港区赤坂6丁目に鎮座する「赤坂氷川神社」に参拝してきたのでご紹介しよう。
赤坂氷川神社は正式には「氷川神社」であるが、氷川神社は各地にあり区別するために土地の名を冠して「赤坂氷川神社」と呼ぶ。
赤坂氷川神社は僕が2015年から19年まで住んでいた六本木3丁目の部屋の鎮守だった。
当時住んでいたマンションは僕の住んでいた部屋の上を2つの旧町の境界線が通っていた。
部屋の一部が麻布市兵衛町に属し、残りが麻布仲ノ町に属していたのだ。
東京神社庁に問い合わせたところ、非常に特殊なケースで、麻布市兵衛町の鎮守が赤坂氷川神社、麻布仲ノ町の鎮守が久国神社と、一つの部屋に二つの鎮守を持つことになったのだ。
というわけで、六本木3丁目在住の頃は、頻繁に参拝に訪れていた。
鎌倉に引っ越してから、なかなか参拝に来られないのだが、今回2年ぶりの参拝ができた。
さっそく紹介しよう。
赤坂氷川神社 基本情報
神社名 | 赤坂氷川神社 |
---|---|
住所 | 東京都港区赤坂六丁目10番12号 |
電話番号 | 03-3583-1935 |
創建年 | 天暦5年(951年) |
ご祭神 | 素盞嗚尊 奇稲田姫命 大己貴命 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | あり9台 |
サイト | 公式サイト |
赤坂氷川神社 御由緒
以下、Wikipediaからの引用。
天暦5年(951年)、蓮林僧正が霊夢を見て、現在の赤坂四丁目のあたりに奉斎したと伝えられる。
享保15年(1730年)4月、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。現在の社殿はこの時に造営されたもので、東京都の有形文化財に指定されている。江戸幕府による尊信は厚く、14代家茂公まで歴代将軍の朱印状が下付された。麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされる。
明治元年(1868年)、准勅祭社に列する。
赤坂氷川神社 地図とアクセス
① 千代田線 赤坂駅 (6番出口)
② 日比谷線 六本木駅 (7番出口)
③ 大江戸線 六本木駅 (7番出口)
④ 南北線 六本木一丁目駅 (1番出口)
⑤ 銀座線 溜池山王駅 (12番出口)
最新!赤坂氷川神社 2回目の参拝レポート 2024年5月
参拝日と参拝方式
2024年5月12日(日)の午後に社頭参拝。
当日の様子
▲ 右側が赤坂氷川神社。
高大な境内を持つので、延々と石垣が通く光景はなかなかのもの。
▲ 正面にやってきた。
アークヒルズのすぐ近くなのだが、鬱蒼とした緑に包まれ都心とは思えない。
▲ 簡単なご由緒書き。
▲ 境内に入ると、より詳細かつ新しいご由緒書きがある。
▲ 二の鳥居を潜る。
▲ 手水舎には花が飾られていた。
▲ そして山門を潜るといよいよ拝殿が見える。
▲ 拝殿に向かおうとしたら、ちょうど婚礼の儀が行われていた。
しばらく時間が掛かりそうだったので、こちらから参拝。
▲ 東京十社巡り。
僕は亀戸天神社、神田神社、日枝神社、芝大神宮に参拝したことがある。
▲ 拝殿の近くに神輿舎があった。めちゃくちゃ立派で新しい。
▲ 神輿よりも山車がメイン。
「翁」という山車。
1845年作だそうだ。
▲ こちらがその「翁」。
▲ もう一つの山車が「日本武尊」。
▲ こちらが日本武尊。
▲ そしてお神輿も一基飾られていた。
ちなみに前回の参拝レポートの時と飾られている山車が2基とも異なった。
時期によって展示する山車を入れ替えているのか。
気になる方は次のページの記事もご覧ください。
▲ 山車の説明書き。
▲ 当時の様子を描いた絵(版画?)も飾られていた。
▲ 境内の9つの摂社・末社を統合した九神社。
▲ 九神社にも参拝。
▲ 境内の隅の方にもう一社境内舎があった。
▲ 狐様が祀られているので稲荷神社であろう。
こちらにも参拝。
▲ ものすごい大木の銀杏。見事だ。
この日のまとめ
2年ぶりの参拝となったが、この日はゆっくり境内を巡れて楽しかった。
今までは初詣や正式参拝などでせわしなく、ここまで詳細に見ることができなかったので。
前回の参拝レポートは次のページにありますので併せてご覧ください。
麻布・六本木神社情報はこちらにもたくさん!もう1記事いかがですか?
著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。