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独立・起業して13周年の今日思うこと

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  1. プロブロガーとして独立して11周年の今日思うこと(2022年4月1日更新)
  2. 2021年:ブロガーとして独立して10周年を迎えた今、思うこと
    1. 2011年4月1日、大震災の大混乱の中からのスタート
    2. 加速する勢いだけを頼りに突っ走った8年
    3. 次のステージに向けて再構築をスタートした2年
    4. 次の10年はさらなる飛躍を誓う
  3. 2019年:ブロガーとして独立から8周年にして、ついに感慨がなくなった
  4. 2018年:人生の主導権を自分に取り戻して7周年記念日
  5. 2016年:自由に生きる!無名の肥満体サラリーマンだった立花岳志が ブログだけを武器に独立して今日で5周年の今 想うことを語ろう
    1. 「やりたいこと」を封印して「憂さ晴らし」だけしていた「憶病者」の人生
    2. ブログは僕が唯一見つけられた可能性だった
    3. 誰も注目していない2009年の大切さと決意の2010年
    4. 独立直後の僕をもう一度見直そう
    5. 自由に生きることの覚悟と責任
    6. もっと自由に、もっと楽しく生き切る決意
  6. 2015年:今日で独立4周年! フリーで豊かに生き続けるための 7つの心構え
    1. 1. 「儲かること」ではなく「好きなこと」でお金を稼ごう!
    2. 2. 仕事は「時間」でするのではなく「成果」でする
    3. 3. 自分の価値は「市場」が決める
    4. 4. 自分軸を磨き他人に迎合しない
    5. 5. 辛い試練も「次のステージへの準備」と捉えて前に進む
    6. 6.「やり方」だけでなく「あり方」を常に学び続ける
    7. 7.「過去」でも「未来」でもなく、「今」に生きる
    8. まとめ
  7. 2014年:独立してフリーになって3年がたちました
  8. 2011年:ごあいさつ 会社を退職して独立しました

プロブロガーとして独立して11周年の今日思うこと(2022年4月1日更新)

