メッセージ

借金まみれの超デブだめサラリーマンだった僕がブログで人生を劇的に変えるために身につけた7つの大切な武器 〜 ブログ開設8周年の日に 人生を変えたいと願うすべての人に捧ぐ

メッセージ
スポンサーリンク

150401-01-212月8日は僕にとって特別な日である。

太平洋戦争が勃発した日、ジョン・レノンが凶弾に倒れた日でもある12月8日は、僕のブログ「No Second Life」がスタートした日なのだ。

今から8年前、2008年12月8日に、市ケ谷のカフェで、このブログNo Second Lifeの1記事目が全世界に向け公開された。

その日はどんより曇った寒い朝だった。

僕は自宅を出ると近所の区役所の支所に出向き、前の妻との離婚届を提出し、そしてそのまま前職のオフィスがあった市ケ谷へと移動して、駅前のカフェでブログを書いた。

それがそのときに生まれた最初の1記事目だ。

あれから今日で8年。

この記事を書いたときの僕は、超デブのサラリーマンで、借金まみれで、生きる希望を見失っていた。

「僕の人生はこんなはずじゃなかった」とばかり考え、でもどうして良いか分からず、クローズドサーキットの中をぐるぐる回っていた。

仕事の責任と義務を果たし、あとは憂さ晴らしで暴飲暴食をし、時間を忘れるためにぼんやりとテレビを眺める生活。

ある日、自分の日々の生活の中に「本当に好きなことをしている時間が1秒もない」ことに気づいた僕は愕然とした。

そして、「やりたいことはなんだろう」と考えたとき、浮かんできた答えが、「ブログ」だった。

文章を書くことが好きで、20代からずっと細々とインターネット公開日記を書いていたし、小説の新人賞に応募したこともあった。

誰にも邪魔されず思い切り文章が書ける場所を作ろう。自分の城を持とう。

そう思ってスタートしたのが、ブログNo Second Lifeだった。

当時は「ブロブロガー」という言葉もなかったし、自分がプロブロガーになるなんてことは、まったく想像すらしていなかった。

でも、そんな僕の耳にも、「ブログを書いて大ブレイクして、出版したりテレビに出たりするようになった人がいるらしい」という噂は届いていた。

そして、「ひょっとすると僕も本気でブログ書いたら、何かすごいことが起こせるかも」くらいな、根拠のない自信のようなものはあった。

あれから8年の時がたち、39歳だった僕は47歳になった。

当時バツイチで超デブなサラリーマンだった僕は、再婚して劇的に痩せ、自分で会社を作って社長になった。

当時借金まみれだった僕は、いまや六本木と鎌倉に2軒家を持ち、それに加えて母の家の家賃も払えるようになった。

売上は4,000万円を超え、5,000万円を伺うところまでやってきた。

もう8年?まだ8年?

毎年この日が来るたびに、さまざまな感慨に包まれる。

今年は少し切り口を変えて、この記事を読んでくれる皆さんに向けてのメッセージという形を採りたい。

スポンサーリンク

借金まみれの超デブだめサラリーマンだった僕がブログで人生を劇的に変えるために身につけた7つの大切な武器 〜 ブログ開設8周年の日に 人生を変えたいと願うすべての人に捧ぐ

