思うこと
1997年6月22日(日)
Hey Lula / Yutaka Fukuoka
髪の毛を切りに行ってきた。普通なら別に日記の一行目に書くほどのことではないのだが、実は髪を切るのは10カ月ぶりのことだった。
去年の10月に髪をすごく短くして以来、ずっと伸ばし続けていたのだが、何しろ面倒くさがり屋が災いして全然手入れをしないので、先端が肩につくようになっていた最近は、ネグセで毛先は常に跳ね返ってしまい、前髪もだらしなく垂れ下がり、どうにもならない状態だった。
本当はもっと伸ばしておきたかったのだけれども、あまりに見苦しいのと、ついにシャチョウから文句を言われてしまったので、ようやく切りに行く決心をした。
本当は実家の近くの常連の床屋さんに行こうと思っていたのだが、今朝目が覚めてみると何とも面倒で、とてもわざわざ電車に乗って西麻布まで髪を切りに行く気力がないことに気付き、かと言ってこれでまた一週間延ばすのもどうかと思い、今の家のすぐ向かいにある床屋に行ってみることにした。
Hey Lula / Yutaka Fukuoka
看板に書いてある、「ハイセンスな店」というのがいかにもインチキ臭い。角刈りにされてしまったらどうしよう。ううう。
まあ悩んでいても仕方がないので、意を決して店内に入ると、非常にキレイなおばさんが僕を笑顔で出迎えてくれた。店の中も非常に清潔で、さっぱりした感じで好感を持てた。客は誰もいない。
椅子に座り鏡越しに映る自分を眺める。本当に伸び放題に伸びたボサボサの髪、中途半端に伸びた無精髭、ああ、醜い。おばさんが椅子に座った僕をてるてる坊主状態にして行く。好き勝手に、蔓植物のように伸びた髪を軽く触りながら、霧吹きで髪を湿らせている。
「横と後ろの長いのを全部取って下さい。まともなサラリーマン生活ができるように」と言う、何とも不明な注文をつけてしまった。おばさんは軽く頷くとハサミを手にとった。
店の中には静かに軽音楽風のBGMが流れていた。おばさんがふいに話しかけてきた。
「まともなサラリーマンにってことは、今はまともなサラリーマンじゃあないんですか?」
一瞬の間を置いて僕は声を出して笑った。おばさんも笑った。「いやー、今もサラリーマンなんですけど、結わけるぐらいまで伸ばそうと思ってたんですけどネ、面倒になっちゃって。」と返事をした。
一気に会話はスムーズになった。僕は自分が青梅街道を挟んですぐ反対側のアパートに住んでいること、おばさんはそのマンションの大家さんのことを知っていること、僕の部屋は丁度木の影になっていて見えないが、隣の部屋の様子はこの美容院から丸見えであり、いつ洗濯物を干しているとか、いつ掃除をしているとかが全部見えていること、僕は今年の1月に引っ越してきたこと、実家は西麻布であることなどを軽快に話しつつ、作業はどんどん進んでいった。
「ずいぶんと柔らかい髪ね〜」と言われ、ふといつもニナに髪が柔らかくて気持ちいいと言われていることを思い出した。おばさんが言うには、僕はあまりに髪が柔らかいために、無造作に伸ばした髪がどんどん途中で切れてしまい、短い毛がたくさんあるのだが、その短い毛の先端が傷んでいて、非常に伸ばすには良くない条件の髪だとのこと。
昔は剛毛だと言われたのに、ここ数年でずいぶん柔らかくなったようだと言うと、おばさんは食べ物とストレスで毛根が弱っているんじゃないかと言った。確かにカイシャ勤めをするようになってから食生活は激変し、組織に加わった経験のなかった自分が今や上司である。学生時代には殆ど口にしなかった揚げ物が毎日買う弁当には必ず入っているし、逆に以前は必ず毎日食べていた野菜を採る機会は激減していると思う。体重も20キロ以上増え、学生時代に比べれば酒量も10倍以上になっただろう。そりゃ毛根もビックリするというものだろう。
あれこれ反省しているところへ、入口から突然腰の曲がった、ちっちゃいおばあちゃんがヨチヨチと入ってきた。ほとんど聞き取れない発音で何か言うと、洗面台のところに置いてあったコップに水を汲むと、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み干した。多分、「水を飲ませて頂戴よ」と言ったらしい。
おばあちゃんは老人特有の妙に甲高い、しかも総入歯の具合が悪いらしい妙に篭った、ほとんど聞き取れないような発音でなにやらフガフガと喋りながら、店の奥の方に置いてある椅子に腰掛けた。
