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嫌い。だから読んでみた。 書評「私の名前は高城剛。住所不定、職業不明」

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高城剛が嫌いだ。

初めて高城剛のことを知ったのは僕が高校生の頃で、一目見た時から嫌いだった。だから僕の嫌高城歴は25年くらいになる。相当なものだ。

僕は東京に住んでいたが、洋楽が大好きで、最新の洋楽をがんがん掛けることで有名だったUHF局テレビ神奈川を良く視ていた。

高城剛は当時テレビ神奈川の番組に出ていて、彼が喋るのを僕が聴いたのが、彼を知ったきっかけ。

キンキンした声、下膨れにひげ面、野球帽、やたら高圧的で威張ったモノの言い方。

何もかもがイヤだった。

 

 

あれから25年経ち、僕も高城剛も歳を取った。

一時期は「アイツだけは許せない」と言い切っていた僕だが、やはりモノの見方は変わるわけで。

高城剛と向き合ってみようと思い手に取った。「私の名前は高城剛。住所不定、職業不明」。

 

 

私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明 

高城 剛 マガジンハウス 2011-02-24
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意外とまともじゃないか

 

 

高城剛ファンの方には誠に申し訳ないが、読み始めて最初に感じたことは、「意外とまともじゃないか」ということ。

「ハイパーメディアクリエイター」という肩書きも胡散臭ければ、延々と自分の自慢話ばかりを続ける姿も嫌いだった。

だが、本書で淡々と質問に答える高城剛の言葉は以外にも冷静で真摯だ。

それは僕がまったくテレビを視ない生活を2年以上続けているせいかもしれない。

それと、僕がテレビを見なくなった頃に話題になっていた、高城氏と沢尻エリカの離婚騒動が影響しているのかもしれない。

 

 

僕の中で高城剛はマス・メディアの代表選手みたいなイメージだった。

だが、今はどうやらマスコミから叩かれてメディアとは距離を置いているようだ。

そして僕もマスコミと遠い生活をしている。

その辺りの共感ポイントが、意外にも近かったのかもしれない。

 

 

持つことがカッコ悪い時代か

 

 

本書は編集者が用意した144の質問に高城剛が回答する形が採られ、合間にコラム形式で高城の独白による彼の歩みが差し挟まれている。

質問は多岐に渡る。

仕事は何か?なぜ定住しないのか?最近住んだのはどこか?といった一般的なことから、日本人の宗教観や民族性、そして経済問題や食糧問題、さらには風力発電などにも及ぶ。

正直言って、読んでいて、とても面白い。

さすが世界を旅しながら大企業や国家規模のプロジェクトまでを手がけてきた男だけあって、知識は豊富でしかも見識が豊かだ。

 

 

そしてやはり徹底的に面白いのは、その国際感覚の鋭さだろう。

日本から出たからこそ分かる日本の良さ、日本の特殊性。

本書の中で高城は「日本に対する思い入れは非常に強い」と語っているのが特徴的だった。

そして「本当に日本のことを思うなら、今すぐ海外に出るべき」とも述べている。幕末の脱藩者のように。そして客観的に日本を見られる目を養ったあと、日本に戻るべきだと。

彼の日本に対する思い入れは意外だったし、とても共感が持てる点だった。

 

 

 

そしてもう一つ面白かったのが、21世紀は9.11と共に幕を開け、「持つことがカッコ悪い」時代に突入したという意見。

彼は世界を放浪しながら仕事をしているため、所持品がとても少ないという。

だが、そのような心境になったのは9.11テロが起きてからで、物質的資本主義の20世紀が終わったと感じてからだという。

この点についても彼の言っていることはとても興味深いしスタンスとして正しいと思う。

彼もMacBook Proを持ち、まさにノマドしているわけで、これからの時代は重装備ではなく、持ちものは最小限に留める時代になるのだと僕も感じている。

 

 

見られる価値に振り回されること

 

 

面白い視点が多く大いに高城を見直すことになった本書だが、やはり「あーあ相変わらずだな」と感じる点もある。

大分少なくはなっているが、やはり自慢が合間合間に挟まるし、その自慢のせいで、それまでの有意義な話を台無しにしている箇所もある。

例えば21世紀は「持たない時代」だという話を書いて、さらに「お金の問題じゃない」というような話をしておきながら、「東京のポルシェは売った」みたいなことを書いてしまう。

ここは「東京の車は売った」で良いのではないか、と残念に思う。せっかく「モノを持たずに世界を旅するフローな高城」を語っているのに、急に「でも東京にはポルシェを置いてあったんだ」という雑なイメージが出てきてしまうからだ。

 

 

結局、この人は「時代を作る」とか「時代の先を走る」というような価値観からは、完全に脱却することはできないのだろう、というのが僕の結論。

「時代を作る」ことを意識するということは、他人との関係性により自分の人生が振り回されていることだ。

僕はそう思っている。

他人がどう思おうが、良いものは良い。自分が選んだ人生を生きればいい。

でも、この人はあまりにも深くメディアとコミットしすぎたのだろう。

「他人と違う自分」であるためには、常に「他人」を観察していなければならない。

それって自然体じゃないよな。

そう感じた。

 

 

まとめ

 

 

色々書いたが、この本は読んで良かったと思う。

何が一番良かったかというと、今まで持っていた高城剛の「イメージ」は、やはりマスコミ経由のものが多く、イメージ先行であったことを確認できたこと。

そして、僕より5歳年上のこの男は、人生の先輩として、多少鼻につくところはあるが、スケールがでかい面白いことを目一杯やってきたんだなと実感できたこと。

さらにもう一つ。多少イヤな言動をするけれど、この高城剛という人物を、尊敬することができるようになったこと。

これが一番の収穫だった。

ちょっとだけ他の本も読んでみてもいいかなと思った。でも若い頃のは鼻につきそうだな(笑)

 

 

追記:

本書「私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。」のレバレッジ・メモを僕のFacebookページで公開しました。

 

 

2011年の68冊目の書評としてお送りしました。

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