「2020年といえば」と将来振り返ったときに、恐らくほとんどの方が「新型コロナウイルス」を思い出すでしょう。
それぐらい我々の生活やビジネスに大きな影響を与えたコロナ。
ようやく収束の方向に向かっているというか、人間が「収束」と判断する気になりつつあるようですね。
でもまだ決定が下されるまでは安心できません。
安心できない、というのは、ウイルスに対する恐怖ではありません。
安心できないのは人間の心の作用です。
心の作用とは、恐怖心、不安、猜疑心など、我々国民が抱いている感情。
そしてそれを利用したり煽ったりして国民をコントロールしようとする政治家やマスメディア側の人々の心理。
それらがコロナウイルスを、とてもややこしい存在へと仕立て上げてしまいました。
その結果、我々は「自粛」の名のもとに、多くの生命の根源的なエネルギーを封印され、分断されてしまっています。
このまま長くこの状態を続けてはいけません。
僕たちは、分断ではなく「統合」と「調和」を発信しなければならないのです。
外出時にマスクをつけるのかつけないのか。
論争になっている場面を何度か見かけました。
SNSではジョークを効かせて「マスク『スンナ派』と『シーヤ派』の争い」なんて、イスラム教徒の宗派になぞらえて投稿している人もいました。
僕はマスクをするかどうかについて、自分以外の人に強制するつもりはありません。
なぜかといえば、一人ひとり立場が違い、ウイルスに対しての警戒心のレベルも異なるからです。
大企業に勤めている人は、万が一自分が感染して職場の同僚や上司に移してしまったら大変なことになると心配するかもしれません。
家族にご高齢で基礎疾患がある人がいる場合も、お年寄りを守りたいという気持ちが作用して慎重になるのも理解できます。
もちろん自分自身が体調が悪かったり免疫力が落ちている自覚がある場合も、ウイルスは怖い存在になるでしょう。
だから、一人ひとりが自分が置かれている立場によって、マスクをするかしないかを判断して行動すれば良いのです。
これは、コロナだけの問題ではなく、いつだってどこでだって同じことのはず。
毎年冬にインフルエンザが流行ります。
体調が悪いお年寄りが家にいる人は、そういう時期は普通の人よりも強く警戒するし、マスクをしたり外出を控えたり、自分の判断でするでしょう。
それと同じことなのです。
ところが、今回のコロナに関しては、政治家とマスコミが「民衆をコントロールする道具」としてコロナを利用していることで、大きな問題になってしまっています。
もともとマスクは飛沫を飛ばさない効果はありますが、マスク自体が感染予防に有効というデータはありません。
特に夏場になってから多くの人がしている布マスクは予防効果はゼロですよね。
でも、公共交通機関や商業施設などが入場時にマスクをするよう要請していて、多くの人はそれに従っています。
そもそもの部分の「何のためにマスクをするのか?」という議論がどこかに飛んでいってしまいました。
企業や役所が要請するので、だまってマスクをする。
先日SNSで見かけた共同通信のアンケート調査でも、「なぜマスクをして外出するのか」に対する一番多い回答は「みんながしているから」でした。
つまり、本当に必要かどうかが問題ではなく、「マスクをしていないと『ルールを守らない人』に見られると困る」とか「白い目で見られるではないか」という「同調圧力に対する妥協」の結果です。
また、一部に「自粛警察」「マスク警察」と言われる人々の存在も指摘されています。
マスクをしていない人に対して、赤の他人であっても「マスクをしろ」と迫る人達のことですね。
自粛警察に関しては、マスクだけではなく、たとえば飲食店で食事をしている団体がいたりすると、「密になっているぞ」と警察に通報したりする人もいます。
ライブハウスが無観客のライブ配信を行ったら、嫌がらせの貼り紙をする近隣住民が出たりします。
そのような極端な行動をする人は、恐怖に駆られた結果、他人を「悪」、自分を「正義」とジャッジして行動しています。
つまり「正義と悪」の「分断」が国民の間で「自粛的」に行われてしまっているわけです。