おばさんは返事をしているようなしていないような、曖昧な態度で作業を続けている。おばあちゃんは何やらモゴモゴ言い続けているので僕は話しを中断し聴こうと努力したが、どうにも聞き取ることが困難だった。
おばあちゃんはどうやら牛乳が飲みたいらしい、ということを勝手に推測してみた。
今まで実家の近くの床屋に行っていたときには、いつも半分諦めながら椅子に座っていた。どうせ思い通りの髪形にはならないのだから、すぐに家に帰ってあれこれ手直しすればいいと。
でも今日鏡の前に座っているてるてるGGは、ほぼ予想通りの、いつもの自分の髪形だったので正直ちょっとビックリした。
妙に感心しながら続いて髪を洗われ、さらに顔を剃られる。
今まではいつもオヤジに顔を剃られていたのだが、今回はキレイなおばさんである。僕は目を閉じているが、唇の周辺や耳に触れる指の感触が柔らかくてすごく気持ちよい。何となく微妙な密着感を楽しんでいるうちに、思わず妄想しそうになってしまい、目を閉じたまま慌てて軌道修正する。いかんいかん。
相変わらずおばあちゃんはあれこれ一人で喋り続けている。こないだの不発弾処理の爆弾が埋まっていた穴にもぐって死にたいということを言っていたのが、初めて聞き取れた言葉。いつの間にか奥からおばさんの旦那さんが出てきていたようで、おばあちゃんを励ましていた。どうやらおばあちゃんは、不発弾が爆発して、街の中に大きな穴が開いていると思っているらしい。
そうこうしているうちに顔もきれいに剃ってもらい、再び椅子を起こされる。濡れたままの髪がボサボサと頭の上に乗っかっているのだが、やはりどうやらすごく僕の好きな髪形になっているような気がする。これは完成が楽しみかも知れない。
一瞬の間を置いて店内爆笑。何となくおばあちゃんも嬉しそうだった。
店を出てちょっと買い物をして家に戻る。ハードムースでちょこちょこっと頭をいじったら、すごくいい感じ。いやー、いいじゃない、いいじゃない。うふふふふふ。
髪形がビシッと決まると意味もなくカッコつけたくなったりするのだけれども、一人誰もいない部屋の中でビシッと決めてもしょうがない。ちょっと悲しかったりして。
なんて考えているうちに、僕はもう少し自分のカラダをいたわってあげなくちゃいけないなー、などと思う。というか、もう少し自分の外見に気を使うべきではないか、などと。
もう何度も書いている通り、僕はサラリーマンになって体重が20キロ増えた。さらに前髪はどんどん細く弱くなり、産毛のような状態になっている。さらに口の周りには、胃が弱っているときに見られるようなブツブツがあったり、ほっぺたにも何やら湿疹のようなブツブツがあって赤くなっていたり。
バーテンやモデルをやっていたころはそれこそ何よりも外見を大切に思っていた時期もあった。それが良い状態でないことは確かで、もっと大切なことは世の中に掃いて捨てるほどあることは分かるのだが、ここまで外見に気を使わないという状態もどうかと思う。
今までの僕だと、ここで一気に全てを投げ打って外見を確保するためだけに生きてしまうか、または過大な目標を設定した割にすぐにイヤになって3日で止めてしまうかのどちらかなので、今回は特に目標は設定せずに、ちょっとカラダを大切に、ということをポリシーに生きてみようと思う。
たまにはカッコつけるのも良いよねー。
ビシっっっt!←カッコつけてる音
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青梅街道を挟んで反対側にある床屋は見た目はまあ小奇麗な感じだが、いかにも地方の床屋という感じで、一瞬入るのを躊躇してしまった。以前行き慣れない床屋に入ってひどい目に遭ったことがあるので、どうしても保守的な気分になってしまう。
Hey Lula / Yutaka Fukuoka
襟足、耳の後ろ、頭頂部と、どんどん無駄に伸びきった僕の髪が取り除かれて行く、パラパラ、というよりも、バサッ、バサッ、という感じで切り取られた僕の髪が床やシートの上に落ちてゆく。
やさしい気持ち / Chara
「こんな感じでどうでしょう」とおばさんが言ってハサミを台の上に置いた。鏡の前には久し振りにあった、なんとなく懐かしい顔をした自分がいた。
やさしい気持ち / Chara
どんどん肩や頭をマッサージされてどんどんドライヤーを掛けられてあっという間に完成。そこへおばあちゃんが一言、「ええ格好やねえ」。