あなたの温もり 思うこと  不明編


1997年11月3日(月)

Trust in Me / Holly Cole Trio

昨夜はsom1973氏の司法試験合格記念で、ニナと3人で吉祥寺のファッショな居酒屋へ。

アルコールもずっと断っていたということで、彼はリハビリということでビールをまるで舐めるように、僕は相変わらずずびずびと。

彼と話していてすごく印象に残ったこと、「決めるべき時に決めにかかる」ことの大切さ。ずるずると生活に流されることなく、決めるべき時を確実に押え、一気に畳み掛けるように決める、格好良いけど、言うほど簡単なことじゃないなあ。僕も最近すっかりサラリーマン根性が身についてしまってて、プライドだの意地だのって、表に出てこなくなってしまったなあ、などと反省しきり。来年の4月からはまたまた超多忙な日々になることでしょうから、まずはゆっくり体と心を休めてやって下さいな。どうでもいいけど、「司法試験受験日記」てタイトル、変えなきゃならんですよね。僕のイチ押しは昨日も言ったけど「LAWDO」。きゃー。



If I were a Bell / Holly Cole Trio


昨日som氏と話していて、ふと思い出したこと。

「だからね、時々俺は世間を見回して本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね」、「あれは努力じゃなくてただの労働だ...(中略)...努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」

村上春樹の「ノルウェイの森」の中に出てくる言葉。

学生時代に僕は他の大学生と比較して(学部生としては)ずいぶん勉強した方だと思う。ちゃんと研究もしていたし、論文もきちんと書いた。暇があれば英字新聞を読んだり、TOEICを受けたり、常に自分を向上させようと努力していた。あれは間違いなく努力だと自分でも評価できる。少しずつ向上していく自分を感じるのは、一気に堕落するのを実感するのと同じぐらい気持ちの良いものだが、堕落する時の緊張感とは違い、体が引き締まるような気がするのが結構心地よかったな。

就職してバカみたいに忙しい時期が2年ぐらい続いたせいで、僕はすっかり向上心だの努力だのというものを忘れてしまった。「主体的に目的的に」努力したことが果たしてこの一年間で何かあるだろうか。ふとそんなことを考えると哀しくなってしまう。確かに平日は毎日一生懸命労働しているが、やはり所詮労働は労働であり、僕は自分自身を向上させる代わりに自分自身を磨り減らしながら日々働いている。労働の代償として僕は給料と地位を手に入れる訳だが、金は所詮使う為のものだし、地位は僕に与えられているのではなくて、僕がしている仕事に対して与えられているものだから、僕が仕事をやめてしまえば一瞬にしてその地位はなくなってしまう。

仕事から帰ってきて酒を飲んで音楽を聴いてセックスして眠る。こういう生活をあと700回も繰り返したころには僕は30歳になっているだろう。20歳になったとき、永遠に続くかのように感じられた20代という10年は、このままではあまりにも無益に過ぎ去ってしまおうとしているような気がしてならない。

自分では永遠に少年でいるつもりでいても、確実に僕は年齢を重ねていく。僕に残されたあと1年半とちょっとの20代を、いかに有効に使えるかで、僕の30代は全く違ったものになるような気がしてならない。

「決めるべき時に決める」為には、「決められる」だけの下地を作っておかなければ何もできない。僕にとっての永遠は、もう半ばを過ぎてしまっている。



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