The Night is Still Young / Billy Joel


列車が酒田に着いたときにはもうすっかり夜が暮れていた。

電車を降りて改札に向かう。細かい雨粒がものすごい数降り続いている。土砂降りというにはあまりにも繊細な大雨だった。今まで所在なげだった黒くて大きなコウモリ傘が、突然生き生きと自らの存在感を主張し始める。

傘を開いて駅から出る。細かく細い無数の雨が傘を差した僕を包み込み、一瞬でカラダ中がずぶぬれになる。

パラパラと細かく傘を打つ雨の音を聴きながら、冬には除雪された雪が積み上げられていた歩道を、大きな黒いコウモリ傘をさしながら歩く。

まだ7時過ぎだと言うのに、街には人影が殆ど、なかった。




Circle Dance / Yen Chang


リニューアルされたホテルのフロントを濡れた足元を引きずるようにして歩く。フロントには何人かの人達が、チェックインしようと待っていた。

急に決まった出張だった為どこのホテルも満員で、僕はデラックスツインをシングルで使うことになっていた。チェックインを済ませるとエレベータに乗って8階へ。

ドアを開くとそこは確かにデラックスツインな部屋だった。部屋の広さは丁度いつものシングルの二倍ぐらい、ユニットバスも全然広く、ベッド自体も大きく、大きなテレビが置いてあった。

部屋をぐるっと見回し、上着を脱いでハンガーにかけた。ネクタイを外しシャツの腕をまくり、カバンに入っていたウェットティッシュで顔を拭いてみた。

いつも出張の時は禁煙車を選ぶのだが、今回は手違いで喫煙車だったので、カラダ中がタバコ臭くてしょうがない。ウェットティッシュで顔を拭いたら、ヤニですぐにまっ茶色になった。仕方がないので顔を洗い、ネクタイはしないで再び上着を着た。携帯電話はテーブルの上に置いたままキーを持ち、部屋を出た。






This is not America / David Bowie with Pat Metheny Group


フロントにキーを預けて表に出る。酒田には何度も泊まっているが、いつも深夜に到着して早朝に出かけてしまうので、まだゆっくり街を歩いたことがなかった。夕食もまだだったので、どこかで落ち着く店を見つけようと、雨の中を歩きだす。

駅からまっすぐ海の方に向かう大通りを、駅を背にして歩き始める。相変わらず土砂降りというにはあまりにも細かい雨の粒が、しかし猛烈な勢いで降り続けている。駅前通りには人影は殆どなく、高校生が時々雨の中傘を差しながら自転車で通り過ぎてゆくぐらいのものだ。

駅前通りに店は数えるほどしかない。回転寿司、カレー屋、酒屋、駅前に一件だけスーパーがあるのだが、もう閉店していてシャッターが降りている。

駅を背にしてどんどん歩いていく。徐々に街灯の数も減り、車の数も少ないため、周囲が急激に暗くなっていくような気がする。左手には日本旅館が二軒並んでいる。ガラス戸には「●●旅館」という金色の文字。玄関には何足かの靴が並んでいた。奥の様子はしきりでみることができないが、二階にも明かりが灯っているので、誰かが泊まっているのだろう。

旅館の前で歩調を緩める。なんだか無性にガラス戸を開いて、「こんばんは」と中に入っていきたい衝動にかられつつ、中の様子を覗いてみたいと思うのだが、どうにもついたてが邪魔になって見ることができない。もし次に酒田に泊まることがあったらホテルではなくて旅館にしよう。しばらく未練がましく眺めていたが、諦めて再び駅を背にして歩き始める。

一、二分も歩くと、店らしい店は殆ど何もなくなってしまい、空き地と住宅がぽつりぽつりと現れるだけになった。雨は一段と強くなり、車も人も殆ど通ることがない。しばらく歩き続けると、交差点があり信号があった。片側一車線づつの国道との交差点だ。雨のせいか時間のせいか、国道にも車の往来は稀で、細かい雨に信号機が煙っている。交差点で立ち止まり、しばらく向こう側を見つめていたが、とても先に何か店があるようにも思えないので、あきらめて今来た道を逆戻りすることにした。






Red Guitar / David Silvian


駅に戻ろうと今来た道を引き返す。高校生が雨の中を傘を差して追い抜いて行く以外には、誰にも会わないし、車も通らない。水銀灯に照らし出される細かい雨が銀色の粒のようにくろい夜に輝いている。

歩いているうちに、だんだん何とも言えない物寂しい気持ちになり始める、細かい雨はいつの間にか僕のスーツのズボンをすっかり濡らしていて、革靴の中にも雨が入り始めていた。

意味もなく場末感を味わいたくなり、ピンクや赤のネオンを求めて彷徨い始める。駅前まで戻ってくると左に曲がる細い路地がある。そこを曲がるとほんの小さな飲み屋街がある。何度かそのうちの一軒で飲んだことがあるのだが、それよりも奥に行ったことはなかった。

雨が降り続く中を、その路地に入っていく。まだ時間が早いせいか、殆どの店がまだネオンを消したままになっている。僕が以前入ったことのある店もまだネオンが消えたまま、静かに雨に沈んでいる。

路地をまっすぐに進むとすぐに行き止まりになっており、駅前の通りに抜ける別の路地につながっていた。仕方がないので右折すると、駅舎のすぐ脇に出た。駅舎の蛍光灯が妙に明るく、反対側にはビジネスホテルのネオン、もう少し行ったところには大きなパチンコ屋があった。