2011年4月1日に、17年間の会社員時代を終え、「プロブロガー」として独立しました。

今日2022年4月1日で、独立11周年を迎えます。

いろんなことがありましたが、こうして今も自分の好きなことだけをやり、仕事にして生きています。

去年と今年では、別人のように気持ちが変わりました。

春夏秋冬理論の「冬の3年間」を今年の2月3日で終え、「春1年目」に突入した喜びに満ちています。

春1年目は、ちょうど鎌倉の今の季節、桜が咲き誇る時期でしょうか。

算命学では今年から僕は60年間の運気拡大期に入るとのこと。

守りの時期、歳誕生の時期を終え、再び加速する時期がやってきました。

再び自分のビジネスを重層的に構築し、持続可能な成長と幸福を手にしていきたいと思います。

ブログはもちろん、書籍の出版、YouTube動画の配信、セミナーや講座、それに楽しいイベントの開催などもさらに推し進めていきます。

今年からの僕は、「タイムリッチ」と「キャッシュリッチ」を両立する形でビジネスを大きくしていきたいと考えています。

独立した2011年から僕がツナゲルを退職しコンビ解散した2019年夏まで、僕はあまりにも忙しかった。

ブロガーなのにブログが書けないほど日本中を飛び回っていました。

当時の僕は華やかに見えたかもしれませんが、あの形は理想とは考えません。

今一番幸せな事は、じっくり考える時間がある事と、たくさん読書ができること。

そしてもちろん、創作活動にたっぷり時間を投入できることです。

これからビジネスを拡大していく際にも、「タイムリッチ」を犠牲にして「キャッシュリッチ」を追求することがないよう、肝に銘じたいと思っています。

来年の4月1日には、すでに8冊目の本が世に出ていることでしょう。

今年からは、書籍の出版も量産体制に入ろうと考えています。

65歳までに35冊の本を出版するという目標を立てました。

今まで7冊の本を出していますから、13年で28冊出すと目標達成です。

1年2冊ペース、何回か3冊出す年があればゴールにいけるので、中・長期的に取り組んでいきたいと思っています。

世の中の流れもあり、また、それ以上に僕が冬の時期だったこともあり、大規模イベントは長く開催していません。

世界の流れに沿いつつ、少しずつ少人数のイベントから開催していきたいと考えています。

また、セミナーや講座はオンラインの恩恵を最大限に活用し、オンラインの良さと、リアルじゃないとできないことを明確にし、振り分けていこうと考えています。

いずれにしても、今年から春3年間、夏3年間、秋3年間と、9年の時間があります。

この9年の間に大きな花を咲かせ、その花からたくさんの果実が実るように加速していきたいと思います。

常に学び、進化し続けていく今のライフスタイルが、僕は心から気に入っています。

来年の4月1日に、どんな景色の場所にいて、どんなご挨拶をするか、今から楽しみでワクワクしています。

独立12年目、張り切っていきたいと思います。

最後に、毎年4月1日前後に「○周年!」という記事を書いているので、一つにまとめてみることにしました。

この下に、毎年の記事を時系列に貼り付けていきます。

来年も、この記事の上に新しい記事を書き足す形にします。

どんな変化が訪れるか、楽しみですね。

いま読み返してみると、まったく書いていない年もあったりして興味深いです。

ご興味あれば、下の過去記事もご覧ください。

それでは。

2021年:ブロガーとして独立して10周年を迎えた今、思うこと

2021年4月1日で、僕、立花岳志がサラリーマンを卒業して独立して10周年を迎えました。

41歳、17年間のサラリーマン生活を経験したあとでの独立でした。

17年間のサラリーマン生活と10年間のフリーでの生活。

大袈裟ではなく、本当に人生が180度変わってしまいました。

サラリーマン時代にも嬉しいことも苦しいこともたくさんありました。

そして独立したあとも、嬉しいことも苦しいことも、もっと色々経験したように思います。

そんな10年を振り返っていま想うことを書いてみたいと思います。

2011年4月1日、大震災の大混乱の中からのスタート

僕がサラリーマンを卒業して独立した2011年4月は、東日本大震災の発生からまだ一ヶ月経っていない、大混乱の時期でした。

東京都内は電力不足が伝えられ、都心部でも夜は照明が落とされて街が暗く沈んでいました。

さらに原発事故の影響も懸念され、東京から西へと脱出する人も多く出ている状況でした。

世の中が大混乱だったので、ブログのページビューもブログからの収益も大きく減ってしまっている中での船出でした。

「これから生活していけるんだろうか?」

そんな不安を抱えながらの船出でした。

加速する勢いだけを頼りに突っ走った8年

独立してからの10年を振り返ると、前半の8年と後半の2年に分けて考えることができると思っています。

2011年から2018年までの前半の8年間は、まさに加速する勢いだけを頼りに突っ走った8年でした。

2011年11月に月間165万PVを記録したブログを武器に、2012年には4冊の本を出版して著者デビュー。

2013年から心の学びをスタートさせ、2014年には会社を設立するとともに2冊の本を出版。

2015年には六本木に自宅兼セミナールームを持ち、連続講座を複数開催。

2016年には鎌倉とのデュアルライフをスタートさせ、ブログが年間1,000万PVに到達。2017年にはポリアモリー(複数恋愛制)を公表。

2018年に7冊目の本を出版して全国で記念セミナーを開催。

ここまでが勢いで突っ走る日々でした。

2018年後半になると一気に状況が変化していきました。

7月にはポリアモリーの恋人との別れがあり、12月に元妻との離婚を発表。

一つの時代が終わっていきました。

僕は12年の人生周期「春夏秋冬理論」を学んでいます。

春夏秋冬理論について詳しくはこちらの記事をご覧ください。

【関連情報】なぜ春はこない? by 神田昌典 & 來夢 〜 「春夏秋冬理論」の入門書!

なぜ春はこない? by 神田昌典 & 來夢 〜 「春夏秋冬理論」の入門書!12年サイクルを知ると人生もビジネスも上手くいく!!
神田昌典さん著、來夢さん監修の「新装版 なぜ春はこない?」という本を読んだのでご紹介。 この「なぜ春はこない?」は、神田さんと來夢が開発したバイオリズムと未来予測、要は占いの手法「春夏秋冬理論」について書かれた本だ。 僕は2019年に初めて...

春夏秋冬理論は、まさに日本の四季の季節と同じ感覚で人生の周期を捉えます。

僕が独立した2011年は僕は春の2年目でした。

そして春から夏の成長期を駆け抜け、2016年から季節は秋に入り、まさに「収穫の秋」を楽しみました。

そして2018年が秋3年目。

木枯らしが吹き、収穫物もなくなり「越冬」の時期を迎える時に、僕はまさに一つの時代を終えることになりました。

次のステージに向けて再構築をスタートした2年

2019年と2020年は、終わった時代をちゃんと終わらせることと、次の時代に向けてモノゴトを一度完全にリセットさせる時間となりました。

2019年7月末で自分で設立した会社を退職し、六本木、南麻布、鎌倉、中目黒の全拠点を閉鎖し、鎌倉の海街に移住しました。

そして2019年から2020年にかけては、それまでの期間に起こったことの棚卸しをしながら、次の時代に備えて心と身体を整える期間になりました。

大車輪で回していたビジネスを一旦止め、心の奥深くまで内観しつつ、自分の存在を問い直す、かけがえのない時間となりました。

春夏秋冬理論でいう、冬1年目と冬2年目を、僕はまさに「越冬体制」で過ごしたことになります。

次の10年はさらなる飛躍を誓う

というわけで、ひたすら突っ走り拡大を続けた2011年から2018年までと、次の時代への切り替えの時期だった2019年と2020年を経る形の10年を過ごしました。

めちゃくちゃ嬉しいこともたくさんあったし、本当に苦しい時期もありました。

でも、一つだけ言えることは、一度も会社員に戻りたいと思ったことはなかったということ。

良い時期も苦しい時期も、とにかくダイレクトにすべてが跳ね返ってくる。

100%の圧倒的な自己決定感と自己効力感。

そしてその代償として100%の自己責任。

100%の自由と100%の自己責任はトレードオフですから、必ずセットで訪れます。

僕はこのライフスタイルがめちゃくちゃ気に入っています。

2021年から僕は次の人生のサイクルが始まったと捉えています。

2月には新法人の立ち上げを行い、徐々に体制が整いつつあります。

実際九星気学や西洋占星術の運気も、今年から2027年まで拡大を続ける「大拡大期」に入りました。

春夏秋冬理論でいうと、今年は「冬3年目」。

いよいよ来年から待望の春に突入です。

そろそろ8冊目となる、次の本の構想にも入りたいと思っています。

ここからの10年は前回を遥かに上回る、スケールの大きな成功と幸せを掴み取ります。

そして持続可能なビジネスを軌道に乗せ、次回の越冬はぬくぬくとコタツの中で幸せに過ごせるよう整えます。

これまでの10年応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました!!

皆さまの応援がなければここまでやってくることはできませんでした。

そしてこれからの10年も、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします!!

2019年:ブロガーとして独立から8周年にして、ついに感慨がなくなった

昨日はレビューの記事を書きたかったので手が回らなかったが、昨日、2019年4月1日は記念日だった。

何の記念日かというと、僕が41歳にしてサラリーマンを卒業し、会社を退職して独立して8周年の記念日だった。

独立当時に書いた記事はこちら。

ページが見つかりませんでした - No Second Life
著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラーの 立花岳志が より自由で楽しい人生を追求しシェアするブログです。

でも、昨日も今日も、いまこうして記事を書いていても、「感慨」というものが、何もない。

さすがに8年もたつと、いまのライフスタイル、ワークスタイルがあまりにも当たり前に定着して、以前の働き方や立場から「変化した」という感覚ではなくなってきたんだと思う。

もちろん今だってあの頃のことは憶えているし、2010年から11年にかけての激動の時期のことはこれからも忘れない。

でも、僕は8年を経て、どうやら完全に「こちら側の人間」になったのだと思う。

そうそう、先日もnoteか何かに書いたが、3月の「年度末」の時期はサラリーマン時代はとても大変だった。

去年までは桜の時期が近づくたびに、「ずーん」と心が重くなり、仕事が大変だったころのことを色々思い出し、ちょっと辛くなっていた。

でも今年は、記事を書くまで年度末のことをまったく思い出さなかったし、思い出しても辛く感じなかった。

先日の年度末の件も、今回の独立8周年の件も、ようやく一つの区切りがついたんだという感じ。

これは、春夏秋冬理論の12年、1周期が昨年で終わり、今年から新しい12年がスタートした、ということも関係があるように思う。

2007年に始まった僕の「人生を劇的に変える」チャレンジが、12年かけて2018年に一つの結実を見たわけだ。

去年出版した「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」も、まさにその集大成という感じの本だし、本当に一周したんだな、という実感もある。