1 捨てる勇気

ブログを始めたことにより、僕が最初に身につけたのは、「捨てる勇気」だった。

意外に思うかもしれないが、これがなかったら、僕はブログを続けることがてきなかっただろう。

ブログを始めてすぐに、僕はブログが持つ猛烈な魅力に引き込まれた。

もっと記事を書きたい、もっとブログに触れていたいと強く願うようになった僕は、日常生活の中で、ブログを書く邪魔になるものを、どんどん切り捨てていった。

テレビ

一番最初に切り捨てたものは、テレビだ。

冒頭にも書いたが、以前の僕は家にいる間中、ずっとテレビをつけて、ダラダラと観続けていた。

でもブログを書くには、テレビの時間が邪魔と感じるようになった。

そこで、どんどん観る時間を減らしていき、最終的にはテレビを捨ててしまうまでになった。

あの膨大な時間をなくしたことが、ブログを書く時間を作るために大きく貢献した。

残業

次に減らしたのが残業だ。

僕は管理職だったので、自分の作業で残業することはあまりなかった。

残業代も管理職は出ないので、お金のために残業することはなかったが、部下の監督という名のもとに、だらだらとオフィスにいることが多かった。

この時間も、ブログをスタートしたことによって、邪魔な時間になった。

仕事が終わったら社長や役員が残っていても、さっさと帰るようになった。

結果として、部下としても、上司がだらだら居残っているより良くなったと今では思うが、僕にとっても大きな決断だった。

飲み会

もう一つ捨てたのが、だらだらと続く飲み会だ。

仕事が終わったらダラダラ飲むしか楽しみがなかったため、ブログ以前の僕はとにかく飲み会が好きだった。

大した目的もなく似たようなメンバーでちょくちょく集まり、ダラダラと飲み、愚痴を言い合い傷を舐め合うような飲み会。

そんな飲み会命だった僕だったが、ブログを書くためには、飲み会は完全に邪魔な存在になった。

それまで飲んでいた人たちからは、「付き合いが悪くなった」といわれたが、僕にとってはそんなことを大した問題ではなかった。

2 習慣力

ブログ1日3回更新

僕はブログを開設するときに、一つ目標を掲げていた。

それが、「1日3回更新」だ。

前述したとおり、僕は「ブログでなにか起こせるかも」という、漠然とした期待をもってブログをスタートさせた。

そのときに、以下の仮説を立てた。

「普通の人はブログは1日1記事だろう。僕は今からスタートする最後発だ。他の人と同じことをしていては、永遠に先発の人たちに追いつけない。だから、1日3記事更新して、3倍のスピードで書けば、すでに成功している人たちに追いつけるに違いない」

僕はそう思い、1日3回更新を開始した。

「普通のザクの3倍速い」と自分のブログの3倍更新をかけて、アイコンを機動戦士ガンダムのシャアの画像にした。

仕事が忙しかったり、気持ちか落ちたりしてできていない日もあるが、1か月90記事を目指して書き続けた。

サラリーマンをしながらだったので、早朝にランニング日誌を書き、会社の昼休みに書評を書き、そして夜にガジェット系の記事を書いた。

3記事更新を掲げてチャレンジしたことにより、僕の習慣力はすごく高まったと思っている。

ランニングとダイエット

ブログ開設前から断続的にランニングはしていたが、習慣化できず、したがって、ランニングの目的であるダイエットもうまくできていなかった。

ブログ開設の時期はたまたま離婚騒動でやつれていて(笑)、体重が減り気味だった。

そのチャンスに乗じて、ブログ開設翌日から「ランニング日誌」を書き、ログを公開することで自分を追い込むことにした。

そして、友であり良きライバルであるアビさんとTwitterで知り合ったことも奏功し、2009年9月1日からの、2050日連続出走という記録を達成できた。

連続出走は昨年、疲労骨折をしてしまい、一旦途切れたが、足が治ってからは再び500日を越えて連続出走中である。

おかげでダイエットにも成功し、27kgやせたあとも、リバウンドすることなく、健康でアクティブに活動ができている。

健康診断の数値もオールAをキープできている。

成功の秘訣は、もちろんブログに書いてアウトプットしたことだ。

全世界に公開することで、自分を追い込み、成果を出すことになった。

親指シフト習得

2009年に勝間和代さんの本を読み、そこで親指シフトの存在を知った。

ブログを書くにしても、メールや書類を書くにしても、ローマ字打ちが非合理的であることは明らかだった。

そこで、完全に独学で、親指シフトを習得することに決め、そのプロセスをすべてブログに公開するようにした。

結果、約半年かかってローマ字打ちのスピードを追い抜き、いまでは僕はコンスタントに1時間6000文字をアウトプットし続けることができるようになった。

親指シフトの習得も、ブログがなければ挫折していただろうし、ブログをもっとたくさん書きたい、という願いがなければ、そもそも親指シフトを習得しようとは、思わなかったかもしれない。

3 アウトプット学習法

ブログを開設したときの僕の大きなテーマは、「情報を発信して多くの人の役に立つ」ことだった。

なので、MacやiPhoneの情報でも、書評でも、役に立てる記事を書きたいと思っていた。

すると、自然と自分の勉強が、アウトプット、つまりブログを書くことまでを目的として行われるように変化した。

読書が一番分かりやすい例だと思う。

以前の僕は、ただ本を読んで終わりだった。

ときどき線を引いたり付箋を貼るぐらいはした。でもそれだけ。

それが、ブログに書評を書くようになったことで、完全に読み方が変わった。

読書をしたら、読んだ内容を分かりやすく読者に伝えること、つまりアウトプットができないといけない。

ここに目的が移動したのだ。

ぼんやり読んでいて内容を把握していなかったら、読者に説明できない。

ちゃんと理解して内容を咀嚼して、人に説明できるようにしなければ、「学んだ」とは言えない、というレベルになったのだ。

これは、僕にとって猛烈なレバレッジとなった。

当時の僕は「年間200冊」を乱読する目標を立てていたが、その本すべての書評を書いた。

ただ読むだけの読書と、全部アウトプットまでする読書では、頭に残る密度がまったく違う。

このアウトプット楽習法を徹底して行ったことで、僕は出版できるだけの文章力を身につけたのだと思っている。

4 マーケティング・ブランディング

僕は前職でマーケティング的な仕事もしていた関係で、ブログを書くようになって比較的早い段階から、自分のブログをどう育てていくか、どう見られるようにするかを意識し始めた。

