凍える夜に 思うこと  抱擁編



1999年1月5日(火) 晴

さて、今日から仕事だ。

30分早く起きようかと思っていたが結局目覚ましの音で目が覚める。6時15分。当たり前のことだが、まだ外は暗い。

年末は朝食を食べない生活が続いて体調を悪くしたので、しっかりとトーストと昨日の残りのカレーで朝食を食べ、のんびりとコーヒーを飲んでから家を出る。あ、出掛けにちゃんとニナを起こして、ゴミも捨てて出かける。

で、仕事。

で、いきなりの残業。さすがに初日から真夜中まで仕事したくなかったので、何とか9時半過ぎに会社を出る。電車にゴトゴトとゆられ、バスにゴトゴトとゆられて帰宅すると、もう10時半。

飯食って風呂入って酒飲んで寝るっていう生活だと、何だかどんどん荒んでしまう。これだけ自分の自由になる時間がない日々だと余計にそう思う。

で、ふと思い出す、1月1日に誓った今年の目標のうちの一つを。そう、気持ち良く生きるということだ。

で、

いつもなら流しに投げ込んで週末までそのままになってしまう使い終わった食器を洗ってみる。体はほんのちょっと余計に疲れるけど、台所がピカピカになって、大分気持ちいい

いつもならサッとシャワーを浴びておしまいか、それさえもしないところを、読みかけの小説を「お風呂本」にしてじっくりと湯槽に浸かる。時間はいつもの3倍以上かかるけど、湯上がりは物凄く気持ちがいい

最近ではすっかり日々の記録と化している日記をちょっと気合を入れて書いてみる。これももちろんとても気持ちがいい

こんな些細なことを実行してみたら、随分気分転換ができたような気がする。そうか、何となく分かってきたような気がする。気持ち良さを追及するには、労力を惜しんではいかんということなのかも知れない。

でも、そんな些細な気持ち良さよりも、「何もしない」気持ち良さとか、「ただただ眠る」気持ち良さが勝ってしまう日が遠くない未来にやってくるような気がする。体力と精神力の我慢比べという感じだろうか。

ま、どっちにしても今夜はずいぶん気持ち良く過ごせたから、気持ち良いついでに眠る前にニナとえちしてもう一度気持ち良くなってから眠ろうか(そういうオチかい)。

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ある小さい人の文章を読んでいて感銘を受けた。

「お風呂本」と「電車本」のアイディア。これ、なかなか素晴らしい。

いつも本を読む時は一冊を通読するまで他のものは読まないで一気に読み終えていた。通勤や営業の外回りの移動中に僕は本を読む。

そうすると、こまぎれに本を閉じたくないような類のものは、自然と敬遠せざるを得ない状況になってしまっていた。たとえばジョイスの「ユリシーズ」の新訳。たとえば漱石の「虞美人草」。

これを、湯槽にお湯を張ってざぶんと飛び込む時に持ち込んでやれば、体もホカホカ、本も読めるという一挙両得で、何より好きなところまで誰にも邪魔されずに読み進められるという特典がついている。

何も難しいものを持ち込む必要はない。リラックスできるものでもいいし、ちょっとエッチなものなんてのも楽しいかもしれない。

すいすい読めるものは「電車本」、じっくり読みたいものは「お風呂本」。なるほど、かなり正しい。








 

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