思うこと

1999年8月18日(水) 晴れ

南の島旅行記、今日で第六回(旅行は五日目)。前の回は、このページの一番下の←から戻ってください(手抜き)。

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眠っていながら、何となく予感がしていた。目が覚めた時、すぐには目を開かず、目を閉じたまま瞼を透かして届く光を味わってもみた。クマゼミやニイニイゼミが高らかに鳴いている。鳥も元気にさえずっている。

そう、ついに晴れたのだ。屋久島に到着してすでに5日目。ずっと九州西岸に停滞していた熱帯低気圧を太平洋高気圧が押し上げ、ようやく抜けるような青空が、僕達を包み込んでくれたのだ。わはははははははははははは

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というわけで、朝食も大急ぎで済ませ、いそいそと浜に出る準備。旅館の入口のところで、テル君が一人でシャボン玉で遊んでいた。一人っ子は、せっかく田舎に来ても、遊び相手がいなくて大変だよな。

ニナが「一緒に海に行こうよ」と誘うと、「僕、もう今日帰るけん」とのこと。実は若女将と若旦那はお盆に帰省したついでに旅館を手伝っていただけで、今日福岡に3人で帰ってしまうという。ということは、今夜からこの牧旅館は年老いた旦那と女将だけになってしまうのか。大丈夫か、牧旅館

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旅館から車で1分で、目的地の永田いなか浜に到着。青い空に白い雲。砂も白いぞ。わはははは。海はサファイアみたいな碧だぞ。軽く1キロはある白い砂浜に、人が5、6人しかいないぞ。ああ、これこそが今回の旅行の目的であり僕の求めていたもの。ああああああ、待ったかいがあったというものだ。

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白い砂浜をさくさくと歩き、適当なところにビニールシートを敷く。途中で買ってきたお茶だのジュースだのを配置して、まずはごろりと横になる。海岸にはゴミ一つ落ちていない。ああ、極楽だ。

これは屋久島のどこでも共通しているんだけど、本当にゴミがない。海岸には吸い殻一本落ちていないし、岩場の水が澱んでいるところに行っても空き缶もコンビニの袋もまったく落ちていない。これって小さいことかもしれないけど、本当に気持ちがいいことで、これだけキレイにしてあると、誰もゴミを捨てようなんていう気にもならなくなるんだろう。海水浴場にも観光スポットにも、ごみ箱は一つもないけど、みんなきちっと持ち帰っている。うん、砂浜にまったくゴミがないというのは、実に気持ちがいいものだ。

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まずは寝転んでしばらく読書など。海の家もないから、レンタルのパラソルもデッキチェアもないけど、そんなのは問題じゃない(だいたいパラソルを突き刺す穴を掘ったらウミガメの卵が出てきてしまうかもしれない)。ひたすらに綺麗な空と、透き通った海。ゴロンと横になって本を読み、頭の中をどんどん空っぽにしていく。ああ、極楽だ。

しばらく寝転んでから、海にも入ってみる。いなか浜は外海に面しているから、波がものすごく高い。しかも全然遠浅じゃない。波打ち際から数メートルで、もう僕の背でも足がギリギリという感じになってしまう。僕もニナも泳ぎにはあまり自信がないので、波打ち際で(と言っても足がつかなくなるぐらいのところで)ゴミも海草もクラゲも交じっていない、陽光を浴びてひたすらキラキラと輝く水に浸ってとにかくふやけてみる。

水に入っていて急に思い出した。僕はスキンダイビングが出来たんだった。もう10年近くやっていないから、かつて自分がやったことがあったということも忘れていたし、ゴーグルとフィンがあれば、単に海水浴をするだけよりも、何百倍も海の美しさを堪能できるものだということも、全然頭から消え去っていた。学生時代に千葉の安房小湊とかで、潜って魚を銛で突いたりしたことがあったんだよ、そう言えば。

次に来るときには、必ずゴーグルとシュノーケルを持ってこよう、と誓いつつ、美しすぎる海にじっと見とれてみたり。

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それにしても、全長1キロ以上はある砂浜に、人間が5、6組という状況はなかなか凄い。まるでエーゲ海の無人島にでも行ってしまったみたいな気分だ。これだけ人が少ないと、どんどん自意識を開放させることができて、心の底からリラックスできる。ただ海があって砂浜があって空が青くて太陽がギンギンに照っていて、それだけ。多分その気になれば水着を脱いで寝転んでいても全然問題なかったんじゃないかと思う。それこそエーゲ海の世界だな。