そして、2010年になってプロブロガーを目指すと決めたときから、つっこんでマーケティング・ブランディングの勉強を始めた。

ひとことで「プロブロガー」といっても、さまざまな働き方の人がいることが分かった。

ブログのPVはすごく多くて稼いでいても、個人のブランド力はほとんどない人もいるいっぽう、自分の名前で続々と本を出版して、自分ブランドで食べていけるようになっている人もいた。

法人化して社長になる人、大学で講義を持つ人、海外と日本をいったり来たりしている人。

研究対象は、ブロガーから著者・作家、文化人へと広がっていった。

そして僕は自分の将来像を決めた。

それは、出版してベストセラー作家になり、セミナーを開催して講演し、大学で講義を持ち、自分の会社を作って社長となり、デュアルライフをするようなライフスタイルだった。

2010年には、それらはすべてただの妄想であり、夢に過ぎなかった。

しかし、2016年のいま、僕は、プロブロガーであるとともに作家になり6冊の本を出版し、セミナーを開催して講演し、テンプル大学日本校で英語で講座を持ち、自分の会社を作って社長となり、六本木と鎌倉のデュアルライフをしている。

書いてて笑ってしまうくらい実現している。

これは、もちろん夢を描いたことも大切だが、しっかりと舞台裏でマーケティング・ブランディングをしてきたことが大きかったことは間違いない。

今まで僕自身のブランディングについては、ほとんど語っていないが、将来B塾上級を開講したならば、そのときに語ろうと思っている。

5 プロフェッショナリズム

サラリーマン時代と違って、いまの僕には生活の保障はなにもない。

会社の社長にはなったが、奥さんと二人の会社だし、自分たちで稼がなければお金は入ってこなくなる。

どんなにマーケティングをして、ブランディングに励んだところで、自分たちのやっていることに、嘘やデタラメがあったら、僕たちは生活していくことができなくなる。

どんな物事にも完ぺきはない。

でも、僕は少なくとも「完ぺきを目指してベストを尽くす」ことを徹底してやってきた。

サラリーマンから独立してブロガーになり、自分の名前と力で食べていくようになる。

それは、自分が「プロである」ことを、自他、つまりは世界に、つまりはマーケット(市場)に、宣言することだ。

サラリーマン時代の僕は、恥ずかしながら、受け身で必要最低限の仕事しかしないこともあった。

だが、プロとして人前に立つにあたっては、そういう発想では絶対に生き残れない。

常に完ぺきを目指しても絶対に完ぺきにはならない。

それでも、完ぺきを目指した人しか到達できない領域がある。

そこを目指した人だけが入れる領域には、さらなる改善と「のびしろ」が僕を待っていてくれる。

それが、プロフェッショナリズムなのだと僕は信じている。

6 非連続の飛躍(クオンタム リープ)をする勇気

ブログを始めてから、僕の人生には、数えきれないほどの、非連続の飛躍、クオンタム リープが起こっている。

皆さんに分かりやすいのは引っ越しだろう。

ブログを始めたとき、僕は麻布十番で前の妻と一緒に暮らしていた。

そこから、文京区大塚、文京区小日向、港区元麻布、港区六本木へと、8年で4回引っ越しをし、その過程で今の奥さんと再婚することができた。

そして今年10月からは、鎌倉とのデュアルライフもスタートした。

「住める場所に住む」から、「住みたい場所に住む」に発想を変えたのだ。

飛躍する自分の存在を認めたのだ。

セミナーにしてもそうだ。

4,000円で開催していたセミナーを、突然10万円に値上げして、2daysワークショップにした。

当時はブロガーがセミナーをやることが流行っていたが、僕の周囲でそんな高額セミナーを開催する人はいなかった。

周囲のブロガーからはずいぶん叩かれたらしいが(本人あまり自覚していない)、僕はブロガー界隈の素人セミナーを見据えていたのではない。

僕は3日間で30万円の大人気セミナーを開催している鮒谷周史さんや、7か月連続の岡部明美さんのLPL養成講座、そしてCCLやマスタリートレーニングなどを主催するコミュニケーションエナジーの湯ノ口弘二社長など、本格的かつ本当のプロが開催するセミナーを研究し、自分のセミナーを、それら人気セミナーの水準へと「非連続に飛躍」させたのだ。

