1996年7月6日(土)

日記リンクス主催者の津田 優 さんの日記が更新されていた。

胸が痛むのを感じた。

夜久さんの日記にもあったが、津田さんの悲痛な思いが伝わってくる。

結局お互いの価値観の違いを知りあい、違うことを納得することができないうちに、 お互いの言動に対する不信感が募ってしまったのだろうか。

6月30日の問題については、もう皆さん議論しつくした感があるので いまさら繰り返さない。しかし、一昨日から昨日にかけての悪質な 嫌がらせに関しては、600人以上の日記者ほぼ全員が悲しみ、また 怒りを感じているのではないだろうか。

余りにも陰湿な、卑劣な嫌がらせ。

7月3日の深夜に日記リンクスにアクセスした際に、「これはなんだろう」と 思った。

日記リンクスの復旧は難しいかも知れない。もうこれはどうしようもないことだ。

我々、少なくとも僕は、津田さん個人に参加させてもらっているという意識はなかった。

インターネット上の一つの活動として、日記リンクスに参加していただけだ。

多くの、特に最近参加した日記者の方も同様に思われているのではないだろうか。

誰でも自由に参加できるリンクス。問題が起こっても参加者同士で解決することが 求められていたリンクス。

津田さん個人を攻撃しているのではない。日記リンクスは僕にとっては個人のポインタ集では なかった。誰でも参加できるインターネット上の無償のサービス。

だからみんな厳しい意見も言う。

津田さんの日記は、もちろん日記だから津田さん個人の意見発表の場だと思う。 だからこそ胸が痛む。

削除する自由がないのかと言われると悲しい。

そんなにストレスがたまるまで我慢していたのかと想像すると、非常に悲しい。その代償として 日記文化があんなに花咲いたのだ。きっと。

津田さんはあくまでも個人のページの内容の一つと日記リンクスを考えていたようだ。

根本的な考え方のずれ。津田さんに謝ることはできない。なぜならば日記リンクスには どこにも今津田さんが苦しげに語っていることは書いてなかったからだ。

それは僕が日記リンクスを、個人のページと全く認識していなかったために発生した 認識のずれ。

ばうわうさんと我孫子さん、お二人の日記を見るとこのギャップが日記リンクス全体にも 存在していたことに気づく。

僕はそもそも、NiftyでPowerBambooさん→hisakoさん→夜久さん→ばうわうさんというリンクを つたって日記リンクスを知った。日記リンクスを知った経過はどうであれ、僕の基本路線は 今でもばうわうさんの考え方に非常に近いことを前提として書いておく。

一方我孫子武丸さんの日記リンクスへのアプローチはばうわうさんとは正反対だと感じる。

日記リンクスはあくまでも津田さん個人の趣味のページであり、我々参加者は津田さんの 好意により遊ばせてもらっているというもの。

一方僕の考え方は上記の通り。

200人でも600人でも不特定多数に自由に参加を認めている以上はある程度の制約が 必要だったのではないだろうかと思いつつも、一般大衆に開放する自由なスペースという 認識が管理者側になかったのならそれが備わっていなかったことを責めることもできない。

何となく思考回路がループに突入してしまったようなので、この辺で強引に結論へ。

人間には公私がある。日記リンクスを管理していた、管理者としての津田氏への数多くの 反論、批判はやむを得ない。しかし、津田氏個人への嫌がらせや陰湿な日記リンクスへの 妨害工作はゆるされるものではない。

そして悲しいことだが、津田さんには今、数多くのクレームや批判を受け入れる状態ではないように 思える。今津田さんに抗議のメールを出すことによって日記リンクスが復活するようには 思えない。むずかしいかも知れないが、もう一度日記リンクスが自由活発な活動の拠点と なることを祈り、あわせて、個人として今まで日記リンクスを運営してきた津田さんに 感謝したい。


1996年7月7日(日)

