真夏の夜の夢 思うこと Summer Edition
1998年7月25日(土)
no music still, still of the night
朝目が覚めても、体中が重くてだるくて、何もする気にならない。ずるずると這うように居間に移動して、とりあえず昨日の分の日記書き。ニナも起き出してきてしばらく呆然とモニタを眺める。
今日は、前の部屋の大掃除をしようと決めていたのだが、どうにも体に力が入らず、今日はどこにも行かず、何もしない宣言をして、再び布団に潜り込んでうだうだと。
仕事が営業のせいもあって、僕は一日平均20,000歩前後歩いている。で、週末になると両脚とも筋肉が硬直したみたいになり、弾性がなくなってひどく疲れてしまうのだ。こういう時は、ゆっくりお風呂に入ったり、ストレッチをじっくりやったりして、後はのんびりと脚を休めるのが一番。
ちょろっと食事だの買い物だのに出て、午後も部屋でうだうだ。本当に珍しくwebを実用的なことに使ってみたりしているうちにあっという間に夕方に。
ワインなど飲みつつニナは夕食の支度、僕は洗濯。今日のメニューはオムライスとコールスロー。なんてったって部屋にケチャップ3本もあったから(事情は長くなるので省く)、大量にチキンライス作ってもらって、完成品のオムライスの上にもたっぷりケチャップ塗って。あー、美味しかった。
一日リラックスしたおかげで、体も大分軽くなった。明日は早起きして旧居の大掃除。午後には大家さんに鍵を返さなきゃならないしね。
音楽って、なくても別に死ぬ訳じゃないんだけど、やはりずっと音のない生活をしていると、何となく乾いてしまったような、ぎすぎすしたような、余裕のない日々のような感じがしてしまう。丁度、ずっとセックスしてない時の、無意識のうちにじわりとやってくる心のカサカサ感みたいな感じかな。
明日、掃除の後、元気だったらケーブルを繋ごうっと。
何となく、「同棲」って、胡散臭いような、貧乏そうな響きがあるように思えるのは、単なる僕の思い込みなのだろうかなあ。
で、同棲という言葉を使わないとなると、我々の現在の状態を何と呼べばいいのだろう、と考えてみた。
で、結局、ごく単純に、「同居」という言葉が一番ぴったりしているような気がして、自分では我々は「同居」しているのだ、と心の中で呟き続けている。
今売ってる「コスモポリタン」とか言う雑誌では、「お試し同棲のすすめ」などとアホなことを書いているが、僕はお試しで一緒に暮らしているつもりは全然ない。ごく当たり前の流れで一緒に住むことになったという感じで、別に相手の何かを「試す」ために一緒に住んでる訳じゃないんだよなあ。まあ、いいけどさ。
どっちにしても、部屋を早く片付けないと、とても人を呼べないからな。頑張らねば。
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休日。
新居に越してきて以来、居間のステレオ(僕が持ってきたもの)のケーブルを繋いでいないので、日記を書くときはずっと無音の状態が続いている。
世間一般的に言うと、僕とニナは同棲状態になるらしいのだが、僕はどうも「同棲」という言葉の響きが好きじゃない。