町田という街は、僕が予想していたよりも遥かに巨大で、活気があり、僕は電車から降りると、何とも妙な気後れのようなものを感じてしまった。僕が勝手に想像していた町田駅周辺は、郊外のこじんまりとした乗り換え駅で、ちょっとばかり牧歌的な雰囲気さえ漂っている、寂れ気味の商店街とそれに続く郊外の住宅地というものだったのだ。渋谷や新宿にも負けないような人込みと、何となく懐かしいような雑然とした雰囲気が、僕を少しだけ混乱させ、僕は自分が完全な部外者であるような錯覚に陥っていた。だから、僕は改札を出てから、教えられたとおりに待ち合わせの喫茶店へと向かう途中、見知らぬ土地に一人で放り出されてしまった子供のように何となく落ち着かず、早足で雑踏の中を通り過ぎて行った。僕は人の波の中から待ち合わせの喫茶店を見つけると、ガラス越しに、本を読んでいるみこさんの姿を見つけ、だいぶ気が楽になった。自動ドアが開いて僕が店の中に入ると、みこさんは本から顔を上げ、小さく僕に向かって微笑んだ。みこさんの微笑みが、いつもよりも少しだけ固くこわばっているように感じられた。
僕はコーヒーを注文した。みこさんのカップには、カフェ・オレがまだ半分以上残っていた。僕達はゆっくりとコーヒーを飲み、タバコを一本ずつ吸い、店を出た。
店を出てしばらく商店街を歩いた。僕達は肩が触れるか触れないかぐらいの距離を持って歩き続けた。僕達は歩きながらぽつりぽつりと話をした。とりとめのない、どうでもいい話ばかりしていた。
商店街を一往復し、時計を見ると昼を過ぎていたので、僕達は小さな中華料理屋に入った。みこさんはその店に時々来ているようで、慣れた様子で店に入っていった。店内には台湾からやってきたという太った中年の男性と、その奥さんと思われるおばさんの二人が働いていた。彼らは片言の日本語で僕達から注文をとると、キッチンへと消えて行った。昼過ぎの稼ぎ時にもかかわらず、客は僕達の他には1組の親子連れだけだった。もっともテーブルが全部で4つしかないような小さな店だから、あと2組み入ればいっぱいになってしまうのだが。
僕はチャーハンを、みこさんは焼きそばを食べた。感動的という程ではないにしろ、非常に美味しいチャーハンだった。そのことをみこさんに言うと、みこさんは今日初めてニッコリと微笑み、僕に焼きそばを少しくれた。焼きそばも香ばしくて美味しかった。
食事が終わると僕達は再び街をデタラメに歩き回った。そして目に入った映画館で2本立ての映画を観た。フットルースとストリートオブファイア。特に映画が観たかった訳じゃなかったのだが、余りにも早い時間に待ち合わせをしてしまったので、ライブが始まるまでの間が持たなくなってしまったのだ。映画館は小さくて汚くて、椅子のスプリングはブヨブヨになっていたし、座席に座っているとどこからともなく小便の匂いが漂ってきた。客は半分も入っていなかった。僕達はポップコーンとコーラを買い込み、ど真ん中の席に座って映画を観た。僕はどちらの映画とも、もう何度か観たことのあるものだったので、途中で退屈してしまったが、みこさんはどちらも観ていなかったようで、スクリーンに集中しているようだった。僕は眠くもないし、お尻が痛いしで、画面を眺めつつ早く映画が終わらないかと待っていた。
映画が終わり、お尻をさすりながら表に出ると、外は丁度夕暮時だった。見事な夕焼けに包まれた町並みは、やはり活気があり、僕を圧倒する何かを持っているようだった。僕達はまた街の中を意味もなく歩き回り、そして開店時間を待ちかねたようにみこさんお薦めのライブハウスへと向かった。
入口の狭いドアを入ると、細い階段が2階へと続き、黒い壁にはびっしりとポスターやビラが貼り付けられている。みこさんが僕を案内するように階段を昇っていく。僕はみこさんの細い脚に何となく見とれながら、みこさんに続いて階段を昇った。
開店直後ということで、まだ店内には僕達以外に客はいなかった。小さなステージの上にはアンプやらスピーカーやらドラムセットやらマイクスタンドやらが並び、いかにもこれからライブが始まります、という雰囲気を醸し出している。丸いテーブルが6つあり、僕達はステージの目の前のテーブルを選んだ。奥の方に小さなカウンターがあり、頬髭を生やしたがっしりした体格の男性がグラスをカウンターの上に並べていた。彼の他には従業員の姿は見えなかった。
頬髭を生やした男性は(僕は彼をマスターと呼ぶ)、黒い前掛けで水に濡れた両手を拭きながら僕らのところにやってきて、注文をとっていった。僕らはビールを一杯ずつ注文した。良く冷えたバドワイザーだった。僕達はフライドポテトとソーセージも注文した。マスターに尋ねると、ライブが始まるまではまだ1時間ほどあるとのことだった。
僕達はビールを2杯ずつ飲み、ポテトとソーセージを食べ、ゆっくりと話をしながらライブが始まるのを待った。みこさんは僕のバンドのことをあれこれと質問し、僕はみこさんの普段の生活についてあれこれと質問をした。いつから町田に住んでるの、とか、たっちゃんの店で働く前は何をしていたの、とか、そんなことだ。
やがてぽつりぽつりと客が入りはじめ、頬髭のマスターの他に長髪にぴっちりとしたレザーパンツ姿のいかにもライブハウスの店員という感じの従業員が現れた。最初のバンドのメンバーと思しき5人組が楽器を担いで入ってきて、一番後ろのテーブルに陣取った。マスターが彼等にバドワイザーを出し、彼らはギターケースからギターを出したり、タバコを吸ったりしながら、静かに何かを話していた。マスターのいるカウンターの横にある通路から、何人かのバンドマンが入ったり出たりしていたので、恐らく小さな楽屋のようなものがあるんだろうと思った。キッチンも奥にあるようだから、思ったよりも広い店なんだろうと僕は思った。
僕達はバーボンのダブルのロックと、ピッツァとサラダを注文した。バーボンが運ばれ、時計の針が19時を過ぎたあたりで、BGMが鳴り止み、ステージにスポットがあたった。後ろのテーブルに陣取っていたバンドマンが立ち上がり、ゆっくりとステージへと向かう。チューニングの音、アンプから微かに流れるノイズ。小声で打ち合わせをするギターとベース。僕は胸がどきどきし始めていた。
やがて店の照明が全て落ち、スポットも消えた。P.A.から溢れだす微かなノイズ音が僕の緊張感を高めた。僕はタバコに火をつけ、大きく煙を吸い込んだ。みこさんの方を見ると、彼女は頬杖をついて僕に向かって微笑んでいた。
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