八方塞がりの僕に訪れた大きな転機
37歳から38歳にかけて、僕の人生に幾つかの大きな転機が訪れた。
その転機のいくつかは、とても「悪いニュース」として僕のもとに届けられた。
そのときに僕は悟った。
「このままの人生を続けていると、僕は「思うように生きられなかった男」のまま死んでしまう」と。
当時の僕はまだこのブログすら始めていなかった。
「このままではダメだ」と僕は思った。
僕は自由に生きたいのに、なぜサラリーマンで管理職なんかやっているんだろう。
僕は自分を表現して生きたいのに、なぜ社員の勤怠管理や営業の数字の計算なんかをしているんだろう。
僕は自分らしく生きるための努力を1日に1秒もせず、「自分らしく生きられない」と嘆いているだけだ。
仕事に追われて酒を飲んでテレビを観て、同じような毎日を漫然と垂れ流して人生を浪費しているだけだ。
105kgの肥満体で僕は医者からも「いつ致命的な病気(糖尿病、肝硬変、心筋梗塞など)になってもおかしくない状況」と言われていた。
不本意な人生だと嘆いている間に、僕の人生はもう最終コーナーに来てしまっているかもしれないのだ。
その事実を目の前にしたとき、僕の中から猛烈な怒りの感情が湧いてきた。
誰か他人に対する怒りではない。
だらしない、臆病な自分に、何もできないと嘆くばかりの自分に対する怒りだ。
そして、もうやめよう、と思った。
なにを?
「できない」ことを前提条件として、言い訳を続けることを。
僕は「自分は思うように生きられない運命のもとに生まれた」と自分で最初から前提条件として言い訳をしていた。
「思うように生きられない人間だから、チャレンジしないのだ。やっても失敗するから」と。
それを繰り返し続けた僕は、本当に「思うように生きられない人間」として生き続けてしまっていた。
そんな人生を、本気でやめようと思ったのだ。
でも、どうすれば止められる?
ぜんぜん分からない。
どうしたら自分の人生を獲得できるのか。
自分らしい生き方に人生を変えられるのか。
まったく分からなかった。
でも、たった一つだけハッキリ分かっていたことがあった。
「このままではダメだ」ということだ。
何かを変えなければ人生は変わらない。
行動を変えることでしか人生は変わらない。
それだけは分かっていた。
そして僕がその最初の行動に選んだのが、「ブログ」だった。
そう、このブログを始めることだ。
僕は自己表現がしたい。自分の作品を作りたい。そしてそれをたくさんの人に見てもらいたい。
僕はその場所として、ブログを選んだ。
ブログなら、誰も僕が記事を書くことを止めることはできない。
アマチュアの、文章なんかほとんど書いたことがない僕でも、自由に書きたいことを書きまくることができる。
ブログなら、国境も距離も時間帯も越えて、世界に向けて発信することができる。
ブログでお金が稼げるかどうかなんて考えもしなかった。
ブログで独立できるなんて、イメージすらできなかった。
ただ、勝間和代さんや小飼弾さんなど、ブログを起爆剤として人生を大きく切り開いた人が存在することは知っていた。
「僕もブログで自分の人生を劇的に変えたい!」
その想いだけが僕をドライブするエネルギーだった。
どう変わるのかなんてまったく分からなかった。
でもとにかく書いて書いて書きまくることで、何かが変わるだろう。
そんな確信だけがあった。
ブログを書くことが僕に与えてくれた変化は数え切れない。
でも、その中で一番最初に与えてくれた大きな変化は、以下のことだ。
「1日24時間の中に、時間を忘れてのめり込んで打ち込める、最高に楽しいことをする時間ができたこと」
始めたばかりのブログ、PVは1日20とか30くらいしかない。
月間でも500とか600PVにしかならない。
アフィリエイトのリンクの張り方すら知らなかったので、収入は当然ゼロだ。
でも、そんなことはまったく関係なかった。
毎日の生活の中に、「自分だけの城」ができ、そこに何でも好きなことが書け、そこに人が読みに来てくれることが嬉しくてしょうがなかった。
30人だった読者が50人になることが、しびれるくらい嬉しかった。
どうしたらそれを100人にできるだろう、と考えているだけで、興奮して眠れないほどだった。
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著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。