心・心理・あり方書評

アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉 by 小倉広 — アドラーに触れて人生に革命を! 心が震えた10の言葉

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アルフレッド・アドラーのことも、アドラー心理学のことも、知ったのは最近のことである。

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数年前から人間の心についてさまざまな角度から学んでいるうちに、さまざまな角度から「アドラー心理学」という言葉を聞くようになったのだ。

そして、アドラー心理学に触れれば触れるほど、いま僕たちが触れている多くの心理学の分野で、アドラーの言葉が礎(いしずえ)となっているものが多いことに気づいた。

そんなアドラーの言葉を初心者にも分かりやすくまとめてくれた素晴らしい本が出た。

小倉広さんの「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」だ。

アカデミックなアプローチではなく、僕ら普通に暮らす人間に向けて、アドラーの言葉と、小倉さんによるその解説という形で、分かりやすくまとめられている。

アドラーの言葉は心に響くものばかりなのだが、今回はその中から特に僕の心に響いた言葉を10ピックアップし、ご紹介しようと思う。

 

 

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アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉 by 小倉広 — アドラーに触れて人生に革命を! 心が震えた10の言葉

 

1. 人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ

アドラーの言葉に触れるようになると、すぐに思い当たることがある。

「あ、選択理論心理学に似ているな」ということだ。

それもそのはず、選択理論心理学の提唱者であるウィリアム・グラッサー氏は、アドラー心理学の影響を受けた人物として本書でも取り上げられている。

この「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ」という言葉も、選択理論心理学の考え方に通じるものを感じる。

僕たちは多くの場面で自分の思い通りにならない人生を歯がゆく思い、そして「辛い、苦しい、こんなはずではなかった」と嘆く。

しかし、小倉さんはこのように解説している。

 

「現在の人生を決めているのは「運命」や「過去」のトラウマではなく、自分自身の考えかたである、ということです。だからこそ、私たちは、いつでも決意さえすれば、自分の人生をシンプルにすることができるのです」

 

僕たちは人生というものは、過去から現在へ、そして未来へと連続している「線」のようなものだと捉えている。

しかし、実際には人生は「連続する刹那」であり、「点」の連続にすぎない。

だからこそ、イマ・ココで次の一歩をどちらに踏み出すかの決意さえすれば、人生は自分のコントロール下に置かれるのだ。

自分で自分の人生を困難にすることを止める。それが最大の近道なのだ。

 

 

 

2. 遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない

僕たちは生まれる家を選ぶことができない。

親を交換することも不可能だ。

「あんな親のもとに生まれた自分を恨む」

「家が貧乏だったせいで十分な教育を受けられなかった」

このように遺伝や育った環境を嘆くことがある。

そしてさらに発展すると、このような言葉になる。

「あの親の血を引いた自分は親と同じようなダメな人生しか生きられない」

「十分な教育を受けられなかった自分は成功することができない」

 

 

アドラーも遺伝や育った環境に子供が影響を受けることを否定しているわけではない。

これらの要素も人格形成に影響を与えることは間違いない。

しかし、その影響は限定的であり、すべてではないというのがアドラーの考えかただ。

子供のころに母親からガミガミ叱られたせいで引っ込み思案になった、という主張に対してアドラーはこのように考える。

 

引っ込み思案になる、という方法を自らが選択した。

引っ込み思案になる以外にも、母と論争する自立心の強い性格になることもできた、クールな分析眼を持つ性格になることもできた、母を反面教師として優しく見守る性格になることもできた。

 

遺伝や環境は、家を建てるときの材料にすぎない。

同じ材料を使ってどんな家を建てるかは、僕たちの自由なのだ。

その自由があることに気づき、実行することで、人生の行方は大きく変わっていくのだ。

 

 

 

3. 敗北を避けるために、時に人は自ら病気になる

「人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する」

アドラーはそう言っている。

僕たちは、本当に追い込まれると、時として身体に変調を来すように自らを仕向けることがある。

病気になれば会社や学校に行かなくて済む、人前でぶざまな姿を晒さなくて済む。

そう思うと本当に病気になり、動くことができなくなるケースがあるのだ。

アドラーはこのようにも言っている。

 

