メッセージ

僕がこよなく愛す、完全なる自由と圧倒的な自己責任の世界

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毎年3月11日を過ぎると、ある種の感慨を感じることになる。

僕は2011年3月末で17年間勤務した会社を退職し、プロブロガーとして独立した。

今から11年前。誰もが忘れない3·11の直後。

日本中が大混乱に陥り、夜の東京は街灯もネオンサインも消され、闇が深かった。

僕は勤務先で「シニアマネージャー・業務統括」という立場だったが、僕を引き継ぐ後任マネージャーが計画停電で電車が動かない日が続き出社できなかった。

そのため僕は最終出社日まで社長の特命で設置された「災害対策本部長」を担当したまま退職した。

まだ多くの社員が出社できず、近隣の飲食店も休業しており送別会も延期となり、ひっそりした最終日だった。

世の中の多くの人がブログどころではなく、アクセス数は一時的に大きく減り、独立後の将来に大きな不安を感じながらの船出だった。

 

混乱期の船出だったが、独立後の生活は本当に素晴らしかった。

僕にとって、最高のギフトは「完全なる自由」だった。

毎日スーツを着なくても良い。

何時に起きても、何時に寝てもいい。

平日の昼から好きなレストランでワインを飲みつつ友達と楽しい時間を過ごせる。

混雑を避け、 休日ではなく平日に旅行ができる。

平日の午後早い時間に、ガラガラのスーパーでゆったり買い物ができる。

平日の日中に思う存分ランニングができる。

完全なる自由は、まさに僕が心の底から欲しつつ、会社員をしている限り絶対手に入らないものだった。

独立直後、仲良しの @shinya bさんと「独立祝い」と称し、二人で西麻布の「三河屋」というお店に行った。

三河屋は僕が幼少期から20代まで暮らした実家があった西麻布一丁目、小学校時代の通学路に今でもある老舗の定食屋さんだ。

もともとは地元の肉屋さんだったが、バブル期に都心部の人口減少に伴い、店頭で販売していたメンチやとんかつを出す定食屋に業態替えした。

一週間のうち平日の4日だけ、しかも11時半から13時半ごろまで、ごはんがなくなったら閉店という、営業時間が極めて短いお店だ。

常に行列が出来る人気店で、今は娘さんたちに代替わりしたが、当時は老夫婦が切り盛りしていた。

僕は三河屋が大好きだったが、サラリーマン時代、三河屋に行くのは非常に難易度が高いことだった。

平日の昼しか営業していないわけだから、有給休暇を取らないと行くことができない。

しかし、僕は立場上有休を乱発しにくかったため、旅行に行くときなど「ここぞ」という時に使いたい。

だから僕にとって三河屋は「めったに行けない聖地」のような存在だった。

平日の昼に堂々と三河屋に行き、友人とビールで乾杯をした。

サラリーマン時代は三河屋に行くことができても、「昼からビールを飲む」という発想が僕にはなかった。

その時は「そうか、これからは昼にビールを飲んでもいいんだ」とシンプルに感動したことを良く憶えている。

会社員時代、 僕は営業職だった時期が長く、外回りの仕事が多かった。

外回りをしていると、平日の日中にランニングをしている人とすれ違うことが良くあった。

勤務地が市ヶ谷だったので、自衛隊の人達だったのかもしれない。

また、大口の取引先が浜松町にあり良く通っていたのだが、取引先の近くに「秋田屋」という昼からやっている飲み屋があった。

平日の午後に秋田屋の前を通りかかると、いつもたくさんの人が昼からワイワイと飲み食いして賑わっていた。

平日の昼にランニングをしている人、秋田家で飲んでいる人たち。

彼らを見るたび僕はいつも不思議に思っていた。

「一体どんな生活をしている人たちが、昼にランニングをしたり酒を飲んだりできるんだろう」と。

2011年4月1日をもって、僕は完全に「あちら側」から「こちら側」に移動して生きることになった。

あちら側は、時間と場所に拘束され、管理されて働く世界。

こちら側は、時間と場所から自由になり、誰からも命令されず生きる世界だ。

あちら側にいると、拘束される代わりに毎月安定した収入が保証され、年に2回ボーナスも貰えた。

こちら側に来たら、一切の拘束がない完全なる自由を手に出来るが、収入の保証は一切なくなり、完全なる自己責任の世界となった。

小さい会社ではあったが、社長の右腕として働き続け「次の社長になってほしい」と言われていた「あちら側」での立場を捨てるのはめちゃくちゃ怖かった。

年齢も41歳と若くなかったし、「ブロガー」という訳の分からない立場、しかもそれまでの仕事とは全然関係ない、未知の世界。

稼げるかどうかも全然分からないし、一旦退職してしまったら、たとえ食えなかったとしても「元の場所には戻れない」という恐怖との闘いだった。

今になって思い返すと、将来への不安が一番強かったのは退職を決めるまで、まだ後戻りができる時期だった。

実際独立してしまえば、もう後戻りはできないので「突き進むしかない」と開き直れ、恐怖より自由を謳歌できるワクワクが勝っていった。

11年前までは毎日スーツを着て通勤電車に揺られ、「いったいどんな生活をしている人たちが、昼にランニングをしたり酒を飲んだりできるんだろう?」と思っていた僕。

その僕が今では平日の昼にせっせとランニングをして、気が向いたら平日の昼から飲みに出掛けている。

生活の保証が一切ない代わりに、収入の上限もない世界。

論理的には収入は青天井、無限大だ。

上司や会社に評価されて立場や収入が決まるのではなく、マーケットと直接対峙し、世界とダイレクトに関わって、世界が僕の評価を決める。

誰かから与えられたり命じられた仕事をするのではなく、自分が起点となり自ら仕事を創造していく働き方。

何もないところから商品やサービスを作り出し、多くの人に届けるビジネス。

ワークスタイルとライフスタイルが完全に融合し、仕事と遊びと生活の境界線が消滅した日々。

働く時間の長さではなく、成果が結果となる世界。

ヒリヒリするリアリティの中、たった一人で新たな市場を開拓していくダイナミズム。

僕は「あちら側」に用意されていた「安定」「肩書き」「保証」を脱ぎ捨てた。

そして「こちら側」で手に入れたのは、完全なる自由と、圧倒的な自己責任。

僕はこちら側の世界をこよなく愛している。

そして、41歳で「あちら側」から「こちら側」にバンジージャンプする勇気を持てたことを、心から誇りに想う。

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