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ビーチに寝転んで本を読んだり、海に入ったりを何度か繰り返し、お昼過ぎに一旦ビーチを離れ、車で宮之浦に出る。僕は今回は焼こうと思って、SPF4ぐらいのオイルを塗っていたんだけど、まだ全然赤くもなってなかったし、ちょっと物足りなかったんだけど、また後で来ればいいやと思い、人影もまばらな天国を離れることに。

宮之浦で昼食を食べ、ちょっと買い物をしたら、ぐったりと体が疲れてきた。荒い波の海岸で遊んだし、思い切り太陽の下にいたせいだろう、などと言いつつ永田まで戻ってきて、今度は永田川の河口で遊ぶ。

河口とは言っても、人家のまったくない山間を流れてきた水しか流れていない川の河口だから、水は鏡のように澄んでいるし、ここにもタバコの吸殻一つ落ちていない。河口は外海と違って波がないから、小魚だのカニだのがうろうろしているのが見えてまた楽しい。

河口側からは、雲の間から永田岳の姿も見えて、今まで見れなかったものの殆どを今日一日で見てしまったという感じ。もう大満足。

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一旦部屋に引き上げ、お風呂に入る。さっき河口を出たときは全然何ともなかったのに、いつの間にか体中が真っ赤に焼けている。特にふくらはぎと肩から背中にかけてがひどく、ほとんど火膨れ状態。でも痛みはほどんどなく、僅かにふくらはぎがヒリヒリするぐらい。

夕食。老夫婦の旦那と女将だけになったからと心配していたのだが、かえって昨日までより若者向けのメニューになったような気がする。それにしても毎日こんな豪華な料理ばかり食べ続けていると、東京に帰ってから恐ろしいことになりそうだ。

ビールと焼酎を頂いてから、バーボンのボトルとビニールの敷物と懐中電灯を持って再び外に。外はもう漆黒の闇。ただ昨日までと違うのは、見上げれば、これこそ夢にまで見た満天の星、ということ。

午後に遊んでいた河口まで行って、砂浜に敷物を敷いてごろりと横になる。ぐぁぁ。気持ち悪くなるぐらいの星、星、星。ニナと流れ星を見つけあいっこする。うん、確かに10分に1個ぐらいの感じで、スイっと流れる星が見える。

バーボンをラッパ飲みして酔っ払いつつ眺める天の川っつーのも、なかなか他じゃあ体験できないでしょ。いい感じで二人とも酔っ払ってフラフラしながら宿へと戻る。

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部屋でもう一杯バーボン飲んでから眠ろうと、厨房まで氷を貰いに行ったら、老旦那が厨房で焼酎飲んですっかり出来上がってた。厨房には何やら旦那の友達連中みたいのもいて、老女将もいて、楽しそうに酔っ払っている。

一緒に飲みませんか、という老旦那の一声で、みんなでぞろぞろと居間に移動して宴会が始まる。今日から泊まりに来ていた豊中の学校の先生とその彼女(?)も加わり、みんなで屋久島の焼酎三岳をゴクゴクゴクゴクと飲みまくる。

すっかり御機嫌になった老旦那、あれこれと貴重な資料を持ってきては見せてくれる。実はこの老旦那、地元の永田小学校の校長先生だった人で、今でも非常勤講師として、地元の子供たちに屋久島と永田の歴史を教えているという。

あれこれ見せてもらったなかでも一番興味深かったのは、老旦那が1960年に作成したという、社会科用の資料。永田の歴史と現在という資料で、当時の屋久島と永田の様子が克明に記されていて、ものすごく面白い。

おお、とか、ああ、とか言いながら感心してその資料を読んでいたら、「あげるよ」と言ってポンとその貴重な資料を僕達にくれた。キャーキャー言って喜んでいると、後から後から出るわ出るわ、テレホンカード、Tシャツ、ポストカード、もう何でもありっていう感じでくれまくる。

僕もニナも、まっすぐ歩けないぐらい酔っ払い、両手にお土産を抱きしめるようにして部屋に戻り、あまりに楽しかった一日の余韻を味わう暇もなく、あっという間に眠ってしまう。

ああ、本当に夢のような一日だった。



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