思うこと
1997年6月15日(日)
やさしい気持ち / Chara
意味もなく早起きをした後は意味もなく呆然とする。せっかくの休日だと言うのに、昨日も今日も7時半には眼が覚めてしまう。すぐにまた眠れば寝られないことはないはずなのに、時計を見てすぐにテレホが終わるまでネットに繋いでしまう自分が情けない今日この頃ですが、皆さま如何お過ごしでしょうか。さすらいの生姜太郎ことGGです。
無理やり早起きしたせいか、10時過ぎに無性に眠くなり、布団に戻ってほんの数分うとうとしつつも、結局朝食を食べることにした。ところがこの数分のウトウトが非常に良くなかったようで、アタマが呆然としたまま元に戻らなくなってしまう。うううう。
ニナと昨夜のチキンの残りとクロワッサンで朝食。食べたら余計に眠くなってしまい、寝転んだままボーッとする。
ぼーっとしていると、昨夜のかずあきさんの日記に引用されていた言葉を思い出す。
自分は今サラリーマンとして生活している。今後も当分はサラリーマンとして生活して行こうと思っているが、じゃあ定年までずっとサラリーマンとして生活しようと思っているかというと、全然そうは思っていない。
いつか自分独りでシゴトをしてみたいという欲望、特に何かクリエイティブなシゴトをして、その報酬で食って行きたいという漠然とした目標だけが常に渦巻いていた。
「いつか」というのはいったい「いつ」なのか。久し振りにそんなことを考えてちょっと焦るが、僕は少なくともこの3年間をサラリーマンとして勤めてきたことを後悔する気には全然ならなかった。
最近の何かの雑誌で「僕は村上春樹になりたい」という記事が載っていた。僕は記事を読んだ訳ではなくて、車内広告を見ただけなのだが、人間本当にやりたいことが出来た時には、たとえどんな境遇にあってもやりたいことの方向へ進んで行くのではないだろうか。
サラリーマンになって生活が安定したからもう冒険はしたくない、とか、結婚したからもう安定しなきゃいけない、とか、という選択は本人が自分がやりたいことよりも優先させるべきもの(こと)ができたということだから、それを後から「あのときこうしていれば良かった」という風に後悔するのはおかしいと思う。
人間の選択は一度きりのものではないと思う。たとえ千載一遇のチャンスを逃したとしても、その後にも多少のチャンスを作るための小さな「きっかけ」はあると僕は思う。
僕は翻訳者になるための勉強をしていて、自分が翻訳者になるための素養がないと思った。そして一度はサラリーマンを経験しておくべきだと思い就職した。就職してから2年間は狂ったような残業の日々で、恋愛もできず、音楽も聴けず、ただひたすらシゴトをしていた。シゴトがちょっと落ち着くと同時にネットに出会い日記を書くようになった。皆さんに読んでもらえるようになった。僕はこの過程を後悔するつもりはなく、逆に今後いかに自分自身が欲望を持って生きていけるか、ということが大切なのだと思う。
二年間一枚のCDも買わずに過ごしても、今日店に行けば二年前のCDなんて殆ど手に入るし、二年間sexしないで過ごしても人生の中の性生活にそれほど大きな問題は発生しなかったように思う(今のところ)。
僕がこれからどんな行動を起こし、どんな人間に成長していくのか、今の僕にはまだあまり具体的に想像することができない。僕は今は部下を育てカイシャの売上を伸ばし、自分の給料が上がることを目標としている。
自分の中にくすぶり続ける欲望を実現したいと本気で思った時、きっと僕は何らかの行動にでるのではないだろうか。
もしずっとそう思わなかったなら、僕は定年を迎えた日に文句だけは言わないように、今から肝に念じておこう。
寝転がって、白い天井を見つめながら、そんな漠然としたことを考えていた。
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