政府が景気刺激策でスタートさせたGo Toキャンペーンについても、東京都が除外される結果になってしまいました。
そして夏休み、お盆の時期にも「東京からの客は来るな」とか帰省したい人に「帰ってくるな」という地方からのブーイングが出てしまっていました。
これらも「都会の人間がウイルスを持ち込む」という恐怖心による「分断」です。
僕が住む鎌倉も含め、今年は全国の海で海水浴場が設置されず、海の家も開設されませんでした。
オープンエアーの海の家、そして自然の中の海水浴場がなぜNGなのか、理由はもはや不明です。
いまだに東京都は夜22時以降の飲食店の営業を休止する要請を出し続けています。
ウイルスは夜になると活発になる夜行性ではありません。
ここにも合理的な理由は何もないんですね。
人間が集い、楽しい時を過ごし、一緒に歌ったり踊ったり、一つのスポーツや演劇などに酔いしれるとき、我々は凄いパワーを発します。
熱狂という言葉がありますが、我々人間は誰しもプラスのエネルギーに包まれ集合したときに最高のエネルギーを出します。
お祭りなんかも典型で、人と人のぶつかり合いが熱狂を生み、そのエネルギーが僕たちに大きな生きる原動力を与えてくれるのです。
音楽も同じですね。
美しい旋律、パワフルなリズムに導かれて多くの人がともに共感、共振することで、その場所に強い力、パワーが生じます。
大人数での宴会もまったく同じです。
「同じ釜のメシ」じゃないですが、場を共有したくさんの人が同じ空気で共振することで、そこにエネルギーが生まれていきます。
いま、我々はそれらの「エネルギーの源」、「つながり」「集い」「熱狂する」ポイントを、全部つぶされ奪われています。
これはとっても危険なことです。
エネルギーを爆発させる機会がなく、ゆるやかな鬱状態に置かれた我々に、バイアスとして「ウイルスは怖いぞ」「夜は危ないぞ」「家に帰れ」「マスクをしろ」と、さまざまな煽りを送り続け、我々をさらに萎縮させていきます。
萎縮した人々はストレスを溜め、その捌け口を探してお互い対立し、どんどん「分断」する行動を取ってしまう。
SNSで「#マスクを外そう」というハッシュタグをつけて投稿している人がいて、コメント欄にそれを批判している書き込みを見ました。
典型的な「分断の構図」だと思います。
どちらが正しいかを議論しても、そこに「絶対的な正解」はありません。
知人にコロナ自粛になってから一度も外食をしていない、という人がいます。
その人が間違っているか正しいかを誰が決められるでしょうか。
もちろん本人以外には決めれるわけがありません。
いっぽうで、いまこの時期でも都内で夜中まで営業しているラーメン屋さんもあります。
そしてそこで食事をするお客さんもいるわけです。
ホストクラブもキャバクラも営業しているところもあるわけですし、行くお客もいるわけです。
それらのお店やお客を「非国民」「ルール無視」「とんでもない」と攻撃することに、意味はありません。
飲食店の営業時間短縮は、政治家が便宜的に決めたルールに過ぎません。いや、要請だからルールですらありません。
夜中に食事をしたい人だっている。
そして食っていくために店をやっている人もいる。
それらの様々な立場の人が集まって、多様性のある社会は成立しているはず。
自由に活動している人、必死に自粛して我慢している人。
どっちもありでどっちも正しいのだと僕は思っています。
問題は、「自分で自分の行動を決めている」のか「周囲がそうしているから自分もそうしている」かの違い。
そして、「自分と違う考え方、自分と違う行動をしている人を責めない」ことが大切です。
「間違いではなく違い」。この差はとても大きい。
立場も考え方も100人いれば100通り。
こういう時期だからこそ、「分断」ではなく「統合」と「調和」をコンセプトに発信していきたい。
僕はそう思っています。
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著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。