「「病気でなければできたのに……」そう言い訳して安全地帯に逃げ込み、ラクをするのだ」

 

病気になって嬉しい人はいない。病気とは辛いものだ。

しかし、心理学で「疾病利得」という言葉があるように、人は自らの敗北を衆目の前に晒すことと較べれば、病気で「仕方がなかったのだ」という免罪符を手に入れることを選ぶこともあるのだ。

 

 

 

4. 「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ

この言葉は僕はアドラーに触れる前から自分で感じるようになり、そのことをブログに書いたこともあった。

以下がそのエントリーだ。

「できない」を「しない」に変えることが人生が劇的に動き出す鍵である | No Second Life

 

僕たちはしょっちゅう「〜できない」「変われない」という表現を無意識に使っている。

しかし、実際にできないことはほとんどなく、変われないことほとんどない。

「なかなか早起きができなくて」と言っている人は、実際に早起きをするための「行動」を一つもしていなかったりする。

遅くまでだらだら起きていて翌日早起きできるわけがない。

その人は実際には「早起きなんてどうでもいいや」と思い、「早起きはしない」という決断をしているにすぎない。

叱られたら落ち込む人もいれば、叱れたら発奮する人もいる。

外的な刺激に対してどのように反応するかは、一人ひとりの「認知」により異なってくる。

認知のステップを意識すれば、外的刺激に対して反射的に行動してあとから後悔するようなことも減っていく。

外的要因を言い訳に使うという行動パターンから脱却すれば、人生の扉は大きく開くだろう。

 

 

 

5. 相手を「支配」するために「怒り」という感情を創り出して利用したのだ

「思わずカッとなって自分を見失ってしまった」

この感情をアドラーは否定する。

アドラーは、「あらゆる行動には目的がある」と述べている。

多くの場合、相手に怒りをぶつける場合、人は相手に対して「力」を行使し、相手を従わせようという欲求を持っている。

フロイトの心理学では、「怒り」という無意識下の「感情」に突き動かされ人間は行動するので悪いのは「怒り」であり本人は悪くない、と考える。

しかし、アドラーの提唱する「目的論」では、人は怒りという感情を、相手にいらだちを伝え支配する、という目的のために使用する、と考える。

自分のことを考えてみたとき、相手に対して支配的立場を取りたかったり、相手を論破したいときなどに、人は感情的になるものだと納得させられる。

怒りは無意識の感情ではない。

認識して利用するのだ。

 

 

 

 6. 性格は死ぬ1〜2日前まで変えられる

僕自身の経験からもハッキリ言える。性格は変えられる。

アドラーは「性格」を「ライフスタイル」という言葉で表した。「ライフ = 人生」のスタイルを変えるのだ。

引っ込み思案の人が、ずっと引っ込み思案のままでいることもできる。

いっぽうで、引っ込み思案だった人が、ライフスタイルを変えるための行動を起こし、スピーチ教室に通うことで自信をつけ、人前で話ができるようになることもできる。

ライフスタイルを変えるためには自分のことを客観的に認識し、変えるための努力が必要だ。

表層的な性格表現だけではなく、自らの中核にある「自己概念」「世界像」「自己理想」を明確にしていくのだ。

自分を知り、そして新しい自分をその上から上書きしていくことで、ライフスタイルは変化していくのだ。

 

 

 

7. 「よくできたね」とほめるのではない。「ありがとう、助かったよ」と感謝を伝えるのだ。

「ほめる」と「感謝する」は明らかに違う。

「感謝する」のは横目線だが、「ほめる」行為は上から目線である。

親や教師が子供に対して、また、上司や先輩が部下や後輩に対して触れる際、無意識にほめてしまうことがある。

目上の人から自己信頼と他者信頼を得ていくためには、ほめるのではなく感謝することが大切だ。

ほめる行為は上から目線であるだけではなく、「もともと相手には期待していなかった」ことを暗に意味しているからだ。

「(できないと思っていたけど)できて偉いね」

このカッコの中の言葉がメッセージとして相手に伝わるため、自己信頼も相手に対する他者信頼も高まらないのだ。

貢献と感謝の体験を増やしていくことで、共同体の中に自分が生かされているという、共同体感覚を養っていくのだ。

 