全然知らない人の日記に、僕の書いたことへの批判が延々と書いてあった。

Okbysさんと言う方らしい。 前に読んだことのある可能性はゼロではないが、少なくとも記憶にないし、メールの やりとりもしたことがない。

野原さんの日記から たぐって行ってたどり着いた。

どうやらこの方は、ずいぶん前から日記リンクスに関っていたらしく、日記リンクスの歴史を 勉強しろということが書いてある。

どうしてそんなことをする必要があるんだろう。

僕が日記リンクスに参加したのは4月下旬。更新速度ランキングに登録しはじめたのが 5月の始めぐらい。それ以前のことは当然知らない。

日記リンクスに参加してから、多くの方々と知りあい、数々の貴重な財産を得た。

僕が書く内容は、僕にとっての日記リンクス像であって当たり前だと思うんだけど。

僕にとっての「みんな」とは、僕が日記リンクスで知りあい、共感し、毎日読んでいる 日記者の方々である。

揚げ足とりになるといやなので、補足しておくが、僕が毎日読ませて頂いている日記の作者の 方「全員」が僕と同意見ではない。当然だが。

Okbysさんも、「多数」という言葉を使っている。今回の件について触れている人間の「多数」 はそのように思っていないと書いてあった。

Okbysさんは僕よりも毎日多くの方々の日記を読まれているのかも知れない。もしかしたら 僕の方が多いのかも知れない。そんなことはどうでもいい。

Okbysさんの読まれる日記の作者の方々の多くは、僕とは違う考え方の方が多く、 僕が読む日記の作者の方々は僕と考え方が近いということではないのか。

価値観や考え方が近い人間同士が共感を持ち、親しくなるのは当然で、何も 無理して面白いと思わない日記を巡回して、日記リンクス中の日記を読む必要は ないように思う。

Okbysさんの意見が正しいとか、僕の意見が正しいとかいう、数学的に結論のでる 問題ではない。個人の価値観の問題だ。

僕は自分の思ったことを書いているだけだ。もちろん僕が知っている情報なんてたかが 知れているから、くだらないことを延々と書いているんだと思う。

だけど、僕のことを「無知」と理解しながら、「無知」である人間にさらに攻撃を 加えるのは価値観の押し付けであり、なんら発展性のないものだ。

それと僕に何の告知もないというのは残念だった。

僕は今までOkbysさんという人を全然知らなかった。多分野原さんがリンクを張って くれなければ僕は一生Okbysさんの今日の文章を見ることはなかっただろう。

他人を批判する場合には、当然反論があるわけで、相手を同じ土俵に上げる必要が あると僕は考える。もし僕がOkbysさんの文章の存在を全く知らずにいた場合、 ひょっとしたら両方のページを読む方々は、僕が何も反論できないと思うかも知れない。 もしかしたら相手にしていないって思うかも知れないけど。

Okbysさんはご自分の考えを書かれているのだから、それをどうこうすることは僕には できない。それは当たり前。でも何らかの形で僕に、こういう文章を書いたということを 通知して欲しかった。

さらに、日記リンクスは卒業すればメンテできない学生により運営されているので 公的でないことは自明とあるが、一般の参加者にそれを理解する必要があるとは 思えない。

さらに日記リンクスのどこにも参加に関しての規制はない(自薦に限る以外は)し、 作者が学生であり、一個人によって運営されているという断り書きもない。

参加にあたっての注意書きもなかった。

事実僕はばうわうさんにいつだったかメールで教えてもらうまで、日記リンクスが 大学院生により運営されているということを知らなかった。

津田さんの日記を読めば分かると言われても、個人の日記を読まない自由は参加者にある。

誰でも参加できて、他人により評価される方式をとっているページが公的で はないという論理は僕の考え方と明らかに異なる。

ドメイン名を見たら判断できるだろうと言われても、僕にはそんな知識はない。 ではドメイン名を見て判断できない素人はインターネットに参加する資格がないのか。

運営しているのが学生であれ、法人であれ、不特定多数の人間に参加を呼び掛け、自由な 活動を認めている場所は、公的な場所だと僕は考える。

不特定多数が集えば当然考え方の違う人間同士の諍いが発生する。その争いを仲裁し、 様々な考え方を持つ人間をある程度統制するのがルールだと思う。

「僕が気に入らない内容は掲載しない」というのもルール。 「ケンカをしたら出てってもらうよ」っていうのもルール。 「何でもやっていいけど自分たちで解決しなさい」というのもルール。

今まで何も規制をしない、「自分たちで解決しなさい」という状態を 暗黙的に自ら作っていながら、突然運営を中断してしまうという津田さんのとった 方法に対しての批判は当然あると思う。

