思うこと
2000年4月27日(木) 晴れ
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ダニエル・キイス、「アルジャーノンに花束を」を読了した。
本当に久し振りに、読了後に絶対的な感動を覚えた。いつ以来だろう。多分村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読了した時以来だと思う。
僕はこの作品がどの程度世間で知られているものなのかということを、実はよく知らない。今回この小説を読むことになったのも、ニナが是非読んでみろと薦めてくれたからである。そして僕は、ダニエル・キイスという作家が、この作品以外にどんな小説を残しているのかということも、全然知らない。
でもとにかく良かった。圧倒的だった。ガンダムでジオン軍が使う、「ソーラ・レイ」みたいに、余計なものを全て吹き飛ばしてしまうような、パワーがあった。そうそう、大事なことだけど、翻訳がまた絶品だった。外国文学を読んでいて、翻訳のまずさが障壁になってしまい嫌気がさすことが良くあるのだが、この作品の翻訳は、限りなく完璧に近かったと思う。
巻末に解説がついていて、そこにちょっとしたエピソードが載っている。
「あなたはどうやってこんなに凄い小説を書いたんですか」と尋ねられたキイスは、「あなたはどうやったら僕があんな凄い小説が書けると思いますか」と逆に尋ね、こう付け加えた。「僕も、もう一度、あんな小説を書いてみたいのです」
僕には、彼の言わんとするところが、分かる。少なくとも、分かるような気がする。
「ソーラ・レイ」級の圧倒的な作品というのは、どんなに著名な小説家であっても、狙って作れるものではない。テーマがあってキャラクターがあってプロットがあって、それを言葉に変換して作品が作られるわけだが、同じ作者が同じテーマと同じプロットと同じキャラクターで二つの作品を作っても、完成した二つの作品の輝きというのは、時として雲泥の差が出てしまったりするものだと僕は思っている。
そこには作者の技量、経験、体調、年齢、精神状態なども関連してくるし、作者を取巻く環境、時代、流行などにも左右されるだろう。それと、非常に大切なのは、タイミングと、運。
ダニエル・キイスが「もう一度あんな小説を書いてみたい」と思う気持ちは、すごくよく分かる。僕はまだ、自分が「ソーラ・レイ」的な作品を世界に対して示すことはできていないが、先月書き終わった作品に対しては非常に愛着があるし、出来上がりにも満足している。そして次の作品のことを考えたりしている時に、ふと、「またこの前みたいに書けるだろうか」と思ってしまう。不安に思うということではなく、もう一度自分の満足できるものを書きたい、という憧れのような気持ちを抱くのだ。
でも、書いた方も読んだほうも非常に満足しているのなら、そんなに幸せなことはない。僕も、アルジャーノンのおはかに花束を、心の中で捧げたいと思う。
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さて、駆け足で日記。
今朝もやっぱり5時半に起きてジョギング。雨の中を走る。本格的な雨の中を走るのは初めてだったのだが、やはり幾つか対策を講じる必要がありそう。
眼鏡のまま走ると水滴がついて落ち着かないので、起きてすぐコンタクトを入れるといいだろう。 髪の毛が濡れると嫌な感じなので、キャップを購入するといいだろう。 顔が雨で濡れ続けると無意識のうちに体が強張り、心拍数が上がる(つまりペースが上がる)。ゆっくり走るよう心掛けるといいだろう。 まあ、こんなところでいいだろう。
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仕事で、僕の生まれた駅を電車で通過する。もともと異常にこじんまりした町なのだが、細い路地の両側に並ぶ建物が年々上に伸びていき、見ていてすごく息苦しい感じ。車がすれ違えるかどうかギリギリという駅前通りというのも、今どきなかなかない感じで好きなのだが、駅前のマクドナルドには、すごくすごくすごく違和感を感じた。
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今日の体重:89.6キロ(12月23日スタート時95.8キロ)、今日の体脂肪率:25.1パーセント(12月23日スタート時28.8パーセント)
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伝言板。
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