書評

それでも職場へ向かうすべての人に贈る「言葉の勇気」

書評
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今までできていたことができなくなる。自分の記憶や能力を信じられなくなる。

それほど恐ろしいことがあるだろうか。

 

 

僕らは多くの予測を立てて生きている。

仕事においてもそうだ。

 

 

僕らはいつでも過去の記憶に頼り、実績から編み出した仮説を立て、自分の経験値から見通しを立てている。

「この書類作成は1時間で終わるだろう」「明日のアポは15時のはず」「ここまでやっておけば大丈夫」

 

 

経験によって自分の能力を算定することで僕らは仕事を続けていける。

だからこそ、仕事をこなし経験を積むことで僕らは仕事が上手に速くこなせるようになっていく。

 

 

ところが、コツコツと積み上げてきた宝物が一瞬で崩れてしまう。

それが「うつ」だ。闘う日本人にとって、この病気はいつ誰が罹ってもおかしくない、もっとも身近で厄介な病気だ。

 

 

うつは目に見えない。だからこそ厄介だ。

腕が折れているわけではない。癌細胞が全身に転移しているわけでもない。身体的には変化がないのだ。

「やる気がないだけなんじゃないか?」

「気合いが足りない!」

そんな言葉を投げてしまうのも、うつが目に見えない病気であり、そして周囲の人間がうつに対して無理解だからだ。

 

 

ここに一人の「うつ」に倒れたサラリーマンがいる。

彼はうつに倒れ、二度の休職期間を経て、病気と闘いながら復職した。

そしてそのサラリーマンは、「うつは復職で終わりではない」との想いを多く人に伝えようと本を書いた。

「うつ」とよりそう仕事術」という本だ。

「それでも明日、職場へ向かうすべての人へ」というサブタイトルが語っている。これは仕事術の本であるが、著者酒井一太氏の壮絶な闘いの記録でもあるのだ。

 

 

「うつ」とよりそう仕事術酒井一太 ナナ・コーポレート・コミュニケーション 2011-12-20
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復職を焦るな!

著者酒井氏は二度の休職期間を経験している。

一度目の休職からの復職を焦り、十分なリハビリ期間を持たずに職場に戻り、全力で働いたことが裏目に出たのだ。

 

 

うつの落ち込みの一番激しい時期「底期」から治療により回復を始める「回復期」に入ると、身体も動き周囲も元気になったと思うので、ここで急いで復職する人が多い。

だが、実際にはまだ心も身体も回復途上で、十分な準備はできていないのだ。

 

 

酒井氏は実体験をベースに、この回復期の後に「リハビリ期」を設けることを提唱している。

一度目の復職を急いだ結果二度目の休職を余儀なくされ、しかも症状が一度目よりもずっと重篤だったという酒井氏ならではの提言だ。

 

 

「底期」にはほぼ寝たきりとなってしまう患者も多く、気力だけではなく体力も大幅に落ち込んでいる人が多い。

失われた体力、そして自信を取り戻すために、まずは家事をやってみる。

 

 

そして、酒井氏は通勤の練習を一週間以上行ったという。

毎朝決まった時間に起きスーツを着て身支度を整え家を出る。

電車に乗ってオフィスまで行き、ビルの壁にタッチしたら逆の順序を経て帰宅する。この「通勤の練習」を繰り返すのだ。

 

 

最初は行って帰ってくるだけでヘトヘトになるという。かつては当たり前に出来ていた「通勤」も、落ち込んだ体力と気力でこなすのは予想以上に大変なことなのだ。

これを繰り返すうち、徐々に「少なくとも出社はできる」という自信に変わり、復職への大きなステップになった。

リハビリは一つ一つ丁寧に、自分に自信を取り戻すようにステップアップしていくのだ。

 

 

 

 

うつを隠して仕事はできない

一人だけで働く人なんていない。

働く人は皆多くの他人と関わりながら仕事をしていく。

 

 

「うつ病は隠すべきことでも、隠しきれる病でもありません。むしろカミングアウトしてしまったほうが良い類の病気です」

酒井氏はそう指摘する。

 

 

僕自身サラリーマンでマネージャーをしいてる時には複数の「うつ」の上司や部下と接していたが、やはり多くの人が自分がうつであることを隠そうとしていた。

その背景には、まだまだ「うつに罹ったなんて知られたくない」という心理があるのだし、なぜそういう心理になるかといえば、うつに対する無理解や差別があることを、患者たちが強く認識しているからに他ならない。

 

 

だが、企業でマネージャーとしてうつの部下を持ってきた僕も酒井氏と同じく、「うつは公表すべき類の病気」だと思っている。

カミングアウトすることで始めて周囲は本人に対して気遣いすることができるし、応援もできる。

 

 

うつは特別な病気ではない。いつあなたもうつに罹るか分からないのだ。

だからこそ、部署内にうつに倒れた人が出たなら、全員でサポートして行く姿勢が大事だ。

うつに対する認識を、健康な人とうつな人が歩調を合わせて、改めていく時期にきているのだ。

 

 

 

 

すべての人に応用可能な仕事術

重篤なうつ病を患った人は、心に大きな不安を抱えて復職する。

その不安とは、「自分の頭はどうなってしまったのか?」という不安だ。

 

 

以前のようにテキパキできないのではないか。依頼された仕事を忘れているのではないか。顧客ときちんと話ができないのではないか。

うつから回復した人たちの不安は尽きない。そしてその不安は職場の同僚たちにも波及するのだ。

 

 

だからこそ、仕事を記憶に頼らないGTD(Getting Things Done)と呼ばれる手法を身につけ、すべてのタスクを書き出して対応することで、その不安を克服する。