というわけで、独立8周年は、全然感慨がなくて面白くないんで、記事も書かずに終えようかと(というか書くのを忘れてた)思った。

でも、やはりこれはこれで書き残しておくと、後日面白いと思うので、こうして書いてみた。

来年はどんなことを書くだろう。

今から楽しみだ。

2018年:人生の主導権を自分に取り戻して7周年記念日

4月1日は何年たっても感慨深い日となり、いつになっても毎年この日には同じようなことを振り返って書くのだろう。

2011年4月1日、僕は17年間勤務した会社を退職して、この日に独立した。

右も左も分からない状態だったが、ブログという未完成の武器だけを頼りに大海原へと歩み始めたのだ。

今思うと本当にめちゃくちゃな決断だったと思うが、よくぞ思い切って一歩を踏み出したと思う。

ちょっとだけ当時を振り返ってみよう。

僕がブログを始めたのは2008年12月8日。

前の妻との離婚届を提出した日だった。

勤務していた会社を午前半休させてもらい、朝一番に役所に離婚届を提出し、そのままオフィスがあった市ヶ谷に移動。

駅前のカフェで、すでに前日に準備を終えていた新しいブログに、最初の記事を書き、その後で会社に出勤した。

その10日後には住み慣れた麻布十番を飛び出して新大塚に新しく借りた部屋であやちゃんとの同居生活がスタートした。

引っ越しが終わった日、JR大塚駅近くの居酒屋であやちゃんと二人で食事をしたあと、「これで一つ終わった。あともう一つ」と思ったことを、良く憶えている。

ここでいう、「一つ終わった」というのは、前の妻との結婚をきちんと終わりにして、あやちゃんとの生活をスタートすること。

そして「あともう一つ」というのは、会社を辞めて自分 の名前で仕事ができるようになることを意味した。

でも当時僕はブログをスタートしてまだ10日で、ヨチヨチ歩きの初心者だったし、アフィリエイトの仕組みも知らないし、ブログで稼げるようになるノウハウは何も持っていなかった。

それでも確かに僕はあのときに、「あと一つ」という目標を心の中に掲げ、「人生を劇的に変えるのだ」と決意したのだ。

その後2009年という年は、僕にとっては「リハビリ」と「癒し」「潜伏」の一年だっだ。

2008年末から2009年初頭にかけては、前の年の離婚、そしてあやちゃんとの同居という決断と行動の後遺症で、強い罪悪感が出てしまい、自分を押し潰してしまっていた。

その状態から1年かけて、僕は少しずつ自分を取り戻し、自分らしさを発揮できるようになっていった。

その間僕はずっとブログを1日3回更新を目指して書き続け、毎朝8.6kmのランニングをして、身体はどんどんスリムになっていった。

5月には親指シフトの練習を始めてコツコツと毎晩練習を続け、11月には会社の仕事も含めてすべてのタイピングを親指シフトに統一することができた。

Twitterでも徐々にフォロワーが増え、12月には初めてTwitterオフ会を六本木の「松ちゃん」で開催し、このときにはじめてブログ界隈、Twitter界隈の人たちとのリアルな交流がスタートした。

今振り返ってみると、2009年という年はとても地味だったが、僕がその後に飛躍するための、大いなる基礎がためをしていた一年だったように思う。

2010年は離婚に伴う心のリハビリもどうやら終わり、前のめりにガンガン進んだ一年となった。

2月に新大塚から小日向に引っ越しをして、4月5日にあやちゃんと入籍して夫婦になった。

そして4月末に衝撃のプロブロガーとの出会いがあった。

2009年末にはじめてTwitterオフ会を開催して以降、僕は急速にブロガー、Twitter仲間との親交を深めていき、たくさんの友達ができていた。

当時のブロガー仲間は雨後のタケノコのように、みなサラリーマンをしながらせっせとブログを書き、アクセスを競い合う感じだった。

そんななか、ブロガー仲間の飲み会があり誘われて僕も参加したのだが、その会で僕の隣に座っていたのが、バリバリのプロブロガーだったのだ。

それまでも「プロブロガー」という種類の人が存在して、ブログだけで食っていることは知っていたが、リアルな知り合いは一人もおらず、僕の中では都市伝説の一つみたいなものだった。

それが、僕の隣に現実に現れ、一緒に食事をしてワインを飲みながら、彼のライフスタイルを聞き、僕は完全にノックアウトされたのだ。

ブログだけで妻子を養い、年に何回も海外旅行に行き、外車に乗って、好きなときに好きな場所で働く。

そんな夢のようなライフスタイルを実践できている人が目の前にいる!

僕の全身にその瞬間に完全にスイッチが入った。

「僕はプロブロガーになる!」と僕は100%決めた。150%決断した。

そこから僕は本気で会社を退職して独立することを目指して活動をはじめた。

5月に森川滋之さんの「自分軸セミナー」を受講。続いて6月末には鳥居祐一さん主催の「出版ブランディング合宿」に参加して、ダイヤモンド社飯沼さんや樺沢紫苑さん、田渕隆茂さんなどの講義を受け、飯沼さんから出版に関するアドバイスも受けた。

プライベートでは、師の一人吉越浩一郎さんから本田直之さんと泉正人さんをご紹介いただき、お二人からも出版に関するアドバイスをいただいた。

そんななか、6月末に僕はついに退職を決意して辞表を提出。社長からは強く慰留されたが、約1ヶ月の話し合いを経て7月に、翌年3月末での退職が決まった。

そこから退職までの9ヶ月ほど辛く切ない時間はなかった。

退職は決まっている。でもカウントダウンと呼ぶには、あまりにも長い時間が残っていた。

僕はひたすらブログを書き続け、そして出版に向けての取り組みも始めた。

でも僕の準備はデタラメなもので、退職を決意して辞表を出したとき、僕のブログからの収益は、わずか2万円程度だった。

よく2万円で会社を辞めると決断したものだと呆れるが、4月にプロブロガーに会うまではアドセンス広告すら貼ってなかったのだから、比較的短期間に2万円が稼げるようになっていたのは事実。

「この2万円を20万円、50万円に増やすことは絶対に可能」と信じ込んでいたし、お会いしたプロブロガーの方にできて僕にできないはずがない、という、生まれついての超楽観思考で、全力で前に進んでいた。

結局退職した3月末の時点で、ブログのPVは月間約30万、そしてブログからの収益は8万円程度だったから、9ヶ月の間に収益を4倍にしていたわけで、なかなか頑張ったのだと思う。

鳥居さんの出版合宿を受けたあとから、僕はブログ単体で稼ぐというビジネスモデルではなく、出版して自分の名前でセミナーも開催して、というモデルを目指すようになった。

収益源もブログだけではなく多角化しようということで、とにかく4月1日の時点で自分のスキルをすべてお金に変えるべく努力をした。

結果、4月の時点でブログの広告収入のほかに、請け負いのライティング、Webコンサル、パーソナルITコンサルタント、そして前職の顧問(期間限定)という仕事を持つことができた。