それは、大学院生の津田優さんへの批判ではなく、日記リンクスを運営し、 事実上、唯一登録の削除を実行可能な管理者への批判だからしかたない。

だが、個人で日記リンクスを運営していくにあたっての苦労や、今回の件への 批判、嫌がらせ等により疲弊してしまった津田さんの日記を読めば、同情や 反省の念がわき起こるのも僕にとってはごくあたりまえの事。

と言うわけで、延々と書いてしまったが、結論としては、価値観が違うのだから ある特定の事象に対しての捕らえ方も違って当たり前。

僕個人への攻撃という形態をとらずに、彼個人の意見という形態をとればお互いに よりハッピーだったような気がしてならない。

いくら押し付けられても、僕の価値観は変わらない。

それと追記。

Okbysさんの日記に「彼のとりまき」という部分があった。

野原さん同様、僕は含まれていると思うが、他に誰のことを指しているんだろう。

23:40追記

昨日のこの日記リンクスについて思うことにおいて、ばうわうさんの考え方の対極として、 我孫子さんの お名前を挙げた。今読んでいて、文脈から誤解が生じる可能性を感じたので補足したい。

僕は我孫子さんにメールで大変失礼な発言をしたことがあり、それをきっかけに 何度かメールのやり取りをさせてもらった。

で、僕は我孫子さんの日記への姿勢、日記リンクスに対しての考え方等を理解し、 我孫子さんも僕を許して下さった(と少なくとも僕は思い込んでいる)。

僕が今回補足を書かなければと思った理由は、僕が我孫子さんを非難する意味で ばうわうさんとの対極として名前を出したのではないということを強調する必要を 感じたからだ。

考え方の相違はあっても、お互いのスタンスを理解していれば問題ないとは思っていたが、 今日、僕の文章に対してあのような頭ごなしの攻撃が掲載されていたので、 我孫子さんにご迷惑がかかってはいけないと思い補足した。

Okbysさんがそうしたように、僕をばうわうさんのとりまきとみなす人がいるならば、 ばうわうさんがそうしたように、我孫子さんを「古参者」の一味とみなす人がいるはずで、 きっと何らかの波紋が我孫子さんにも及ぶことだろう。情けないことだ。

もうひとつ追記。

私信だが。夜久さんどうもありがとう。がんばりまーす!


1996年7月8日(月)

Okbysさんが僕が昨日書いた文章への意見を書かれている。

ごめんなさい。

正直言って、もう議論になりません。

あなたがおっしゃるかつての日記リンクスと、僕が参加した日記リンクスは 別のものです。津田さんの考える日記リンクスと、僕達が参加した現実の日記リンクスが 分離してしまったので崩壊したんでしょう。

インターネットが研究機関や学術関係の一部の人間の特権であった時代はもう 終わりました。

ピピンでアクセスする小学生に、ドメイン名を知れというのは無理でしょう。

僕が事実誤認していても構わない。そんなことは問題ではない。

あなたにとっての日記リンクスと僕にとっての日記リンクスは明らかに違うものだ。

あなたは高いところから僕を見下している。でも下の方のごちゃごちゃした馬鹿の集まりの部分には、 ごちゃごちゃした部分の馬鹿人間独自の文化がある。

あなたをも僕をも受け入れ、こうして出会わせてくれたのも日記リンクス。

それで充分だと僕は感じる。

きっともうお会いすることもないでしょう。

僕は、初めてインターネットに接続した、何も分からない高校生やおじさん達が、何の心配も せずにゲストブックに登録していってくれるようなページを作り、 読者のみんなが何の遠慮もせずにご自分の人生について告白してくれるような日記を書いていきたい。

それをあなたが受け入れなくても僕には何も問題ない。

僕が、僕を応援してくれるみんなと、僕が応援するみんなと一緒にガンガン楽しいネットを 作っていきたい。

一昨日から昨日にかけて僕に応援のメールを下さった本当にたくさんの方々、 ご自身のページに僕へのエールを書いて下さった方、一緒に怒って下さった方(みなさん自分で あ、俺のことだって喜んで下さい。迷惑が掛かることを恐れてリンクしませんので)、 僕とは全然違う空間で我が道を進みながらもちゃんとチェックしてれてるあなた(君だよ君)、 本当にありがとうございました。

もうそろそろ日記リンクスについての議論は終わりにしたいと思います。

もう前を見て進み始めてもいいころじゃないでしょうか。

僕は大切な皆さんと生きたネットを作っていくぞ。


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