応援すれば、それでいいや、という感じ。

そしてその分僕には、たくさんの自分に向ける時間と、あと、圧倒的な静寂がある。

テレビを消して、それまでの自分がいかにノイズにまみれて生きてきたかが分かった。

音とというのは、聴きたいときにだけ鳴っているのが良くて、一日中鳴っていると、思考停止するノイズになる。

静けさの中で自分と向き合い、自分のために時間を使う。

そのために、テレビは僕はもう一生なくて良いと思っている。

あくまでも僕の主観ですが、そんな意見もあるよ、ということで。

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