ユウイチからはまだ電話が掛かってこない。さっきマユと長電話している間にひょっとしたら掛かってくるんじゃないかと気が気じゃなかった。インターネットを始めてから解約してしまったキャッチが、こんなに欲しいと思ったことは今までに一度もなかった。
また電話するよ、と言ってユウイチが色の落ちたジージャンの背中を丸めるようにして出ていってから一体何日がたったのか、そろそろ数えるのも嫌になってきて忘れてしまった。でも本当は何日たったんだろう。
さっきマユに叱られた。そんないい加減な男に振り回されてちゃダメだよきっと遊ばれただけなんだから、て彼女はハスキーな声に力を込めて言った。わたしも何となくそんな気がしないでもない。遊ばれちゃったんだって思えばその方がスッキリするような気もする。
フローリングの床の上にじかに敷いた布団の上であぐらを組んでタバコを一本吸った。ユウイチがタバコを吸う女は嫌いだって言うからしばらく止めていた。別にタバコを吸おうが吸うまいがわたしはわたしだよって思ったんだけど、タバコを吸わないユウイチが顔をしかめて嫌がるから、それならやめちゃってもいいかなって思ったんだ。でも結局どれぐらいの間タバコをやめていたのかは今では全然思い出せない。すぐに吸いたくなってこそこそ隠れて吸ってたから、トイレとかで不良学生みたいにスパスパやってて自分でもちょっとバカみたいだと思った。
吸い殻が山盛りになっている灰皿に火のついたタバコを押し付け、キャスターベベルのハードパッケージを爪で弄んでいると、ちょっとしたくなったのでそのまま布団に寝転んでスウェットのパンツの中に指を滑り込ませた。目を閉じて両脚の腿で右手を挟むようにすると何故か安心する。爪で柔らかい皮膚を傷つけないように指の腹でクリトリスを押さえるようにして円を描くと、わたしはいつも簡単にいく。でも雑誌とかで紹介されてるみたいにとんでもない快感があるわけじゃなくて、何だか我慢してたオシッコを思い切り出してスッキリした時の気持ち良さにちょっと似たような、軽い快感だ。したい時にすると確かにすっきりはするけれども、これがなくちゃ生きていけないってほどでもない。
男とのセックスではまだ一度もいったことがない。乳首を舐められるのはすごく好きでうっとりした気持ちになることもあるけど、男にあそこを触られるのはすごく嫌だ。特に指を入れられるのがどうしても好きになれない。ごつごつした指を強引に入れてきて掻き回されると、怖くてえっちな気持ちどころじゃなくなってしまう。
ユウイチと初めてした時も、ユウイチはすごく強引に指を入れようとしてうまく入らなくて、唇をあそこにつけようとするからわたしは本気で拒んだ。でもその時のユウイチの泣き出しそうな顔がすごくかわいくて、わたしは笑いながら両手でユウイチの頭を掴んで自分の乳房に押し付けた。ユウイチは赤ちゃんみたいにわたしの乳首を吸って、あの時が多分今までで一番セックスをしてて気持ち良かった時。
ずっと敷きっぱなしでくしゃくしゃになった布団の上で目を開く。天井の隅っこの方に小さなカメラが設置してある。新宿の居酒屋で日曜日の真夜中に知り合った男が部屋に来たときに、毎月10万円あげるからカメラで部屋の様子を撮らせてと言った。インターネットで女の子の部屋の覗きコーナーというのがあって、有料でわたしの部屋の様子を覗きさせてあげるのだという。リモートコントロールで定期的にシャッターを切り、自動でデータを送るんだと言っていた。その男は持ってきていたノートパソコンで他の女の子の部屋の様子を覗き見している写真を見せてくれた。どれも小さくて顔なんか見えないし、散らかったままの部屋でも平気で見せていたのでわたしもちょうど親に内緒で専門学校もやめたばかりでバイトもやめちゃってたからお金が欲しかったし、男は目の前で10万円をポンと渡してくれたのでオーケイした。男とはその後2、3回外で会った。新宿の裏通りにやけに詳しくて、区役所の裏の方にある韓国料理屋とかに連れていかれて骨鍋なんかを食べさせられたけど、その後男の息がすごく臭くて嫌だった。一度約束をすっぽかしたら電話はかかってこなくなった。毎月10日にちゃんと10万円が振り込まれてくるので、カメラはそのままにしてある。