そして僕は独立さいしょの1ヶ月を、サラリーマン時代の月収をちょっと上回るくらいの金額を稼ぐことができる状態でスタートすることができた。

だから僕は一度も失業保険を受け取らなかったし、事務所にも一回行っただけで、「ここは僕が来るところじゃない」と宣言して、行くのをやめてしまった。

その後多角化したビジネスは「損得」でやっていたため続けることができず、秋には店じまいして、本格的にブログ、出版、セミナーという方向に舵を切ることになるのだが、まずは上々のスタートだったことは間違いない。

というわけで、独立7周年。今日からは8年目がスタート。

他人のために働く人生から、自分のために働く人生へ。

人生の主導権を自分に取り戻した日から7年。

思えば遠くへやってきた。

会社も気づけば今日からは5期目となる。

今年度は、少しずつ自動運転でお金を稼ぐ仕組みを作り、5年くらいで完成させたいと思っている。

さあ、どんな一年になりますやら。

2016年:自由に生きる!無名の肥満体サラリーマンだった立花岳志が ブログだけを武器に独立して今日で5周年の今 想うことを語ろう

2016年4月1日になった。

僕、立花岳志が17年勤務した会社を退職して独立したのが2011年4月1日だった。

あれから5年がたった。

あっという間の5年だったような気もするし、とても長い時間がたったような気もする。

しかし一つだけ言えることがある。

それは、以下の一文だ。

「僕はこの5年間『これこそが自分の人生だ!!』とヒリヒリ体感しながら生き切ってきた」ということだ。

なにをするのも自己責任、誰のせいにもできない環境の中で、好きなことだけして生きてきた。

こんなに自由な人はいない。

こんなに人生を謳歌できている人はいない。

しかも、たくさんの方に応援してもらい、支えてもらいながら、生きている。

こんなにありがたいことはない。

ただのサラリーマンとして、しかも105kgの肥満体でバツイチで、自己肯定感も低く、会社の仕事と暴飲暴食だけを生き甲斐に生きていた僕が、こんな人生をつかむことができたのは、まさにブログのおかげだ。

2008年12月8日に書いた最初の記事。

この記事が僕の人生を大きく変える第一歩だった。

この5年を振り返りつつ、いま想うことを書き綴って見ようと思う。

「やりたいこと」を封印して「憂さ晴らし」だけしていた「憶病者」の人生

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30代の僕は、「やりたいこと」を完全に封印して生きていた。

20代のときにはインターネット・テキスト日記のブームがあったり、小説を書いて新人賞に応募したりと、それなりに「やりたいこと」を持って、可能性を見て生きていたように思う。

しかし、何度か新人賞に落選し、テキスト日記ブームも去るのと入れ替わりで、会社の仕事がすごく忙しくなり、残業また残業という日々になった。

その時期に僕は、会社の仕事が忙しいということを言い訳に、自分の「やりたいことを追いかける」ことを、諦めたのだと思う。

そして僕は会社の仕事をそれなりにこなしつつ、夜と土日は飲んだくれる日々へと突入した。

「やりたいこと」がないから失望もしない。

失望はないけど、ヒリヒリするような生きている実感もない。

深く傷つくこともないけれど、ワクワク・ドキドキすることもない。

そんな生活の中で、僕はぶくぶく太り続け、そして人生の可能性を自ら遠ざけていった。

僕は30代をそんな風に食い潰しつつ、徐々に人生に行き詰まりを感じ、どこかに出口はないかと模索するようになっていった。

仕事にやり甲斐も感じられず。

前妻との関係も悪化して家庭は破綻状態。

実家の借金の返済を肩代わりしたため貯金もなく借金生活。

そして105kgの肥満体は健康診断で「すべての成人病の一歩手前。いつどの病気になってもおかしくない状態」と言われる始末。

地下鉄の駅の階段が苦しくて昇れない。

息が切れてオフィスに向かう坂道を一気に上れない。

「僕はこのままやりたいことが何もできないまま、住んでもいない家の借金を返済して、病気になって死ぬんだな」

僕はそう思った。

体調が非常に悪く、自宅のトイレで立って用を足している最中に意識を失って倒れたりしていた。

「僕の人生こんなはずじゃなかった」

毎晩のように布団でそう呪いのように呟いた。

でも、僕は、この人生からどうやって脱出していいのか、まったく分からなかった。

ブログは僕が唯一見つけられた可能性だった

のっぺりした無感覚な日々が徐々に行き詰まり、失望へと変わった。

そしてその失望が絶望に代わったとき、僕の中から怒りが湧いてきた。

他人に対する怒りではない。

自分に対する怒りだ。

不甲斐ない、情けない、臆病な自分。

やりたいことを封印して、逃げて、先送りして、なかったことにして、できない言い訳ばかりしてきた自分。

そんな自分が本当にイヤになった。

地団駄を踏んで、突き飛ばして、蹴り倒して、馬乗りになって、ぶん殴ってやりたいぐらい、自分に腹が立った。

そして僕は決意した。

「僕はいま人生でやりたいことがまったくできていない。やっていることはやりたいことではなく「憂さ晴らし」だけだ。僕は1日に10分でもいいから、本当に心からやりたいことをやろう」と。

