秋の夜長に 思うこと 自閉編
1997年9月29日(月)
Fast Car / Tracy Chapman
ここ数日自閉編と呼ぶにふさわしい内容になっているような気がする。人間誰しも常に絶好調であるはずもなく、好不調の波は誰にでもあるものだ。一度高くジャンプするためにはその前にはしゃがみ込んで力を蓄えなくてはならない。十分に力を蓄えて次のステップに向けてジャンプすると、今までには見ることのできなかった光景が目の前に広がり、自分が一つステップを登ったことへの満足感にしばらくの間は酔ったりする。
しばらく高揚感を楽しむと、人間はまた次のステップに向けてジャンプするための準備に入らなければならない。壁のようにそびえる次のステップを下から眺めては恨めしく思ったり絶望したり試しに軽くジャンプして目測を計ったりする。
まだ今はジャンプすることはできない。まだその準備も心構えもできていない。
でもそんなに遠くない将来、僕は再びジャンプするための準備を本気で始めなければならない。
それがいつになるのかがまだ見据えられないから、僕はこうして今日も自閉を続けるのだろう。
ヒマワリ / UA
うまい言葉が見つからないが、静かな軽い鬱状態とでも言うのだろうか。いや、鬱というほど鬱な訳ではない。単にあれこれ考える時間が増えたので、バカみたいに笑ったり活発に人と接触したりする機会が減っているだけなのだろう。
テレビを観る時間が増えたが、実は何も観ていない。ぼんやりと何かを考えるのに、テレビのように軽薄で無害なものがボンヤリと点いていると気が楽になるような気がする。疲れきった体で必死に軽薄さを演じようとするタレント達の姿を眺めていると、自分の思考が必要以上に深みにはまることを防ぐ効能があるように思える。
要は、無駄に落ち込むな、ということなんだろう。
それは良く分かる。
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自閉してはいるが、今の僕は後ろ向きになっている訳でも何かを悔やんでいる訳でもなく、極めて前向きではある。