自分の頭が頼りにならないからこそ、記憶に頼らずに、やるべきことや手順を書き出し明示的にすることで、安心して、そして確実に、仕事をこなしていくことができる。

 

 

また、酒井氏は「小さなスタートを切る」ことを提唱している。

納期がある程度先の仕事でも、ギリギリまで溜めずにとにかくすぐに始めてしまうのだ。

 

 

健康な人は仕事を先送りする理由として「時間がない」や「面倒くさい」などの言い訳をするケースが多い。

だが、うつから復帰した人たちにとっては、「今の自分でできるだろうか?」「今の気分でできるだろうか?」という不安を抱えて仕事をすることになる。

 

 

そのような心理状態において、仕事の先送りは「不安」という、大きく心に影響を与える外敵を招き入れてしまう致命的行動となる。

だからこそ、やるべき仕事にはちょっとだけでもいいから手を付けて、「自分にできる」という安心を得ておくことが重要だ。

その安心感により、納期やボリュームなどのプレッシャーから体調を崩すリスクから自分自身を守ることができる。

 

 

この本では多くの、うつと闘いつつ仕事をこなす社会人に向けた仕事術が書かれている。

だが、上述したGTDや「小さなスタート」などは、ハードなタスクに追われる仕事人すべてに応用可能なものだ。

 

 

先送りして不安に駆られる日々。うつでない人でも気分は悪いし、ひょっとしたら恋人やパートナーとケンカする原因となったりしているかもしれない。

「一日のラストは気分の良い仕事で終える」などは、すべての社会人が見習うべき素晴らしい習慣だろう。

 

 

 

 

まとめ

冒頭に書いたとおり、この本は仕事術の本だが、同時に著者酒井一太氏とご家族の闘いの自伝でもある。

随所に書かれたリアルなうつの一番厳しい状況が僕らの心を締めつけ、闘いの壮絶さに思わず涙が溢れる。

 

 

私がうつ病になって、一番ショックだったことは、物事の段取りが組めなくなったことでした。

(中略)私は家事が一切できなくなってしまいました。より正確に言うと、家事の手順がわからなくなったのです。

たとえば「掃除機をかける」という家事の手順がわかりません。

掃除機を収納場所から出して、電源コードを引っ張って、コンセントに挿し込んで、電源ボタンをオンにして、部屋の隅から掃除機をかけていくといった、普通の人であれば誰しも何も考えなくてよいはずの、日常生活ができないのです。

身の回りのことが、自信をもっておこなえないというのはとてもショックなことでした。

 

 

そして酒井氏の奥様も、酒井氏と一緒に闘っていたことがありありと分かる。長いが引用しよう。

 

 

うつ病の「底期」にあり、休職中の私は、毎日グチグチとお金の不安を家内に言い続けていました。「穀つぶしだよね」とか「ヒモ以下の存在で申し訳ない」とか「役立たずだから離婚したほうがいいんじゃないか」とか、延々と部屋の隅っこでグチを言い続けていました。多くのことが不安でしたし、いろいろなことができなくなってしまいましたが、お金の問題はことさらリアルな不安でした。

100年に一度の不況とマスコミは煽りますし、大きな企業の数字も軒並みダウン、政治は混乱し、年金制度は崩壊寸前、失業者が年々増加傾向にあるともいわれます。そんな中で「収入がない」わけです。

さらに、家事も満足にできません。

働くことなんて到底できません。

いつ治るのかもわかりません。

しかし、こうした八方ふさがりの状況から逃げ出せる選択肢が一つだけあります。

そう、「自殺」すればすべての不安から逃げられます。

もうこの選択肢しかないと、マンションの最上階から下を見て、飛び降りるか逡巡する毎日でした。

そんなある日のことです。

仕事から帰った家内から「話がある」と言われました。

「離婚の申し出だろう」と覚悟しました。

しかし、リビングテーブルに腰掛けたところで、家内はおもむろに札束を4つ、400万円を私の目の前に積み上げてこう言ったのです。

「最低でもこれだけの貯金はあるの。だからお金のことを心配する必要はないでしょ?」

一個人のプライベートにおける些細なエピソードにすぎませんが、私は家内のこの思いがけない行動でお金の恐怖に打ち勝つことができました。

 

 

 

 

この記録は決して「特別な人」の出来事ではない。

うつに罹る日本人の数は9年間で2.4倍にも増え、いまや100万人以上のうつ病またはうつ状態の人が苦しんでいるのだ。

そして恐ろしいことに、日本では年間3万人もの自殺者が出ており、その多くがうつを患った人なのだ。

うつは特別な人の病気ではなく、いつ僕らがかかってもおかしくない、ごくごく身近な病なのだ。

 

 

だからこそ、酒井氏の、自らの症状や苦しみ、それに回復への道のりとその過程で得た知恵・知識をあますところなく公開した勇気を称賛したい。

そして病と闘いつつ、こうして素晴らしい本を書き上げた酒井氏の精神力と気合いに最敬礼で尊敬の意を表したい。

 

 

この本がこうして出版されたことは、多くのうつで苦しむ人たちに仕事術として「便利さ」や「安心」をもたらすだろう。

でも、この本の一番の価値は、重症のうつ病を患い今もなお闘いつつも、意志と勇気と努力の力で、このような凄い本を書き上げ出版出来てしまうという事実が多くのうつの人に与える圧倒的勇気だろう。

 

 

激動の2011年を〆る12月も後半になって、今年最も輝く名著が降臨した。

闘う日本人に強い勇気と希望を与える一冊!是非読んで欲しい。2011年最後の名著!激しくオススメ!

 

 

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