思うこと
1997年5月4日(日)(5月2日分)
Kiss and Tell / Bryan Ferry
テレビで「吉原炎上」をやっていた。吉原という地名は今はなくなっているらしいのだが、「吉原大門」という交差点は今でも残っている。今で言う台東区千束あたり。
当時の花魁は金に縛られて吉原に売られてくるという、半ば軟禁状態でシゴトをしていたため、花魁が脱走できないよう街自体にも工夫が凝らされていたようだが、外界と郭を仕切る堀を巡らせるというのもその一つ。宮城では外敵を内部に侵入させないよう堀を巡らせているが、吉原ではその逆。
友人が「吉原大門」交差点付近に住んでいるので、何度か現在の吉原界隈に近づいたことがある。残念ながらまだ店に入ってみたことはないのだが。
現在では堀は埋められ、堀の跡は緑地帯になり、遊歩道になっている。
人通りの少ない夜にゆっくりと堀の跡を歩くと、何とももの寂しい感じがしてくる。あちこちに浮浪者が眠っていてちょっと不気味な感じがするが、吉原の繁華街の喧騒からは若干離れているので、人の数は少ない。何十年か前まではここに深い堀があり、借金のかたに売られてきた女性達が商品となり、男達の欲望を充たしながら、使い捨てられて行ったのかと思うと感慨深かった。
深夜の吉原大門跡に立つ。現在は交差点にはスナックとそば屋、それにコンビニがあり、吉原のソープ嬢が多く買い物をして行くため、角のコンビニはちょっと他の店とは異なる雰囲気を醸し出している。
吉原大門から1ブロック隔てて今の繁華街、いわゆる吉原ソープ街がある。通りの両側には客引きがバラバラと立っていて、夜に一人で歩くとひっきりなしに声を掛けられる。中には腕を引っ張るようなのもいて、男でも怖いのだから、女性が夜一人で歩くというのはよっぽど慣れている地元の人でもないとまず無理だろう。
車で通りを通過するのも大変である。助手席に女性を乗せているにもかかわらず両側から客引きの男共が寄ってくる。窓を叩いたりワイパーを掴もうとしたりすることもある。派手な看板の中に男達が吸い込まれて行く光景はきっと今も昔も変わらないのだろう。店の中で行なわれる行為自体も昔も今も大きな違いはあるまい。
違うのは、吉原にはかつては独特の文化があったということ。そしてそこで働く女性達は当時は自らの意に反して売られてきていたということ。
性風俗産業に従事した女性を特別視(蔑視)する傾向は現在でもあるかも知れないが、当時はよほど幸運な人でない限りは女郎屋を転々としその生涯を女郎として終え、無縁仏として葬られる人達が多かったという。
一方で現在よりもはるかに優雅で格式高い華やかさを持っていた吉原の影の部分も、現在よりもはるかに深く、そして暗いものだったのだと思う。遥か歴史を超えて、独特の空気が今日も吉原周辺を充たしている。
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