でも、残念ながら、当時の僕は、いったいなにがやりたいのかが、まったく分からなかった。

あまりにも長い時間自分の「好き」「やりたい」をごまかして封印し続けてきてしまったため、アンテナが麻痺していたのだ。

どうしていいかまったく分からないのだ。

そんな中、唯一僕が思い付いたのが、「ブログを開設して本気で書く」ことだった。

無料ブログではなく、自分でサーバを借りてドメインを取って、自分の城をそこに、ありとあらゆることを書こう。

日記ではなく、情報を提供しよう。

僕はそう思った。

そして僕は2008年12月8日、まったく誰にも注目されていない、ただのサラリーマンとして、最初の記事を書いた。

そのとき僕は、まさか自分がこの日からたった2年4ヶ月後に、ブログだけを武器に独立することになるなんて、夢にも思っていなかった。

ただ、僕は猛烈にワクワクしていた。

心から好きなこと、やりたいことをやるなんて、何年ぶりだろう。

きっとこのブログで「なんだか分かんないけど凄いこと」が起こせるんじゃないか。

そんな「根拠のない自信」を僕は心の片隅に感じていた。

誰も注目していない2009年の大切さと決意の2010年

2008年12月8日は、僕がブログをスタートした日でもあるが、もう一つ大きな転機となった日でもあった。

僕はその日に前妻との結婚生活に終止符を打ち、離婚届を役所に出したのだ。

このリセットも、僕が「やりたい」と思っていた大きなことだった。

ただ、この決断はその後1年ぐらいの間、僕に強い罪悪感をもたらした。

「やりたいことをやった代償に自分は罰を受けなければならない」

「取り返しのつかないことをしてしまった」

「自分にはそんな大それたことをする資格はなかった」と、自分を責める日が続いた。

2009年の僕は、ブロガーとしてもまだまったく無名だったが、とにかく毎月90記事を目指してブログを書きまくっていた。

当時の僕にとってブログは、「夢を実現するためのツール」には至っていなかった。

2009年の僕にとっては、ブログは「罪悪感からのリハビリ」であり「新生活に向かうための準備段階」であった。

Twitterを始めて新しい友人がどんどんでき、今の奥さんとの新しい生活が徐々に軌道に乗っていった。

2008年に大きな決断をした後遺症を癒し、再び前を見て進むためのリハビリの準備の1年。

2009年はまさにそんな1年だった。そんな中でもブログのPVは着々と伸びていっていた。

そして2010年に入ると、大きな変化がいくつも訪れるようになった。

ブログとSNSで知り合った友人たちが相次いで本を出版したり、勉強会を立ち上げたりと、「自分ブランド」での活動が本格化し始めた。

そんな中、決定的なできごとがあった。

生まれて始めて、バリバリのプロブロガーの方と少人数で会食する機会を得たのだ。

それまでも、ブログだけで食っている人がいることはもちろん知っていたし、お名前も噂も聞いてはいた。

でも、リアリティがなかった。どこか遠くの話みたいで、自分には関係ないと思っていた。

それが、少人数で食事をして、その方の圧倒的で自由で、しかも豊かな生活、ライフスタイルを聞いてしまった。

頭が興奮で真っ白になった。

手が震えて何も考えられない。

その瞬間から、僕は「自分も絶対にあの生活を手に入れる」と決めた。

それまでは漠然と「人気ブログにしたい」くらいに思っていたものが、「ブログで生活する」に切り替わった瞬間だった。

そして僕は独立に向けた準備をスタートさせた。

それまで無縁だと思っていた高額セミナーを受講したり、メンターに相談したり、すでに独立している人の話を聴きまくった。

そして2010年6月に前職の社長に退職したい旨を伝え、翌年3月末での退職が決まった。

退職が決まった2010年7月から翌年2011年3月末までは、期待と不安が入り混じる中、決意と覚悟を決める時間だったように思う。

独立直後の僕をもう一度見直そう

2011年4月1日に僕は独立した。

2011年4月は、日本は3.11の直後で大混乱している時期だった。

計画停電が続き、余震も多く、原発事故は収束のメドも立たず(今も立っていないが)、世の中は不安なエネルギーに満ちていた。

震災直後はブログのPVも激減し、「こんな状態で大丈夫なのか?」と僕も不安だらけだったが、とにかく決めてしまったからには生き切るしかない、と覚悟を決めての船出だった。

そんな船出だったが、僕は実は失業保険の手続きをせずに独立した。

つまり、失業保険を1円も受け取っていないのだ。

なぜなら、独立した初月から、サラリーマン時代の手取り月給と同じくらいの額を稼げていたからだ。

独立当初、僕はまだブログからの収益が8〜9万円程度しかなく、それだけでは食っていけなかった。

なので、僕は独立前から多角化を進めていた。

もともとビジネスとして「ブログだけ」というのは脆弱で危険と思っていたことあった。

「富裕層向けパーソナルITコンサルタント」「法人向けWebコンサルティング」「請け負いライティング業務」「前職の顧問」などを、ブログと併行して行うことで、当初から売上を確保していたのだ。

この時点では「好きなことだけして食っていく」ことよりも、「当座の稼ぎを得る」ことが大事だった。

独立と同時に書籍出版に向けての準備をスタートさせたが、こちらがなかなか思うように進まなかったこともあり、とにかく稼ぐことを優先させたのだ。

退職金の2/3程度を実家の借金一括返済に使ってしまい、しかも奥さんが音楽療法士になるために大学に通うようになり(つまり稼げない)とても不安な状態だったが、そんなこんなで何とか食えていた。

だが、2011年7月にはブログのPVが100万を越えて収益も上がってきて、他の業務が徐々に負担に変わってきた。

だが、B to Bの業務の方がまだ収益性が圧倒的に高いことは事実だった。

しかし、請負仕事をやっていては、僕が目指していた「圧倒的自由なブロガーとしてのライフスタイル」に永遠に辿り着けない。

そう思った僕は、9月の時点で、ブログ以外の請け負い業務を全部止めてしまった。

そして入れ替わりに、以前からやりたいと思っていたセミナー運営をスタート。

正直9月から翌年の1月くらいまでは赤字続きで退職金の残りも底を突いてしまい、非常にハラハラした。

でも2012年1月には後の「ノマドワーカーという生き方」の出版も決まり、ブログとセミナーの収益も向上し、生活も楽になっていった。

2011年は船出の1年で、とにかく色々と試行錯誤してもがいたが、結果としてすごく経験になったし、僕のフリー生活の原点になった1年だったように思う。

自由に生きることの覚悟と責任

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2012年に4冊の本が出て、僕のライフステージに大きな次元上昇が起こった。

