神奈川県藤沢市片瀬に建つ「寂光山 龍口寺」という日蓮宗の寺院に参拝してきたのでご紹介。
龍口寺がある場所は鎌倉市腰越と藤沢市片瀬の境界からすぐ近くである。
この場所は鎌倉時代には龍口刑場があり、この地に連行された日蓮が処刑寸前に助けられたという逸話がある。
また、表通りからは見えない境内奥に立派な五重の塔が聳えているのも特徴。
明治期に建立された純木製の五重の塔である。
さっそく紹介しよう。
寂光山 龍口寺 基本情報
寺院名 | 寂光山 龍口寺 |
---|---|
住所 | 神奈川県藤沢市片瀬3丁目13番37号 |
電話番号 | 0466-25-7357 |
創建年 | 延元2年(建武4年・1337年) |
宗派 | 日蓮宗 |
拝観料 | 志料 |
駐車場 | なし |
ウェブサイト | 公式サイト |
龍口寺 御由緒
以下、Wikipediaからの引用。
日蓮宗の開祖・日蓮は、“天災や人災によって国内が混乱し人心が頽廃する原因は、幕府や諸宗が正法に帰依していないからである”とする『立正安国論』を著し、文応元年(1260年)7月16日に北条時頼に上呈して国家諌暁を行った。しかし、幕府はこれを拒絶した上に国家への反逆と見做し、御内人の平頼綱に命じて弾圧を加えた。(松葉ヶ谷法難・伊豆法難等)それでも幕府や諸宗に対して批判の手を緩めない日蓮に対し、龍ノ口刑場での斬首刑とするため、文永8年(1271年)9月12日の夕刻に日蓮を連行した。その際、日蓮に縁のある桟敷の尼という女性が黒胡麻で作った牡丹餅を鍋蓋に乗せて供養したといわれている。龍ノ口到着後には土牢に閉じ込めておき9月13日に差し掛かったあたりで刑が執行されそうになったが、「種々御振舞御書」に拠れば、この時に江の島の方角から強烈な光り物が現れ太刀取り役の武士の目がくらむほどの事態に陥いり、刑の執行が中止されたと伝えられている。これが“日蓮一生の中でも最も死に直面した危機である”として、日蓮宗では「龍口法難」と称し四大法難の一つに数えられるようになった。
その後、延元2年/建武4年(1337年)に、日蓮の弟子・日法がこの「龍ノ口法難霊蹟」に、処刑の際に首の座に敷かれたという「首敷皮」と「自作の祖師像」を安置し敷皮堂という堂宇を建立した。これが龍口寺の始まりと伝わっている。更に時が下って慶長6年(1601年)には、腰越・津在住の国人で日蓮宗の信奉が篤かった島村采女が寺領を寄進し、本格的な寺観が整えられた。
龍口寺 地図とアクセス
湘南モノレール 湘南江の島駅 徒歩約2分
江ノ電 江ノ島駅 徒歩約3分
江ノ電 腰越駅 徒歩約6分
最新!寂光山 龍口寺 1回目の参拝レポート 2024年4月
参拝日
2024年4月12日(金)。
当日の様子
▲ 龍口寺の目の前を江ノ電の線路がカーブしている。
左奥には江ノ島駅がある。
▲ 大きな看板で「日蓮宗 霊跡本山 龍口寺」と書かれている。
▲ まずはコンクリート製の二天門がある。
▲ そしてその奥に石段があり、石段の上に山門がある。
▲ 魚のウロコのような模様の緞帳(?)が掛けられている。
このスタイルは初めて見た。
▲ 境内は広く、ちょうど桜が満開の時期だった。
▲ 山の斜面に建てられているので起伏に富んでいる。
▲ 手水舎。
▲ 龍の口から水が出るタイプ。
▲ 境内から山門を見る。
▲ 龍口寺の縁起。「龍口法難」について詳しく書かれている。
▲ 立派な本堂へと向かう。
▲ 本堂の説明書き。
▲ この時点で奥の斜面に五重の塔が建っていることに気付き驚く。
▲ 斜面の上の方に建っているため、本堂の場所から見上げると凄く大きく見える。
▲ 石段をのぼって五重の塔に向かう。
▲ 五重の塔に辿り着いた。
すごく立派で感動した。
▲ 五重の塔は明治43年建立で、建設に12年を要したという。
近代に入ってからの建立だが純木造だという。
▲ 五重の塔の説明書き。
▲ 五重の塔の脇からだと、奥に江の島の灯台と海が見える。
▲ 仏舎利塔と龍口明神社 元社。
▲ 崖をくりぬいたような形で観音像が建っている。
なかなか凄い光景だ。
この日のまとめ
日蓮宗本山ということで、歴史深くそして予想以上に立派な寺院だった。
本堂も五重の塔も素晴らしく、美しさに圧倒された。
ぜひまた機会を作って参拝したい。
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著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。