意味もなくパチンコ屋の方向に歩き始める。何か明かりがあるような気がして歩き続けるが、途中に一軒小さな定食屋があるだけで、結局何もなかった。パチンコ屋を過ぎるとそこはもう暗黒の世界。雨の中に定期的に水銀灯が淡く明滅しているだけ。

なんとなく一気に脱力してしまい、カラダ中がずぶ濡れになっていることに気付く。いくら動き回っても結局何もないような気がしてきて、あきらめてどこか適当な居酒屋に入ることにした。

それでもどこか賑やかなところはないかと思いしばらく歩き続けたが、断続的に通り過ぎる高校生以外には全く人影がない。特急の終点の駅の繁華街、駅のすぐ前に灯る居酒屋の看板に吸い込まれるように、僕は店の中に入った。






Blackwater / Rain Tree Crow


引き戸を開けて店の中に入ると、2組の客が静かに飲んでいた。小さな木のカウンターにはどうやら親子連れらしい二人。父親は熱燗を、眼鏡を掛けた息子はチューハイを飲んでいた。テーブル席には3人の若い男達、焼酎のボトルをテーブルの上に乗せて何やら小さな声で話していた。

カウンターに座ろうかとも思ったのだが、ちょっと親子連れに気が引けたので、テーブルに一人で腰掛ける。カウンターの中には恰幅の良い、眼鏡をかけたおばさんが何やら炒めているようで、その横には30代半ばぐらいの女性が、なんとなく慣れない手付きで洗い物をしていた。

生ビールを冷奴と「焼きタケノコ」を注文し、ぼんやりと周囲を観察する。隣のテーブルに座っている3人組はどうやらこの近くの飲食店に勤めているらしく、一番歳の若い少年は最近東京から何らかの理由で酒田に引っ越してきたらしい。

歳の若い彼は、庄内訛りが非常に難解であり、客の注文を受けることすらできないことがあると嘆いていた。他の二人はどうやら地元育ちらしく、彼を慰めたり励ましたりしていた。カウンターの親子は殆ど口をきくこともなく、しばらくすると出ていった。






Walter T. / Walter T. Smith


焼きタケノコは僕が想像していたものと全然違っていて驚いた。出てきたものは、タケノコの先端で、しかも皮がついたまま塩を振ってあぶっただけのものだった。恐る恐る皮を剥いて醤油を付けて食べるとこれがうまい。ちょっとばかりワサビがあったりするともっとおいしいかも知れない。

ビールの後に一杯ウィスキーを飲み、店を出る。時計はまだ9時だ。店を出ると相変わらず細かい大雨が降り続いている。駅前の通りに戻ると、ふいに前にも行ったことのある小さなスナックに行きたくなる。まだ時間も早いし財布にも若干の余裕がある。路地を入るとネオンが灯っていた。ドアを開いた。

4畳半ぐらいの狭いスペースにカウンターがある。カウンターの中には見慣れない中年の女性、カウンターの外側には帽子を目深に被った初老の男性と、中年の太った男性。二人ともカウンターに中ばつっ伏すような感じで座っていた。ドアを開けた僕に、3人の視線が一斉に集まる。

見慣れないカウンターの女性が、一瞬の間を置いてから、作り笑いを浮かべた。僕は彼女に以前いたママさんはどうしたと尋ねたが、要領を得なかった。

僕は回れ右をして再びドアを開き、店の外に出た。店から10メートルほど離れたところで跡から走ってきたママさんに呼びかけられた。

彼女は自分が今までどこの店にいたのか、それから自分が何と呼ばれているかを説明し、一生懸命記憶の糸をたぐろうとしているようだった。僕も必死に彼女とおぼろげに残る数年前の記憶を重ねようとしたが、おたがいに何も接点を見出すことができなかった。

「まず飲んでって」という彼女の言葉を丁寧に断り、僕は駅に向かって歩き始めた。歩いているうちに、ふいにさっきのママさんの顔と、数年前のママさんの顔が見事に一致し、改めて年月の経過を感じた。

僕があの店に最初に行ったのは2年前の今ごろ、当時の僕の上司が適当に入ったのがきっかけだった。彼女は当時45歳、まだその店で働きだして数カ月だった。バラックのような、平屋のプレハブ長屋に4軒のスナックが入居している。トイレは驚くほど狭くて、カラダの向きを変えることも難しい。4畳半のスペースにぎっしりと詰め込まれた食器やボトル、カラダ一つがやっと入る幅しかないカウンター、客はいつも酔いどれのオヤヂだけ、BGMはいつも演歌。夜中になると経営者の女性がやってきて、あれこれ注文しないものをやたらと出してはそれを伝票につけるので、いつも夜中になる前に店を出ていた。

僕が彼女の顔を思い出せなかったように、彼女も僕のことを思い出せなかったのだろう。「東京の人」と僕を呼び、いつも僕を特別扱いしてくれた彼女の姿がようやく鮮明に思い出された頃には、僕はコンビニでバーボンのハーフボトルと氷を買って、ホテルの部屋に戻っていた。




Rain / The Beatles


部屋に戻ってシャワーを浴び、バーボンを何杯か飲んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。ニナからの電話で起こされたのは、夜中の0時過ぎだった。ニナはと飲んできたとのこと。僕もお会いしてみたかったので、ちょっと残念だった。電話を切るとすぐに、分厚い遮光カーテンを開いてみたら。くろいよるに浮かび上がる小さな街が、雨に濡れてきらきらと輝いているようだった。




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