秋の夜長に 思うこと
自閉編
1997年10月4日(土)
Computer Blue / Prince and the Revolution
一昨日の夕方に突然決まった昨日の秋田日帰り出張。家を出たのは朝の5時半、家に帰ってきたのは夜の10時半、そのうち移動時間は往復11時間半、秋田でのミーティングは2時間。
僕の出張先は秋田県でも最南端に位置する象潟町(きさかたまち)というところなので、ト盛岡経由の「こまち」を使うよりも、新潟廻りの「あさひ」と「いなほ」の方が一時間以上短時間で到着する。
が、それにしても、往復11時間半の日帰りはないだろう。
確かに新幹線が次々と建設され、不便だった地域への短時間での移動が可能になったことは素晴らしい。きっと経済効果もかなりあるのだと思う。しかし、マクロ的な見方ではなくごく個人的レベルで話をすると、移動時間が短縮されたことにより余った時間がちっともゆとりには直結しないのが悲しいところだ。
新幹線がなければ象潟出張は確実に一泊コースである。一泊コースであれば当然僕はホテルに泊り、地元の店で飲み食いをし、お土産もちょろっと買い込んだりするはずだ。もし翌日が休みなら、のんびりと途中下車をしながら帰ってくることだってできる。何度か出張を繰り返すうちに馴染みの店もできるかも知れないし、その地域に対して愛着も湧いてくると思う。
しかし日帰りではそうは行かない。朝と夜の食事は車内で弁当だし、新潟での乗り換え時間が8分しかないので、途中下車もできない。現地での滞在時間もひどく限定されてしまうので、お土産を買う時間もない。完全に移動するだけの目的で考えれば確かにスピードが速いほうが楽だし、会社としても宿泊費を払わないで済むのだから経営的にも多少は楽になるはずなのだが、スピードがアップして余った時間やお金は一体どこに行ってしまうのだろうか。
移動時間が短縮されることによってビジネスは更に加速し、商品やサービスの流れも当然速くなる。しかし、ある特定の企業や団体だけが加速しているのではなく、全てのビジネスがどんどん加速しているのだから、「便利」になったとか、「得をした」ということにはならないのではないだろうか。大競争時代とかなんとかとビジネス雑誌は騒ぎ立て、競争に負けることは資本主義社会での敗北だと言っているが、どんどんエスカレートし続ける競争の先には一体どんなユートピアが待っていると言うのだろうか。ビジネスの加速にいつか人間がついていけない時期がやってくるのではないだろうか。人間の肉体には限界がある。蓄積されるストレスにも限度がある。しかしビジネスには限界がなく、新幹線のスピードもどんどん上がっていく。都市と都市を結ぶ交通網はどんどん発達するが、その中間に位置する地方は忘れられ置き去りにされて行き、地域独特の文化は存在を否定され全てがビッグビジネスに呑み込まれていく。
我々は一体どこに向かおうとしているのだろうか。
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