 

 

8. 自分の不完全さを認め、受け容れなさい。相手の不完全さを認め、許しなさい

人間は誰しも不完全な生き物である。

この大きな前提を、僕たちは忘れてしまうことが多い。

失礼な言動をする人がいたとして、その人に対して怒りをぶつけてしまえば、相手の不完全さを許せていないことになる。

そして自分の不完全さを受け容れることかできなければ、怒りをぶつけた自分に対して自己嫌悪し、自己信頼を失うことになる。

不完全な生き物が大人数で肩を寄せ合って生きているのだ。

人間は誰しも不完全なのだ。だからこそ楽しい、人間臭い。

そう思えるように生きたいものだ。

 

 

 

9. 大切なことは「共感」することだ。

アドラーは以下のように言っている。

 

「大切なのは共感することだ。共感とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることである」

 

共感するとは、相手に対して関心を持つことだ。

しかし、えてして僕たちは、相手の言動に同情したり自分の関心や価値観を押しつけてしまったりする。

相手の話を聞いて「かわいそうに。大変だったでしょう」と同情したり、「そんなときは1杯やって忘れればいいんだ!」と押しつけてしまったりする。

相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じる。

これはとても難しいことだ。

相手に自分の価値観を押しつけずに生きる。

これこそが、自律的な人間の振る舞いだろう。

できているかと自問すると、まだまだできていないことが多いと恥じ入ることになる。

 

 

10. 陰口を言われても、嫌われても、あなたが気にすることはない。「相手があなたをどう感じるか」は相手の課題なのだから

僕たちが変えられるのは自分のことだけ。他人のことを変えることはできない。

自分の行動を変えることはできても、それを他人がどう思うかをコントロールすることはできない。

小倉さんは以下のように書いている。

 

「私たちが他人の感情や行動をコントロールすることはできません。できないことをしようとするから苦しいのです。相手の課題に踏み込まず、自分の課題に相手を踏み込ませなければいいのです」

 

僕はブログや本で情報発信をするようになって、このことをつくづく思う。

どんな情報を発信しても、必ず批判的なメッセージというのは届くものだ。

そしてそれは時として陰口のような形で、本人から直接ではなく迂回した形でやってくることもある。

しかし、それはどうにもコントロールできないものだ。

陰口から僕が学ぶべきことがあれば、自分の行動を変えればいい。

学ぶべきことがなく、単なる誹謗中傷であるならば、その言葉に影響されないように生きるのがいい。

自分がコントロールできない領域をコントロールしようとするから苦しくなる。

目の前にある課題は自分の課題か他人の課題か。

課題の分離ができれば、人生はグッと楽になる。

自分の課題に専念することで、人生に革命が起きるのだ。

 

 

 

まとめ

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アドラーの考え方は、すべてが「目的論」をベースに構築されているように感じる。

とかく僕たちは「感情」や「運命」「遺伝」など、コントロールできない「大いなるもの」に、人生を支配されていると思いがちだ。

しかし、それらは僕たちの人生の構成要素ではあるかもしれないが、支配者ではない。

僕たちが自らの意志で、何らかの目的を達成するために行動を選んでいるのだ。

そのことに気づかせてくれるのが、アドラーの言葉ではないだろうか。

多様性の時代、共感の時代、そして自己責任の時代。

21世紀になってアドラーが注目されるのは、被害者意識を持って生きることが、あまりにももったいない時代になってきたからなのだろう。

その気になればなんでもできる時代。

その気になるのもあなたの選択。被害者のまま生きるのもあなたの選択。

あなたはどっちの人生を選びますか?

興味があれば、100のことばに直接触れて欲しい。

素晴らしい一冊だった。

 

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