股がちょっとぬるぬるして気持ちが悪いのでティッシュで拭ってごみ箱のある辺りに放り投げた。当然のことだけどごみ箱にはうまく入らない。わたしには握力というものが全然ない。高校の頃は毎年春になるとある体力測定が大嫌いだった。体がごつくて胸も大っきい女が、勝ち誇ったように肩で風を切って歩き回っているのがすごく嫌だった。まるで体力がある人間が強くて偉いみたいに勘違いしている奴らだ。頭の中まで筋肉と汗で出来てて、センスなんて何もないくせに。
ふと時計を見るともう3時を過ぎている。結局今日は一歩も家の外に出なかった。でもどうせ外はビシャビシャと雨が降り続いているし、一昨日かけたパーマがまだまだきつくかかり過ぎているから、出たくもなかったからいいけど。わたしがユウイチにフラれて髪を切ったなんて思われるのは癪だったし、わたしの髪は細くて芯がないからすぐにパーマがきつくかかってしまうので、いつも行く美容院のちょっとホモっぽいお兄さんにあまり切らないで、あまりきつくパーマをかけないで、とお願いしたのに、出来上がった髪型は、まるで20年前の松田セイコみたいで、当分わたしは外に出たくない。
冷蔵庫から氷を出してきて、グラスにボンベイ・サファイヤのジンを注いで飲んだ。ユウイチが連れていってくれた渋谷の道玄坂の裏手にあるバーで初めて飲んだ。アンディ・フグみたいな髭を生やしたバーテンさんが、ジンはイギリスのお酒なんですよと教えてくれた。ロンドンに一度でもいいから行ってみたいと思っているとユウイチに言ったらお前変わってるなと笑われた。何で笑うのよと真面目に聞いたつもりだったんだけど、ユウイチは笑って答えてくれなかった。今でもなんでわたしが変わっていると思ったのかは知りたいと思う。近所のディスカウントストアに行ったときに、渋谷のバーで見た青くて四角い綺麗な瓶が並んでいて、わたしは迷わず一本買って帰った。どうやって飲んだらいいのかよく分からなかったので、そのままロックで飲んでいる。最初は苦くて鼻にツンと来てちょっと嫌だったけど、最近はすごく美味しいと思うようになった。
ジンを2杯飲んダら、何だかずいぶん酔っ払うなと思った。そうしタら、昼過ぎに菓子パンを一個食べたきり何も食べていないことに気付いた。少しだけおなかが減っているヨうな気もしたけど、何だか動くのが面倒なノで、そのまま放っておくことにした。きっとこうしていればまた痩せて、ぽちゃぽちゃしてるマユがまたうらやまシがるだろうと思うとおかしくなった。おかしくなッたので、大声で笑ってみた。わっはッはっはっはと。あまり楽しくなかった。
鞄の奥の方に放り込んだままになっていたレンドルミンの錠剤を取りだして3錠飲んだ。ユウイチがいつも夜眠る前になると飲んでいて、わたしが何なのと尋ねたら教えてクれた。不安でいらいらする時とかニ飲むと、安心シてぐっすり眠れルんだ、と言っていた。わたしも何度か飲んでみたケど、別にどうってことはなカった。今日はヨっぱらっているから、いつもとはちょっとちガうかなト思ったけど、やッパりどうっテことはないみタイでツマらなイ。
布団のウエニごろりと横になッテ目をトじた。ひょっとして、わたシはさビシいのかしら、と考えたラ、今日もまた眠るのがイやになってきた。ユウイチからは今日モ電話はかカッテこなカッタ。デモネムラナイトシンジャウカも知れないから、とりあえず目を閉じてじっトシテルコトニシタ。
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