2011年にサラリーマンからブロガーになったわけだが、2012年に僕はブロガーから「作家」「著者」になった。

本が出ることによって、セミナーにもたくさんの方が来てくださるようになった。

そして雑誌やテレビの取材を受けたり、地方の講演会に呼ばれたりするようになった。

たくさんのパーティーやイベントに呼ばれるようになり、多くの著名人の方とお会いして知り合う機会を得た。

最初はとにかく激流に押し流されないよう、必死で泳いでいる感じだった。

それが落ち着いてくると、僕の心に変化が生まれ始めた。

それは、「自由に生きることの覚悟と責任」だ。

僕が発信するメッセージを読み、僕の講演を聞き、「よし、自分も人生を変えよう」と動き始める人がどんどん増えてきた。

実際に会社を辞めて独立する人、地方に移住する人、プロブロガーを目指してがんがん書く人などが出てくる。

僕はそれらの人のお手本にならなければならない。

僕は彼ら、彼女らに「タチさんみたいに生きたい」と思ってもらえるような生き方をしなければいけない。

僕はその責任を感じた。

一時期、その責任が重荷になったこともあった。

ブログも書きたくない、セミナーもやりたくないと、逃げたくなったこともあった。

しかし、僕は覚悟を決めた。

僕は好きなことだけして生きていくと、決めたのだ。

そして情報発信をして、多くの人たちに勇気を与えて生きていくと、決めたのだ。

発信者として、そしてライフスタイルの提唱者として、生き続ける。

その覚悟が決まったときに、僕はもう一段の次元上昇のステップを上ったように思う。

覚悟が決まったら、生きることが楽になり、ブログもメルマガもすごく楽しくなった。

もっと自由に、もっと楽しく生き切る決意

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独立して5年がたった。

今日からの6年目、僕は「もっと自由に、もっと楽しく生きる」ことだけを目指そうと思っている。

損得で考えず、楽しい、嬉しい、やりたい、ということだけを追求して、しかも豊かに生きていく。

僕はそう決めている。

行きたい場所にどんどん行き、やりたいことをどんどんやって、好き勝手に生きる。

僕のことを慕ってくれている皆さんから、もっともっと憧れてもらえるように。

そしてアンチの人たちには、もっともっと嫉妬してもらえるように(笑)。

さらに僕は自由に、圧倒的に自由に、そして楽しく、さらに豊かに、この人生を生き切りたい。

本、ブログ、メルマガを書き、セミナーやイベントを主催して登壇し、大学でも教える。

一人でも多くの方に僕と奥さんのメッセージが届くよう、影響力をさらに磨き高めていく。

今年は講演をDVDや動画配信という形でも、多くの人に届けられるようにしたい。

旅をしながら多くの人と知り合い語り合い、美味しいものを食べ、行ったことのない場所に行く。

たくさんのガジェットに触れて最新のテクノロジーを体感し、良質のセミナー、研修を受け、良書を読み、自分を高めていく。

睡眠と運動、健康にこだわり、アンチエイジングを徹底的に追求し,健康で美しい身体と心を、外面・内面で実現していく。

そして僕と同じような生き方,ライフスタイルを目指す人たちを指導し、育てる場を作り、成長させていく。

圧倒的に自由に、そして圧倒的に幸せで豊かに、そして圧倒的に多くの人の「便利」「充実」「幸せ」に貢献する。

そんな人生を、僕は生き切ると決めた。

独立6年目、さあ、豊かに楽しく生きていこう。

2015年:今日で独立4周年! フリーで豊かに生き続けるための 7つの心構え

今日、2015年4月1日で僕は17年勤めた会社から独立してフリーになって4周年である。

4年を振り返るとあっという間だったような気もするし、紆余曲折あって長かったような気もするが、とにもかくにも4年間フリーでやってくることができた。

支えてくださり、応援してくださった皆さまに心から感謝いたします。

17年間サラリーマンをやって、それから4年のフリーランス生活。

その違いを一言でいえば、「180度、すべてが違う」ということになる。

モノの考え方、価値観、行動パターンなど、以前の自分とは較べものにならないくらいの変化が訪れた。

そして、4年フリーでやってきて、「どっちがいい?」と聞かれたら、僕は迷わず「フリーのほうが絶対いい」と答える。

ただ、これは「フリーの方が優れている」とか「フリーの方が偉い」と言いたいのではない。

向き、不向き、特性は人それぞれだ。

僕はたまたまフリーランスがすごく向いていて、やっていて最高に楽しいというだけのことで、会社員の方が向いていて、楽しい、という人は、それで全然OKなのだ。

ただ、一つ言えることは、20世紀にはできなかったお金の稼ぎ方がどんどんできるようになっていて、フリーランスの可能性がどんどん高まっているのは事実だ。

僕がやっている「ブロガー」にしろ「コンサルタント」にしろ「セミナー講師」にしろ「イベントプロデュース」にしろ、20世紀には個人としてはできない活動だった。

大手のエージェントなどを仲介させなくても、個人がアイデアと行動力でお金を稼げる時代。

それが21世紀だと、僕は思っている。

そんな僕が、この4年で強く感じている、「フリーで豊かに生き残るための心構え」を7つ選んでみた。

今日は4月1日、新年度という方も多いだろう。

これから独立を目指したい、フリーになりたい、という方の参考になれば幸い。

さっそく紹介しよう。

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1. 「儲かること」ではなく「好きなこと」でお金を稼ごう!

「仕事は汗水たらしてするもの」

「仕事とは辛いもの」

「仕事とは効果的にお金を稼ぐもの」

サラリーマン時代の僕は、基本的に仕事をかなりネガティブにとらえていた。

「仕事とは我慢してするものだ」と。

でも、フリーになってから、その考え方は180度逆転した。

仕事とは、「一番楽しいこと」であり、「一番やりたいこと」に大逆転したのだ。

僕が主催するイベントやセミナー、個人コンサルなどで、ときどきこのような質問をする人がいる。

「ブログで早く儲けたいんですが、どんなことを書けば儲かりますか?」

僕はそういう方にはこのような返事をすることが多い。

「それは本末転倒です。儲かるからやる、という考え方では続きません。ブログは毎日コツコツ書き続ける、とても地味で単調な作業です。ブログを書くこと自体を楽しめない人は、ブログで成功することはできません。まずは楽しいことを書く。それがスタートです」

僕の周りで、僕の奥さんも含め、フリーランスとして成功している人に共通することは、「好きなこと」を徹底してやっている、ということだ。

「好きなこと」をどんどん磨いていくと、「他人がマネできない強み」になる。

その「他人がマネできない強み」を、商売にしている人が、強いフリーランスなのだ。

唯一の例外は、「徹頭徹尾、猛烈にお金が好き」な人で、このタイプの人は、とにかくお金を愛しているので、効率良くお金が稼げるということが、最大のインセンティブになる。

だが、僕を含め多くの人は、自分独自の強みを活かして仕事にしていきたい、と願うのではないだろうか。

その場合、「たくさん儲ける」ことばかり意識してい仕事を選ぶと、すぐに辛くなる傾向が強い。

僕の周りで長くブログを続けて、稼げていく人たちは、書くことが好きで、そして、読まれることも好き、という人が多い。

「好きなこと」を「徹底的に磨いて」、「自分の強み」にしていく。

それこそが、豊かなフリーランスとしてい生きる、最初のステップなのではないかと僕は思っている。

2. 仕事は「時間」でするのではなく「成果」でする

サラリーマン時代の僕は、月曜から金曜日の9時〜18時に仕事をする、というライフスタイルで生きていた。

もちろん会社の業績を上げることが大切だと、頭では分かっていたが、それでも「拘束時間」があることは事実で、どんなに成果を上げても早退は早退だし、遅刻は遅刻だった。

だから、どうしても、仕事は時間でするもの、という意識で働いていた。

でも、フリーになって、その考え方はまったくなくなった。

仕事は時間でするものではなく、成果に対してするものだ。

僕の知っているある著名な方は、講演1時間の単価が120万円だ。時給120万円である。

そのいっぽうで、もし100時間かかって1万円しか稼げない人がいたとすると、その人は時給100円だ。

「毎日8時間出勤していれば月末に月給が同じ金額入ってくる」という発想では、フリーはやっていけない。

かけた時間に対する報酬ではなく、成果に対する報酬を受け取る。

それが大きな転換ポイントだった。

3. 自分の価値は「市場」が決める

フリーで仕事をしていると、自分の単価を自分で決めることができることも多い。

たとえば、僕は個人コンサルティングを、モニター価格で90分12,000円で設定した(今は24,000円)。

いっぽう、ある方のブログコンサルティングは、90分で5万円だ。

さらに、別の方の個人コンサルティングは、90分で13万円だ。

自分の価格を自分で決めることができる。

それがフリーランスの特徴だ。

しかし、設定したその価格で「売れる」かどうかは、別問題。

僕の場合、最初は経験を積みたかったので、たくさんの方に来て欲しいと思い、低めの価格設定でスタートした。

その結果、あっという間に2ヵ月先まで予約でいっぱいになった。

これは、市場に受け入れられた、という状態だ。

でも、もしこれを、「90分13万円」で始めたとしたら、果たしてお客さんは来てくださっただろうか。

 

