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行き詰まり人生の突破口を「ブログ」に定めた僕は8年もブログを始められない憶病者だった!! 〜 立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろう 第4回

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メルマガ連載「立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろう」のブログ転載、第4回です。

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38歳で八方塞がりの人生に行き詰まり、「せめて1日の中に5分でもいいから、自分の好きなことをしよう」と思い、辿り着いたのがブログでした。

2008年12月8日は、僕にとって一生忘れることができない日となりました。

写真は離婚直後の引っ越しの翌朝目覚めたときの新居の段ボール。どん底からの人生再起動でした。

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行き詰まり人生の突破口を「ブログ」に定めた僕は8年もブログを始められない憶病者だった!! 〜 立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろう 第4回

38歳の僕は、仕事も家庭も健康面も、経済的にも行き詰まり、どうにもならない状態になっていました。

自分のやりたいこと、好きなことがまったくできていない人生なんて、もう真っ平だ!

なんでもいいから「好きなこと」をやろう。

そのときに僕が「やる」と決めたことが、実は、ブログと離婚だったのです。

僕がブログをスタートさせた2008年12月8日というのは、僕が前の奥さんとの間の結婚を終わらせる、離婚届を役所に出した日でもあります。

その日は会社を午前半休にさせてもらい、朝に近所の区役所に離婚届を提出しました。

そしてそのまま会社の最寄り駅まで移動して、オフィス近くのカフェで、ブログの最初の一記事目を公開したのです。

これがそのときに書いた、最初の記事です。

ずっとやりたいことを封印して、我慢して生きてきた僕が、自分のやりたいことをやる。

ブログはその「やりたいこと」の代名詞でした。

前にも書いたとおり、僕は小説家や翻訳者を目指していた時期もあり、文章を
書くことが好きでした。

そして第1回のブログにもちらっと「日記」という言葉が出てきますが、1996年からずっとインターネット上に公開日記を書いていました。

でも、日記というのはあくまでも個人的な文章であり、よっぽどの有名人でもない限り、多くの人に読まれることはありません。

実際僕の公開日記も、1日のPVは20〜30くらいで、当時人気だったmixiからリンクを貼っていたので、友達がぽつぽつ読んでくれる程度の存在でした。

「パーソナルな日記ではなく、情報価値の高いブログを書けば、僕の記事もたくさんの人に読んでもらえるかもしれない」

僕はずっと前からそう思っていました。

実は、僕の元同僚の女性が、日本でも10番目以内くらいに早い時期にブログを始めた人だったのです。

彼女はブログを始めてその面白さに気づき、「立花さん絶対ブログ向いてるから、やった方がいいよ!」と何度も声を掛けてくれました。

そして僕自身も「ブログは情報単位で記事を作れる凄いツールだ!」とすぐに思いました。

それなのに、僕はブログを始められなかったのです。

彼女が僕を誘ってくれたのは、確か2000年くらいのことです。

そして僕がブログを実際始めたのは、なんと2008年12月。

8年もの間、僕はずっと先送り、先延ばしをし続けてきたのです。

何という憶病者でしょう!!

「ブログをやってみたけど、それでも人気が出なかったら、僕にはもう何も残らない」

その恐れが僕に、ブログをスタートさせることを先送りさせていたのです。

でも、そんな僕が、ついに2008年12月に、ブログをスタートさせました。

そのとき僕は、「何かすごいことが起こるかもしれない」という、根拠のない自信を胸に秘めていました。

続く。

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