思うこと
1997年5月17日(土)
Romain / Bill Evans and Jim Hall
今週は何となく日記を書こうという意欲があまり湧かずにグズグズした気分で過ごしていた。体調もちょっと良くなかったようでやたらと睡眠をカラダが欲するので毎晩やけに早く眠っていた。
以前は日記を書くことに対して一種の義務感のようなものを感じていたので、書きたくない気分を自分で押し殺そうとしていた。
今考えると非常にバカバカしいことだが、プレッシャーがかかるとますます書けなくなってしまい、しまいには「自分はもう何も書けないのではないか」などとアホなことを考えたりして、揚げ句の果てには「日記をやめます」などとつい暴走して見たりしていた。
最近では多少の好不調はあっても、当分自分が日記をやめることはありえないということを十分すぎるほど認識しているので、逆に多少だれた時期があって当たり前だと思うようになり、非常に精神衛生上助かっている。
何となく書きたくない病からは脱出したようだが、まだすげえ眠い病は完治していないらしく、ちょっと心配ではある。
My Funny Valentine / Bill Evans and Jim Hall
自分がもう少し傍観者的な立場にあるのならばトラブルも楽しむことができるのかも知れないが、生身の人間関係を知ってしまうとそう簡単に楽しむことができないのが残念と言えば残念。僕はもうトラブルはいい。面倒だし疲れるし脱力するし。のんびり淡々と書いていければと、つくづく思う。
Walk on the Wildside / Lou Reed
今までにも何度かこういう質問を自分にぶつけてみたことがある。そもそも日記というのはヒトに見せるようなものではないのに。
結論から言ってしまえば、僕は皆に立花という人間を知ってもらいたくて日々日記を書いているように感じる。
僕は自分を取巻く環境や外見から常に周囲から誤解を受け続けて育ってきた。今でこそすっかり開き直ってしまいガハハな毎日を送っているが、自分の本当の姿を見てもらいたいという欲求はいまだに人一倍強いと思う。
モデルをしたりバーテンをしたりしていると確かに人間華やかに見られる。ところが内面的には人見知りの激しいただの小心者だったりするのだが、日常生活においてはなかなかそれが理解されなかった。
ネット上で日記を公開することによって、僕はすごく自由になることができた。自分の容姿や環境に囚われることなく、自分の思ったままを読んでくれる皆さんに伝え、共感してもらうことができるようになった。
「インターネット日記は芸術だ」と叫んだ日記書きがいる(僕ではない)。僕が書く文章はとても芸術などと呼べるようなものではないが、モニタに写る文字の羅列が単なる文字情報だけではなく、人間の感情や想いを伝える力を持つという意味では、インターネット日記の持つ魔力そのものが芸術なのかも知れない。
ああ、なんだか話が大袈裟になってきてしまったので、この辺で〆。じゃねえ。
(c) T. Tachibana. All Rights Reserved. 無断転載を禁じます。tachiba@gol.com
皆さんこんばんは。立花です。
相変わらず日記関係のトラブルが発生すると僕の日記へのアクセスが大幅に上がるようで、我ながら苦笑いする今日この頃。ここ一週間かそこらでずいぶんたくさんの人達が新たに読んだよボタンを押していってくれた。時間と根気が許すかぎりお礼のメイルを書くのだが、多くの人が某伝言板経由で僕のところに辿り着いていることが分かり、改めて某伝言板の威力を見せ付けられた。
僕はどうして日記を書くのか。どうして僕はインターネット上に日記を公開するのか。