単価を変えれば、ターゲットとなるお客さまの層が変わる。

13万円のコンサルティングを提供するなら、13万円分の価値を、13万円支払う準備ができている顧客層に、正しく提供しなければならない。

市場に対して価値が低くてもダメだし、ターゲットとなる市場とはずれた場所に提供しようとしてもダメ。

価格は自分が決められる。しかし、「価値」は市場が決めるのだ。

これが絶対法則なのだが、失敗するフリーの人は、「価値は市場が決める」という絶対法則を受け入れることができない人が多い。

たとえば、セミナーを開催しようとしても、集客ができない人がいる。

「値段が高すぎる」「内容に魅力がない」「場所や日時が不適切」「告知・宣伝が不十分」などの要因があり、総合的に「市場」が拒否しているから集客できないのだ。

その場合、「集客できていない」ことを客観的事実と受け止め、コンテンツを磨かなければならないのだが、「市場に拒否されている」ことを受け入れられない人は、「宣伝・告知」ばかりを分厚くしてしまう。

結果、余計に市場から拒否されてしまい、フリーという土俵から退場することになったりする。

「正しいのは自分ではなく市場」。

この考え方を徹底すると、「市場」と「自分」のズレが見えてくる。

見えてくれば修正できるので、自分を市場に寄り添わせることができる。

4. 自分軸を磨き他人に迎合しない

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サラリーマン時代の僕は、「協調性」を必要以上に大切にして、自分の個性を消す生き方をしていた。

でも、フリーになって、この考え方も180度変わった。

自分の生き方、ライフスタイルは、唯一無二の大切なものであって、何が何でも守るべきだ、と信じるようになった。

周囲の目を気にして、本当にやりたいことができない、とか。

家族の反対にあって、次のステップへの進出を諦める、とか。

以前だったら、「それもそうかもしれない」と、周囲に迎合して妥協していたことを、僕は妥協しないようになった。

もちろん「傲慢になれ」とか「人の話を聴くな」と言っているのではない。

しかし、自分は自分の人生を歩んでいて、自分の人生に責任を持てるのは最終的には自分だけなのだ。

他人の意見に迎合して、自分のやりたいことを諦めて、結果としてその判断が間違いだったとしても、そのアドバイスをした人は、あなたの失敗に責任を取ることはできない。

自分のことは自分で決めるしかない。

だからこそ、自分の判断根拠、考えの「軸」を持ち、軸がブレないように、日々磨かなければならない。

大変なことに感じるかもしれないが、自分軸を磨くことは、快感でもあるのだ。

しっかりとした自分軸を持ち、その軸に従って生きる。

僕もまだまだ未熟だが、それを目指していくと、自分独自のライフスタイルが、しっかりと確立されていくのだと思っている。

5. 辛い試練も「次のステージへの準備」と捉えて前に進む

フリーランスで仕事をしていると、良くも悪くも、ダイレクトにさまざまな反応が返ってくる。

それは、「反響」という形で、言葉でメッセージが届くこともある。

また、「売上」という形で、間接的に届くことも多い。

「楽しそう!」「行きます!」「頑張ってください!」とコメント欄には書かれているのに、イベントにお客さんが来てくれない。

それは、来てくれないお客さんが悪いのではなく、お客さんが集まらないような企画をしている自分が変化する必要があるのだ。

僕自身、独立して4年の間に、何度か「もうダメだ」という経験をしてきている。

でも、そのときこそが、「次のステップへと飛躍するための準備」なのだ。

高くジャンプするためには、その前にしゃがまなければならない。

今までのステージから次のステージに進むべきときには、必ずその前に兆候がある。その兆候は多くの場合、ネガティブな形でやってくる。

本が売れない、ブログのPVが落ちる、イベントに人が来てくれないなど、辛いことが立て続けに起こることがある。

そのときに、辛さを正面から受け止めて、押し潰されてしまうのではなく、こう考えるのだ。

「今こそ、自分を大きくバージョンアップさせる絶好のタイミングだ!」と。

自分と徹底的に向き合う「コンフロント」を妥協せずにしていくことで、それまで考えもしなかった新しいアイデアが生まれ、ネクストステージに飛躍することができる。

フリーランスで生きるとは、素手で殴り、蹴り合う「フルコンタクト空手」みたいなものだ。

防具がないので、ダメージも大きいが、その分「好きなことで生きている」という喜びも大きい。

良くも悪くも「ダイレクト」で、「リアル」なのだ。

だからこそ、達成したときの喜びも格別大きく、嬉しさは他のことに変えがたいほどだ。

辛い試練のときこそ、次のジャンプの準備。

そう思えるかどうかが、実は勝負の別れ道かもしれない。

6.「やり方」だけでなく「あり方」を常に学び続ける

偉大な経営者の方たちや、大成功されているフリーランスの先輩たちの多くは、哲学書や歴史書などを熟読されている方も多い。

最近僕もそのことの意味がだんだん分かるようになってきた。

自分らしく、好きなことをしてフリーで生きていくためには、「我とは何者か」を知り、自分の生き方を見つめていく必要がある。

僕のような仕事は、ライフスタイルの提示と、アドバイスが命だ。

ライフスタイルとは、すなわち「生き方」であり、人としての「あり方」である。

だからこそ、フリーで生きる人は、学び続けなければならないのだと、僕は思っている。

さまざまなテクニックやノウハウを教えてくれる「やり方」ももちろんだが、人間としていかに生きるか、「あり方」を学び続けることが、極めて重要だと感じている。

人によって人生のステージや価値観はさまざまだ。

しかし、僕の周囲で成功している経営者やフリーランスの方達の多くは、「やり方」と「あり方」を徹底して学んでいる。

僕もフリーになって、「あり方」を学び続けることの重要性に初めて気づき、それを実践しているところだ。

これからも、自分自身も「あり方」を学び続けたいし、ブログや講座などを通じて、僕なりの「あり方」を発信もしていきたいと思っている。

7.「過去」でも「未来」でもなく、「今」に生きる

僕は計画を立てることが好きで、人生の60年計画などを作っていたりするのだが、最近意識していることは、「計画に縛られる」のではなく、「計画を更新する」ために生きること。