だから、2daysワークショップは3daysになり、4日間の「ツナゲル ライフ インテグレーション講座」になり、今年からは4か月の講座となった。

僕がさらに見据えているのは、LPL養成講座とコミュニケーションエナジー社の「マスタリートレーニング」が融合したような、最上位の講座を作ることだ。

ここに向けて僕は、さらに飛躍していきたい。

7 「やり方」と「あり方」の統合 〜 心のフィールドへの進出

ブログを開設した当初から2012年に4冊の本を出版してブレイクするまで、僕はとにかく「やり方」を徹底的に鍛えることに集中してきた。

親指シフトを習得し、アウトプット学習法で自分を高め、そしてマーケティングとブランディングを追求していく。

それは、一つの達成ではあった。

だが、ここで僕は激しい燃え尽きを経験することになった。

「もう書けない。なにもできない」という状況に陥った僕は、奥さんのすすめもあって、岡部明美さん、あけみちゃんのワークショップを受けることにした。

そしてそこで激しい衝撃を受けた僕は、本気で自分の心と取り組むことを決意し、7期LPL養成講座を受講・修了することになった。

これでOK、万全と思っていたのに、2014年に2冊の本を出版した僕は、再び激しい燃え尽き状態に陥る。

そして僕は9期LPLの再受講を決意し、その講座中に、「自分のコアビリーフ」(中核となる否定的世界観)を本気で解放することを決意した。

そして約3年の長い格闘のすえ、自分の心の奥深くに巣くっていた、一番中核となる否定的世界観の解放に成功することができた。

その経験をベースに、カウンセリングとしての活動を開始。

ブロガー、作家としての顔に、心理カウンセラーとしての顔が加わったことで、僕は全人的な人間の心の癒しから圧倒的ビジョンを描き、そしてそれを最短距離で実現するところまでを、網羅的に捉えることができるようになった。

もちろんビリーフ解放は「玉ねぎの皮むき」で、どこまでいっても新しいビリーフに気づくことになるのだが、中核のビリーフが解放できたことは非常に大きい。

立花B塾という、新しいコンセプトの塾を立ち上げられたのも、自分のビリーフが解放でき、個別セッションでも大きく人のビリーフ解放のお手伝いができるようになった事実は大きい。

人生を劇的に変えるには、「やり方」の追求はもちろん必要だし大切だが、それと同時に心を整え「あり方」を磨いていくことも、同じかそれ以上に大切である。

それが今の僕の持論である。

あり方の領域に踏み出したこと。

もしかすると、それが僕にとって最大の「非連続的飛躍」だったのかもしれない。

まとめ

8年の歩みを大急ぎで振り返ってみた。

こうして見ると、その変化の大きさに改めた驚くばかりだ。

そして、僕にとっての問題は、自分がここまで変化していることを、普段日常的にあまり自覚できていないことだと、この文章を書いていて、始めて自覚した。

非連続的飛躍はこれからもさらに続けていきたい。

どこに向かうのか、どこに到達するのか。

それは誰にも分からない。

ただ、一つ絶対言えるのは、僕は死ぬまで情報発信を止めないということだ。

個人による情報発信、ブログとSNSがなければ、僕の人生に「非連続的飛躍」は起こらなかった。

僕の人生が劇的に変わったのは、僕に特殊な才能があったからではない。

誰もが持っているけれど、素通りしたり見過ごしてしまうチャンスを、僕は見過ごさない、と決めたのだ。

必ず手を伸ばして、少なくとも「掴もうと最大限努力する」ことに決めたのだ。

六本木の145平米の部屋に住みたかったら、住んでしまえばいい。

そうすれば全身の細胞が必死に、なんとか食っていけるように、自分を進化させてくれる。

その「進化する自分を信じる力」「未来の自分を信じる力」を身につけること。

それが僕のこの8年の旅路で手に入れた、一番の宝物かもしれない。

僕に起きたことはあなたにもできる。

そう信じているから、8周年の記念日に、この記事を書きました。

あなたの人生にも非連続的飛躍を。

期待しています。

2016年12月8日 快晴の六本木にて。

立花岳志

ps. 来年の今日僕はどんなことを書いているだろう。それも楽しみ。

立花岳志 著書のチェックはこちらから!!

過去の○周年記事はこちら!

タイトルとURLをコピーしました