僕は自分の日記の下に「読んだよ」というボタンを付けている。最近日記猿人の投票システムが変更になってからは「読んだよ」ボタンと日記猿人への投票ボタンを別々にしなければならなくなったので皆さんボタンを別々につけたりしているが、僕は以前から「読んだよ」と「投票」は別ボタンにしている。
もちろん多くの人が投票してくれて、ランキングで上位になれば嬉しいが、僕は自他共に認める寂しがり屋なので、「読んだよ」のボタンをぶしぶし押していってくれるのが何よりも非常に嬉しいことなのである。
たとえずっとメイルのやりとりがなくても、「読んだよ」を押していってくれることにより、「ああ、●●さんは今日も元気に日記巡りをしてるんだろうな」なんてことを勝手に想像して安心してみたりする。
もう一つ僕がボタンを二つにしていた理由としては、僕の日記の「読んだよ」ボタンを押してくれる人の約半数が日記猿人には登録していない人である。猿人に登録していないというより、御自身では日記を書いていない人と言ったほうが適切なのかも知れない。
日記猿人とは全然関係のないところで僕の日記を知り、毎日読みにきてくれるようになった人達が「遊びにきたよ」という意味でボタンをぽちっと押していくのと、日記猿人というランキングシステムに投票されるということを同一視するのはどうかとずっと考えていた。
日記を書かないネット友達も遊びにくると「読んだよ」と気軽に押していって欲しい、そういう意味でも僕はボタンを別々にしておきたいと思っている。
で、ちょっと前に話題になった「人前キス日記」について、ようやく書く気になったのでちょっと。以前にも書いた通り、僕がこうして公開日記を書き続ける最大の理由は、外見や年齢や職業や地位と言った偏見を取り払った状態で人と知りあい、親しくなっていけるという猛烈な魅力にとり憑かれてしまったからである。
日記やメイルや伝言板を通じてどんどん新しい人間関係が形成され熟成されていくのは、既存のメディアでは考えられないことであり、人間関係を形成するのが苦手だった自分にとってこんなにありがたいメディアは他にないのである。
僕にとって人間関係が広がることが何よりも嬉しいことなので、当然親しくなった人の日記は読んでいてどんどん面白くなる。テキストベースでの文体やネタの面白さだけではなく、日記が日記であるために日々の文章から続々と作者の人柄や性癖などが浮かび上がってくるので、一見しただけでは気付かないような渋味というか味というかが出てくることも多い。
お互いに人間関係を深めて行く過程において、お互いのことを意識して日記を書いてみたりとか、他人には分からないようなちょっとした内輪ギャグをはさみこんでみたりだとかということはあってもちっとも不思議ではないように思う。
もう少し進めれば、単一の人物に向かって書かれている日記というものだってある。呼びかける相手が「あなた」になっていると、あら不思議、読む人間は何となく自分のことを言っているのかな、なんて思ってしまったりして、ちょっとした妄想に入り込むこともあるが、それは僕にとっては全然不快なことではないし、知られたくない部分を意図的にぼかして分からなくなっていることをわざわざ突っついて知ろうなどという気にもならない。
僕は日記が面白くある必要はないような気がする。日々の生活を淡々と綴り気付いたこと忘れたくないことを書き残すのが日記であるのだから、ネタだとかオチだとか、そういったものがなくても一向に構わないと思う。
付け加えるならば、日記は別に一生懸命書かれる必要もないと思う。一日の大半を日記書きに費やすような生活は元来ありえないのだし、一日中日記を書いていたらそれこそネタが何もなくなってしまう。眠る前だとかちょっと一息いれたい時だとか、そういう時にちょこちょこっと書く日記だって日記なんだし、一生懸命何時間もかかって書いた日記だって日記にはかわりないんだし。
ランキングに参加しているからと言って、何がなんでもトップになりたいと思ってる人なんて、殆どいないんじゃないだろうか。僕はランキングを眺めて、「今日は何人の人が押して行ってくれたな」とか「今日は何位かな」というのはもちろん気になるが、自分が一位じゃないからと言って、他人の日記が詰まらないとは思わない。
それぞれの人がそれぞれの想いを込めてアップしてくる日記達、読めばそれぞれに味があるというのが最近の僕の感じているところ。
意味が分からないのは、あなたの読み込みと愛が足りないだけなんじゃないの?>該当者。きゃー。
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