計画を作った自分は過去の自分だ。

過去の自分と今の自分は違う。

だから、過去の自分が作った計画に違和感を感じたら、躊躇なく別のことをするし、しても構わないと「自分に許可」を出している。

計画とはあくまでも未来の「予定」であって、これだけ変化の早い現代において、予定変更を躊躇する意味などほとんどない。

その時その時で、未来の自分を描くことは悪いことではないし、良いことだと思う。

しかし、その計画に縛られて、本当は違うことをやりたいのに、しぶしぶ計画に従うのは、ちょっと違うと最近思うようになってきた。

総合的な自分の「あり方」「生き方」からずれていなければOK。

計画は、むしろ「変更」し、「更新」するためにある。

過去や未来の自分に縛られて、今の自分を犠牲にしてはいけない。

今を生きることこそが、明日の自分を更新していく、最大のエネルギーのように感じている。

まとめ

2011年4月1日、東京の街は東日本大震災と原発事故の影響を強く受け、日本全体が大きく動揺している時期だった。

僕自身、サラリーマンとしての最終出勤日まで、「災害対策本部長」という役割を担っていたし、当初予定されていた、僕の送別会も、震災の影響で延期となる中での独立だった。

あれから4年。

この4年間は、僕にとっては大きなライフスタイルの大転換の期間だった。

ブログを書き続け、本を6冊出版し、セミナーやワークショップを開催してきた。

そしてその間ランニングを1日も休まず続け、多くの新しい友人や仲間を得て、ネコを飼うようになり、奥さんと二人三脚でやってきた。

これからも僕はどんどん変化していくだろうし、変化する自分に「許可」を出している。

来年の今ごろ、僕はどこで何をしながら、どんなことを想い、そして書いているだろうか。

考えると、すごくワクワクする。

一つ言えるのは、来年の今ごろは、今よりもさらに多くの新たなツールやサービスが生まれ、2015年の今にはなかった職業がいくつも生まれ、さらにフリーランスの可能性が大きくなっているだろう、ということ。

そんな時代に自由を謳歌して、好きなことをして豊かに生きる。

最高の時代に最高の場所に生きられることに感謝しつつ、新たな1年をきっちり生きようと思う。

2014年:独立してフリーになって3年がたちました

2011年4月1日に17年勤務した会社から独立してフリーになった。今日で独立3周年というわけだ。

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あれからもう3年?まだ3年?

あっという間だったという気もするし、すごく長い時間が経ったような気もする。

でも、3年というのは、一つの区切りなのだというのはとても実感している。

「ああ、独立してフリーになって、一巡したんだな」という手応えがある。

1周年のときも2周年のときも感慨深かったが、今回は特別な想いがある。

3年間、なんとか沈没せずにやってこられた。

独立したときには何も武器がなかった僕が、今ではそこそこ食っていけるだけの武器を身につけたように思う。

ただ漫然と過ごしたのではなく、目一杯頑張って突っ走った3年だけに、感慨もひとしおだ。

 

僕が独立を果たした2011年4月1日というのは、東日本大震災とその直後に起こった原発事故の大混乱の真っ只中だった。

政治も混乱し、経済も停滞するなかでの船出だった。

右も左も分からない中で、会社に行くことをやめ、自分の部屋に篭城し、ネット越しにMacの向こうにいる人たちに向けてひたすら語りかけ続けた。

どうなるかなんて分からなかったし、どうなるかには興味がなかった。

「どうしていくか」「そのために何をするか」だけが知りたかったし、そこを追求していった。

 

あの日から3年が経ち。僕の手許には、5冊の本が残った(うち1冊は電子書籍なのでiPadで表示させよう(笑))。

3年前の僕に、「お前は3年後には5冊の本を出版した著者になっているよ」と言っても、多分実感を持てなかっただろう。

「お前は「人と人を繋げること」をミッションとして、ブログ、書籍、セミナー、ワークショップなどを通じて情報発信をして生きるようになる、と言われても、きょとんとするばかりだったかもしれない。

 

夢中で走ってきたけれど、泥臭いながら、それなりに進化を遂げているようだ。

僕はサラブレッドではない。駄馬だ。

駄馬ではあるが、駄馬なりに磨いてきた結果、そこそこの毛並みにはなってきたような気もする。

ここからの3年は、さらに艶やかにしなやかに美しく、でも力強く突っ走りたいと思う。

ここまで僕をサポートしてくださった皆さま、本当にありがとうございます。

そして今後ともどうぞよろしくお願いいたします。供に突っ走っていきましょう!

2011年:ごあいさつ 会社を退職して独立しました

いつもNo Second Lifeを読んでいただきありがとうございます。

ちょっとここでご挨拶を。

以前からちょこちょことそれらしいコメントを書いてきましたが、一応区切りということで。

 

立花は3/31をもって17年間勤めた翻訳会社を退職し、独立しました。読者の皆さまに報告させていただきます。

もうずい分前から独立を願っていました。念願かなっての旅立ちです。

 

長い間お世話になった社長と取締役には、快く送り出して頂き、本当に心から感謝しています。

会社の部下の皆、応援してくれてありがとう。皆の活躍を心から応援しています。

 

4月からはフリーで活動していきます。色々と面白いことを考えていますし、何か面白いネタがあれば是非一緒に何かやっていきましょう。

サラリーマンをやっていた時間が長かったので、まだフリーの立場に頭も身体も馴染んでおらず、おたおたしていますが、早く慣れようと思います。

 

Twitterやブログの仲間には、ずいぶん前から応援してもらっていました。

皆さんの応援がなければ、ここまでやってこられませんでした。本当に心より感謝します。

そしてこのNo Second Lifeを読んでいただいているすべての皆さんのアクセスや応援コメントにも感謝しています。

2年ちょっと前には1日20〜30アクセスしかなかったブログが、皆さんのおかげで今や1日5,000〜10,000人もの方にアクセスしてもらえるようになり、感無量です。

これからはフリーになった僕の生活についても、ブログでいろいろ語っていきたいと思いますので、是非今後も遊びにきていただけると嬉しいです。

 

最後に、僕の人生の大きな転機を全面的に応援してくれた妻と家族にも心から感謝します。今後全身で恩返ししたいと思います。

では、今後ともNo Second Lifeをよろしくお願いします。

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